マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

マルタの信仰宣言・・・『はい、主よ、あなたが世に来られるはずの神の子、メシアであるとわたしは信じております。』

2019-07-18 10:00:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。

7月18日。年間第十五木曜日。曇り時々雨。

        毎週木曜日は・・・  『聖書100週間』
  
      いよいよ、このグループは、今日と残り二回で、『全聖書完読』。
           聖書100週間の完了の日を迎えます。
       今日も、仲間と熱のこもった分かち合いとなりました。


       今日の通読範囲は、『ヨハネ福音書 7章~12章』

いよいよ。
      イエスは、公然と、ご自分の身分を明かされます。

    
    『わたしが父の名によって行う業が、わたしについて証しをしている。
         わたしと父とは一つである。
       わたしは復活であり、命である。』
            ヨハネ福音書 10章25&30&11章25節節
 

 当時。
    『死んだラザロを生き返らせる』という『奇跡』 をイエスは起こされました。
        その場面で、イエスは、ご自分の身分を明かされたのです。


その場面:奇跡を見たヨハネが、聖書で語るのです。                

 
          『ある病人がいた。
 マリアとその姉妹のマルタの村、ベタニアの出身で、ラザロといった。

     このマリアは(イエスや弟子たちが自宅を訪れた際に)、
    主に香油を塗り、髪の毛で主の足をぬぐった女である。

       その兄弟ラザロが病気であった。
 
     姉妹たちは、イエスのもとに人をやって、
   「主よあなたの愛しておられる者が病気なのです。」と言わせた。』


   イエスは、迫害を逃れ、ペレアを離れ,エルサレムから東に3㌔ほどの所にある
        ベタニヤの村の外れにいました。


     『イエスは、マルタとその姉妹とラザロを愛しておられた。
  ラザロが病気だと聞いてからも、なお同じところに三日間滞在なされた。

 「ユダヤの人たちが、ついこの間もあなたを石で打ち殺そうとした危険な場所です」
       と弟子たちが(マルタの家に)行くのを止めようとしました。


    三日後。
    イエスは弟子たちに言った。
         「もう一度、ユダヤに行こう。」
   「わたしたちの友ラザロが眠っている。しかし、わたしは彼を起こしに行く。』


      そこでイエスは、はっきりと言われた。
  「ラザロは死んだのだ。
     私がその場に居合わせなかったのは、あなたがたによかった。
        あなたがたが信じるようになるためである。
           さあ、彼のところへ行こう。」


       マリアとマルタのところには、多くのユダヤ人が、
           兄弟ラザロのことで慰めに来ていた。


    マルタは、イエスが来られたと聞いて、迎えに行った
 

    が、マリアは家の中に座っていた。

マルタはイエスに言った。

  「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに。
     しかし、
    あなたが神にお願いすることは何でも神はかなえてくださると、
         わたしは今でも承知しています。」』


      マルタは、イエスはがラザロを助けてくれると信じていました。
          マルタは、一回目の『信仰宣言』 をしたのです。



マルタの信仰宣言に応え・・・
   イエスも語ります。


      
     『イエスは、「あなたの兄弟は復活する」と言われた。』

      
  

    マルタは、アブラハムや他の人たちが抱いていた希望、
      『将来の地上での復活』についてイエスが話しているのだと考えたようです。

そこで。   
  
   『マルタは、「終わりの日の復活の日に復活することは存じております」 と言った。

     イエスは言われた。
  「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。
    生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことがない。
          
            このことを信じるか。」

      マルタは言った。
  「はい、主よ、
  あなたが世に来られるはずの神の子、メシアであるとわたしは信じております。」

   
      マルタは、イエスはがラザロを復活させると、信じました。
        マルタは、二回目の『信仰宣言』 をしたのです。

 

     『マルタは、こう言って(信仰宣言をして)から、
 家に帰って姉妹のマリアを呼び、「先生がいらして、あなたをお呼びです」と耳打ちした。
    マリアと、姉妹の見舞いに来ていたユダヤ人たちは、イエスのもとに行った。
     イエスはまだ村に入らず、マルタが出迎えられたところにおられた。

 

      マリアはイエスを見るなり、足元にひれ伏し、
 「主よ,もしここにいてくださいましたら、私の兄弟は死ななかったでしょうに」と言った。
   イエスは、彼女が泣き、一緒にいたユダヤ人たちも泣いているのを見て、
  

    心に憤りを覚え、興奮して、言われた。 「どこの葬ったのか。」

       彼らは、「主よ、来て、ご覧ください」と言った。

           イエスは涙を流された。』
     

       イエス様は、愛するラザロの死をまじかに見て、
         深くうめいて苦悩し,涙を流します。
    それを見た人たちは,イエスがラザロを深く愛していたことを知ります。

 

      『イエスは、再び心に憤りを覚えて、墓に来られた。

 イエスは、「もし信じるなら、神の栄光が見られると、言っておいたではないか」と言われた。
    
    人々が石を取り除くと、
           イエスは天を仰いで言われた。
  

    「父よ、わたしの願いを聞き入れて下さって感謝します。
   わたしの願いをいつも聞いてくださることを、わたしは知っています。
    しかし、
    わたしがこう言うのは、周りにいる群衆のためです。
   あなたがわたしをお遣わしになったことを、彼らに感じさせるためです。」

    こう言ってから、

        「ラザロよ出て来なさい」と大声で叫ばれた。
  
  すると、
  死んでいた人が、手と足を布で巻かれたまま出てきた。顔は覆いで包まれていた。
        
     イエスは人々に、「ほどいてやって、行かせなさい」と言われた。

           以上。ヨハネ福音書 11章1-44節

 

     イエスが、ラザロの墓を訪れた時は、
           イエスならず、信者も迫害を受けていました。

       それでも、信者たちは祈っていたのです。

  「主よ,もしここにいてくださいましたら、私の兄弟は死ななかったでしょうに。
      イエス様、早くおいで下さい。」 と。

        イエスは、以前から、言い続けておられたのです。

       「私を信じる人は、決して死ぬことがない。」 と。

  
    
    マルタは、兄弟の死の時に、
       『イエスの御言葉』を悟って、『信仰宣言』をしました。

 「あなたが神にお願いすることは何でも神はかなえてくださると、わたしは今でも承知しています。」
   「主よ、あなたが世に来られるはずの神の子、メシアであるとわたしは信じております。」

 

    マルタの周りにいた群衆も、
       イエスが、ラザロを生き返らせるのを見て。
    『イエスは神がお遣わしになった方である。』 と確信したことでしょう。
  
    
    私たち今に生きる者は、

      ヨハネが書いた 『ラザロの復活・生き返り』 を読んで・・・
        マルタがイエスを信じたように、

   イエスがラザロを生き返らせたことを、『神のしるし』と信じますか?
   イエスは、今も又終わりの日にも、命をくださる方である、と信じますか?
   イエスは神と一体、神の子であることを、信じますか?

                イエスに、日々、問われてるのです。
          さてさて。どうしましょうか? イエス様に何とお答えしましょうか?


『今日の入祭唱』

     『新しい歌を神に歌え。
  神は不思議なわざを行われた。神の偉大な右の手、その尊い腕は救いの力。』
              詩編 98章1節


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
一つのことを長年かけて完了することは、仲間の支え合いでできること、神のお恵みですね。嬉しいことです。
                          お元気で!


階段上り下り・・・『精神力強化特訓』 そして 『これらのことは、幼子のような者にお示しになられる。』

2019-07-17 16:00:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。

7月17日。水曜日。


 登山には、精神力が要求される。

    今日も・・・  『精神力強化特訓』
       
                    近所の5階建てSOGOの階段を上ったり下りたり。
         
      SOGO建物の目立たない端にあり、階段利用者皆無。
           冷房付きの私設訓練所のよう。

  高校山岳部練習は、近所のお寺の階段で男子生徒をおぶって上ったり下りたりした。
       つらかったけど、楽しく懐かしい思い出です。
     あのころ以来、何十年も繰り返して、続けている『特訓』。

   登山は、つらく又途中でやめることができない作業故、精神力が要求される。

      今日も、精神力強化&体力UPのため、『自己流特訓』が続く。

         今日の特訓:25往復。8000階段。


そして。

今日は7月17日。年間第十五水曜日。

『今日の入祭唱』

  『父がその子をいつくしむように、主は主を畏れる人をいつくしんでくださる。』
                      詩編 103章13節

そして。

『今日の福音 イエスの御言葉

      『そのとき、イエスはこう言われた。

     「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。
      これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、
      幼子のような者にお示しになりました。
  

      そうです、父よ、これは御心に適うことでした。

     すべてのことは、父からわたしに任せられています。
        父のほかに子を知る者はなく、
   子と、子が示そうと思う者のほかには、父を知る者はいません。」』
                    マタイ福音書 11章25-27節

 

     イエスの教えは、シンプル、簡単なのです。

       イエスのミッション・『使命』は、
     『神は、無償で、すべての人々を愛しています』
         と、『神の愛』を伝えるために、
       神の国からこの世に派遣されたのです。

 

    一方。

        人間の心は、複雑で、難しいのです。

イエスの時代。

        ”我こそは偉いんじゃ!” という人が多くいました。
       熱心な律法学者。権力を持つ役人。財産に頼る金持ち。等。
         彼らは、
         自分の力に頼り、人の助けはいりませんでした。
        イエスの話に耳を傾ける必要がありませんでした。

         しかし。

     ”私は救われないかもしれない” と考える人も多くいました。
     律法を勉強できない貧しい人。律法を守れない人。子供たち。等。
      イエスが『小さな人』:『幼子のような者』と呼ぶ人たちです。
          彼らは、
       自分の力に頼るのではなく、人の助けを必要としました。
       イエスの小さな人を助けようとする『愛』がわかりました。
     イエスの話を聞き、イエスこそは『神の愛』を持つ人であると信頼しました。


           
   そして。

  
   イエスは、『偉い人』にも『小さな人』にも、『神の愛』を知らせたいのです。 

  
  『小さな人』たちが、『神の愛』を受け入れ信じたのは、イエスには嬉しいことでした。

  『偉い人』たちが、イエスの話を受け入れないのは、イエスには悲しいことでした。 

    でも。
      
       どんな時も、イエスはあきらめません。

   
         『私は父のもとに帰り、

    すべての人が『神の愛』を理解することを助ける『聖霊』を送ります。』
                       
ルカ福音書 24章49節

                           と約束なさいました。


聖霊の時代。
現在。

     私たちも、
       『聖霊』に助けられ、『小さい人』のように素直な心を持って、
           『イエスの教え』:『神の愛』
         を受け入れ、信じてまいりましょう!

 

『今日の拝領唱』

      『あなたがたは神の子である。
  そのことは、神が「アッバ、父よ」と呼ぶ御子の霊を、
         私たちの心に送ってくださった事実から分かります。』
              ガラテヤの信徒への手紙 4章6節

        
    イエス様は、約束を守り、私たちに『聖霊』を送ってくださいました。
                         感謝!感謝!


皆様!

ご訪問に感謝申し上げます。
皆様はスポーツがお好きですか?スポーツは、練習が結果を導く、単純なのがいいですよね。
                            お元気で!


『これは、きっと、ヘブライ人の子です。』・・・モーセの半生・・・『ファラオの手を逃れてミディアン地方にたどりついた。』

2019-07-16 04:03:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。

7月17日。年間第十五火曜日。

今日は『出エジプト記』

     エジプトで、川に流され、王女に救われ王女の子となり、
      その後 ミディアン地方へ逃亡するモーセの半生です。


まずは。

昨日の朗読:『出エジプト記』の復習です。


      『新しいエジプト王が、国民に警告した。

「イスラエル人という民は、今や、我々にとってあまりに数多く、強力になりすぎた。
     
抜かりなく取り扱い、これ以上の増加を食い止めよう。

 一度戦争が起これば、敵側に付いて我々と戦い、この国を取るかもしれない。」

   エジプト人はそこで、
 イスラエルの人々の上に強制労働の監督を置き、重労働を課して虐待した。
    しかし、
    虐待されればされるほど彼らは増え広がったので、
    エジプト人はますますイスラエルの人々を嫌悪し、
イスラエルの人々を酷使し、あらゆる農作業などの重労働によって彼らの生活を脅かした。

     新エジプト王・ファラオは全国民に命じた。
「生まれた男の子は、一人残らずナイル川にほうり込め。女の子は皆、生かしておけ。」』
                      出エジプト記 1章8-22節

 

     エジプトで奴隷として過ごすイスラエル人の姿は、
       罪の状態にある人間の姿を示している。  と言われます。

     
        エジプトに住み着いたイスラエルの人々は、
    エジプト人が恐れるほどに増加し、大きな民となったのです。
         
         エジプトの新しい王は、
        そんなイスラエル人を恐れて、
   『イスラエルの全滅策』を計り、イスラエル人を圧迫するのです。

 


    罪の状態にある人間は、
  モーセがエジプトから逃亡し、後に、エジプトからイスラエル人を救い出すように、
      キリストによって清められて、罪の状態から救い出されるのです。

 



そんな『イエスの救いの前表』である『モーセの半生』が・・・
今日に続きます。



『今日の第一朗読 モーセの半生

        『(生まれた子は皆殺しの王の命令が出た)そのころ、
   イスラエルの
レビの家の出のある男が同じレビ人の娘をめとった。
      彼女は身ごもり、男の子を産んだが、

  その子がかわいかったのを見て、三か月の間隠しておいた。
   
     
しかし、もはや隠しきれなくなったので、

  パピルスの籠を用意し、アスファルトとピッチで防水し、
 
    その中に男の子を入れ、ナイル河畔の葦の茂みの間に置いた。

 
   その子の姉が遠くに立って、どうなることかと様子を見ていると、
 
   
そこへ、ファラオの王女が水浴びをしようと川に下りて来た。

      その間侍女たちは川岸を行き来していた。

  王女は、葦の茂みの間に籠を見つけたので、仕え女をやって取って来させた。
  
     
開けてみると赤ん坊がおり、しかも男の子で、泣いていた。

           王女はふびんに思い、
   「これは、きっと、ヘブライ(イスラエル)人の子です」と言った。

    そのとき、その子の姉がファラオの王女に申し出た。
  
  「この子に乳を飲ませるヘブライ人の乳母を呼んで参りましょうか。」

     「そうしておくれ」と、王女が頼んだので、
       娘は早速その子の母を連れて来た。

  王女が、
   「この子を連れて行って、わたしに代わって乳を飲ませておやり。
        手当てはわたしが出しますから」 と言ったので、
    

      母親はその子を引き取って乳を飲ませ、
    
その子が大きくなると、王女のもとへ連れて行った。


      その子はこうして、王女の子となった。
      王女は彼をモーセと名付けて言った。
   「水の中からわたしが引き上げた(マーシャー)のですから。」


 
モーセが成人したころのこと、

     彼は同胞のところへ出て行き、彼らが重労働に服しているのを見た。
   そして
  一人のエジプト人が、同胞であるヘブライ人の一人を打っているのを見た。
   

      モーセは辺りを見回し、だれもいないのを確かめると、
   
       そのエジプト人を打ち殺して死体を砂に埋めた。

  翌日、また出て行くと、今度はヘブライ人どうしが二人でけんかをしていた。
    モーセが、「どうして自分の仲間を殴るのか」と悪い方をたしなめると、

      「誰がお前を我々の監督や裁判官にしたのか。
    お前はあのエジプト人を殺したように、このわたしを殺すつもりか」
                      と言い返したので、
      モーセは恐れ、さてはあの事が知れたのかと思った。

     
      ファラオはこの事を聞き、モーセを殺そうと尋ね求めたが、
  
              モーセはファラオの手を逃れて

     ミディアン地方にたどりついた。』

  

                   以上。出エジプト記 2章1-15節


      『出エジプト記』は、モーセの誕生で始まります。
     そのモーセの出生、その後エジプト王女の子としての半生。

         
         王子という特権を与えられたモーセは、

      エジプト人を殺し、エジプトから脱走するという失敗を犯し、
            ミディアン地方に逃れます。

         
          それは、人間が始めた計画が、
    目に見えない神の御手によって導かれていく不思議を物語ります。

 

       後に、ミディアン地方に逃げたモーセは神と出会い、
             赦し。謙遜。従順。 
          を、神から学ぶことになるのです。

  
         モーセの半生は、
     後にモーセの指導で、
   エジプトから脱出し、『神の民』となるイスラエル人の前表となるのです。

 

      その昔。  神に呼ばれ、神に従ったアブラハム。
        そのアブラハムの子孫であるイスラエルの民は、
     エジプトから救い出されるという、
     人間の力をはるかに超えた『不思議な体験』を重ねていきます。

        
       この『不思議な体験』は、
 先祖アブラハムたちが出会った神に、イスラエルの民も又 神に出会う体験なのです。


   
      不思議な神との出会いの『出来事』を、
       代々にわたって繰り返し祝う間に、
  イスラエル民族は、自分たちが神に選ばれた『選民』であることを自覚していくのです。
  主なる神は『イスラエルの神』となり、イスラエルは『主なる神の民』となるのです。
  
       毎朝、出勤や通学前の30分間、中学生くらいになると、
   『聖書』や『律法』  を読むユダヤ・『主なる神の民』 の男性たちです。
  
    早朝のベツレヘム                  
昨夏のイスラエル巡礼時に



そして

今の時代。

   エジプトで奴隷だったイスラエルの民が、
       神とモーセに救い出されて『自由の地・カナンの地』へと導かれました。

    それらの前表と同様に。
  
   罪の状態にあった人類が、
       キリストによって清められて、『永遠の命・神の国』へと導かれたのです。

 

『今日の拝領唱』

        『わたしたちの父に祝福された人たちよ、
   天地創造の時から、あなたがたのために用意されている国を受け継ぎなさい。』
                マタイ福音書 25-34節


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
世界のロング&ベストセラ―の聖書は人類の歴史が書かれていて、『温古知新』、面白いですね。 
                        お元気で!   


最大酸素摂取量Up作戦・・・『インターバル』 そして 『わたしは平和でなく、剣をもたらすために来たのだ。』

2019-07-15 05:00:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。

7月15日。月曜日。海の日。

5時。

     保育園の前庭
 
 ダリアだろうか?  
 保育園のかわいい子供たちのように、かわいらしく、真っ白の花がいっぱい咲いていた。


雨続きが一段落の休日・海の日。 

   涼しいうちに、飛び出した。
 
 気分爽快。 

  ”少し頑張ろうか!” で・・・   『インターバル』
 
 
  私のペースは・・・ 『早ラン:100 & 歩き:200』 位の繰り返しです。

   インターバルは、『最大酸素摂取量』を効率的に上昇できるという。
      持久力が必要な登山に効果的である、と信じている私です。

         途中の公園の長い階段を10往復した。
           今朝は、11611歩。


そして。

今日は7月15日。年間第十五月曜日。

    『聖ボナベントゥラ司教教会博士 記念日』
  

  1217年。 中央イタリアのトスカナのバニョレジオの貴族の家に生まれる。
         パリで哲学と神学を修める。
  25歳の時。フランススコ会に入り、教授資格を得る。
         フランシスコ会員たちに哲学と神学を教え、大きな成果を収めた。

  35歳の時。フランススコ会の総会長に選ばれる。
         分別と英知をもって会を治める。

  53歳の時。 アルバノの枢機卿に任命された。
         神学と哲学に関する多くの優れた著書を残した。

  1274年。 リヨンで死去。 57歳。



そして。

『今日のアレルヤ唱』

アレルヤ、アレルヤ。喜びおどれ、天においてあなたがたの報いは大きい。』アレルヤ、アレルヤ。
                       マタイ福音書 10章42節 



『今日の福音 イエスの御言葉

                『そのとき、イエスは使徒たちに言われた。
      

  わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。
      平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。
      

      わたしは敵対させるために来たからである。

      人をその父に、 娘を母に、 嫁をしゅうとめに。
       こうして、自分の家族の者が敵となる。

   わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。
   わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない。
     
また、

   自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない。

        自分の命を得ようとする者は、それを失い、
     わたしのために命を失う者は、かえってそれを得るのである。」』
             マタイ福音書 10章34ー42節


今日の『御言葉』は、とても厳しいお言葉です。

    『神の国』 の実現には、安易な妥協は許されない。 ということです。  

   
   イエス様は、メシヤとして『平和をもたらす御方』 『神の子』です。
       私たちも、神の子なのです。 責任重大なのです。

  
   『平和を実現する人々は、幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる。』

                    マタイ福音書 5章9節


今日の『御言葉』は、とても的確なお言葉です
  
 『平和』は、この世の絆に縛られている限り達成できるものではない。 ということでしょうか。

     まずは一度、この世の絆を断たれなければなりません。
        ・・・と。イエス様はおっしゃるのです。

    
      聖ボナベントゥラ司教教会博士が修道院に入られたように、
 両親や家族や友人 そして 自分自身以上に、神を愛する『決意』 を表明するのです。


        『自分の命を得ようとする者は、それを失い、
     わたしのために命を失う者は、かえってそれを得るのである。』
               マタイ福音書 10章39節


今日の『御言葉』は、とても確実なお言葉です 
  
 イエス様が望む『平和』 を願う者は、自我を捨てる覚悟がいる。 ということでしょう。

   
    それは、平和の実現のためには、自己を切り捨てる『剣』との戦いなのです。
        神への『献身』 の覚悟ということでしょうか。
       

  
 『平和』 をもたらす覚悟は、

     お人だけでなく、自分へも、『平和』をもたらすのであるとの、
           神への信頼に基づくのです。


    この『神への信頼』が生まれれば、
      『イエスの厳しい言葉』 も信頼ができ、
         『御言葉』に従うことが 『生きがい』 となっていく。
             有り難いことです。 感謝!感謝!

 

     『御言葉を聞いて悟る人は、
   ある者は百倍、ある者は六十倍、ある者は三十倍の実を結ぶのである。』
                   
 マタイ福音書 13章23節


    
   『わたしをあなたの平和の道具としてお使い下さい。』

            

        『平和を求める祈り』 アシジの聖フランシスコ


『今日の祈願』

『恵み豊かな神よ、
   聖ボナベントゥラの教えに従い、いつも感謝のうちに生きることができますように。』

 

 皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
今日も、明日も、明後日も、周りに平和をもたらす者になりたいものですね。 お元気で!


主日聖書朗読・・・『この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した』 そして 『万物をただ御子によって、御自分と和解させられました。』

2019-07-14 09:30:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。

7月14日。日曜日。霧雨&曇り。

朝一番。

   濃水色が白色に変色・・・  『露をかぶったアジサイ』
  
       清らかな姿。 その美しさに、感動する。


そして。

日曜日・主日の『聖書朗読』で思い出すのは・・・

        
        『ナザレの会堂でのイエスの聖書朗読』

 
       『イエスはお育ちになったナザレに来て、
  いつものとおり安息日に会堂に入り、 聖書を朗読しようとしてお立ちになった。
   預言者イザヤの巻物が渡され、次のように書かれている箇所が目に入った。
     
       
       「主がわたしを遣わされたのは、
  捕らわれている人に開放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、
  圧迫されている人に自由にし、主の恵みの年を告げるためである。」
                     イザヤ書 61章1&2節

そこでイエスは、

 「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」
                   と話し始められた。』

                      ルカ福音書 4章16-21節                

      
     生まれ故郷ナザレでの、イエスの最初の『説教』
 
 『メシアに関する預言』がイエスにおいて実現した。』 との宣言でした。

     
 『メシアは、人間の病を取り除き、人間本来の姿を回復するために、この世に来た。』
                         『恵みの年』を告げるのです。
  『そのメシアは、今聖書の言葉を読んだ私であり、
                    その聖書の言葉は、私において実現した。』
                                  と述べるのです。


そして。

今日は7月14日。年間第十五主日。

  今日は。
   
    私も・・・    『教会で聖書朗読 奉仕』
   
                       写真は私ではありません。

    私は、練習を重ねた聖書の箇所を、朗読しようとして立った。
      聖堂にいるすべての人の目が私に注がれた。
        そこで、私は読み始めました。

 
『今日の第二朗読 使徒パウロの言葉

       御子は、見えない神の姿であり、
   
     すべてのものが造られる前に生まれた方です。

   天にあるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも、
  王座も主権も、支配も権威も、万物は御子において造られたからです。
      つまり、
    万物は御子によって、御子のために造られました。


  
   
 御子はすべてのものよりも先におられ、

  
   すべてのものは御子によって支えられています。

    また、御子はその体である教会の頭です。
   御子は初めの者、死者の中から最初に生まれた方です。
      こうして、
   すべてのことにおいて第一の者となられたのです。


         
       
 神は、御心のままに、

 
 『三位一体の神』

     満ちあふれるものを余すところなく御子の内に宿らせ、
      
その十字架の血によって平和を打ち立て、

  
      地にあるものであれ、天にあるものであれ、

   万物をただ御子によって、御自分と和解させられました。」』
                      コロサイの信徒への手紙 1章15-20節

 

       『キリストの恵みの豊かさへの賛美と感謝』
        
        キリストを讃えて、世界の皆で、今日も、歌います。
                    
   キリストは、すべてのものが神の子イエスにおいて創造され、
                     一切のものの主である。 賛美と感謝。
     又。
   キリストの十字架と復活によって、すべての罪と闇の力は滅ぼされ、
                     神と人類は和解しました。 賛美と感謝。     

 

そして。 

 『今日の福音朗読 イエスの御言葉』

『ある律法の専門家が立ち上がり、言った。
   「先生、何をしたら永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか。』

 イエスが、答えた。

   「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、
      あなたの神である主を愛しなさい、
    また、隣人を自分のように愛しなさい。」』


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
今日は三連休の二日目。明日の残り一日も『愛神愛隣』で、心豊かにお過ごしください。 お元気で!


登山特訓・・・『19722歩』 そして 『弟子は師にまさるものではなく、僕は主人にまさるものではない。』

2019-07-13 08:20:00 | 登山・ハイキング

7月13日。土曜日。曇りのち雨のち曇り。

 
   崩落のため入山禁止・・・    『富士山』
    
                 3776、24m

     ところが。
            『入山可能』 となった。
          週日前に、『入山禁止』が撤回された。
       今年の『夏山縦走・富士山』の計画が、再び浮上した。

 
ということで・・・

昨日。 山仲間から、『お声』 がかかった。

           「『登山特訓』 をしましょう。」
    

 8時20分。 スタート。 午後から雨の天気予報で、早いスタートにした。

      すごいスピードで、階段と急こう配を、どんどん登る。特訓です。


 10時。 雨が降り出した。

         すごいスピードで、どんどん下山。。特訓となった。
 
           東屋で、昼食を済ませた。
     

  11時半。    昼食後すぐに解散となった。

        今日の登山特訓:3時間。19722歩。

 

そして。

今日は7月13日。年間第十四土曜日。

 

『今日のアレルヤ唱』

  アレルヤ、アレルヤ。
      『あなたがたの父は天におられる方、ただひとり。
          あなたがたの師はキリストただひとり。』 アレルヤ、アレルヤ。


そして。

『今日の福音 イエスの御言葉

           『イエスは使徒たちに言われた。
 

 弟子は師にまさるものではなく、僕は主人にまさるものではない。
    弟子は師のように、僕は主人のようになれば、それで十分である。」

 

     イエスは、先生と弟子の関係について話しました。
    先生・イエスは一生懸命に教え、弟子は先生から一生懸命に学びます。
  しかし、弟子はいつまでも弟子です。 いつまでも先生から学ぶ必要があります。
学びを卒業することはないが、学び続けることで十分なのです。学ぶことが大切なのです。



続きます。
        人々を恐れてはならない。
      覆われているもので現されないものはなく、
    隠されているもので知られずに済むものはないからである。』


   イエスの弟子たちは、悪く言われることがあっても、恐れてはなりません。
  旧約で覆い隠されていたメシア・イエスが、今、現れたのです。
       恐れることなく、明かされた『福音』を宣べ伝えるのです。

   
更に、
    わたしが暗闇であなたがたに言うことを、明るみで言いなさい。

            耳打ちされたことを、
 
                    屋根の上で言い広めなさい。』


     『実に、信仰は聞くことにより、
  しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです。』 ローマの信徒への手紙10章17節
     弟子たちも、キリスト者も、キリストが教えて下さったことを、
        たとえ受け入れてもらえないことがあっても、
           あきらめないで語り続けるのです。


もう一つ。

      体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。
     むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。

  
   雀の一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない。
      
あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。

          だから、恐れるな。
    あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。』


    宣教する時、多くの迫害を受け、殉教することすらあります。
       それでも、彼らの宣教した『福音』は残るのです。
       恐れることなく、宣教を続けてまいりましょう。
    「私がいつも共にいる。私が助け守る。」とイエスは言われるのです。

 

最後に。

    だれでも人々の前で自分をわたしの仲間であると言い表す者は、
    わたしも天の父の前で、その人をわたしの仲間であると言い表す。
     
    
しかし、

      人々の前でわたしを知らないと言う者は、
    わたしも天の父の前で、その人を知らないと言う。」』
            マタイ福音書 10章24-33節


  私は、いつも、あなた方が話していることを、見ている。聞いている。
         必ず、努力に報いる。御父に証しする。

           何も恐れずに宣教してほしい。」
           
と、イエス様は話されました。


  今日は、沢山の『イエス様の思い』を、イエス様から直接に特訓されました。
      イエス様に愛されていることに感謝しながら、
      私たち弟子ができることは、小さいことですが、
      恐れずに、イエス様にお応えしてまいりましょう。
      
          
『今日の拝領唱』

    『「主よ、主よ」という人が皆、天の国に入るのではない。
        父のみ旨を行う人だけが入る。』
           マタイ福音書 7章21節  


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。  
もうすぐ夏休みです。考えるだけでワクワクしますね。 お元気で! 


水曜日木曜日金曜日・・・『聖書三昧』 そして 『命を救うために、神がわたしをお遣わしになった。』

2019-07-11 10:00:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。

7月11日。木曜日。曇り。


水曜日~金曜日の三日間。

            朝から晩まで・・・   『聖書三昧』
 
        聖書三昧のための 『三種の神器』          於:My書斎
     
写真:『少年サムエルの祈り』 昨夏巡礼の土産:『十字架の文鎮 誕生日プレゼント:『万年筆』

        気持ちを『三昧』にするためには・・・
 『形』を整え、音をシャットアウトして、雑念を追い払うことから始まる。
        窓から目に入る『緑』も助けになる。


   まずは。

   水曜日。明日と明後日・二日分の『聖書100週間』の予習。
           合計18章の予習となる。
        明日はヨハネ福音書の6章 & 明後日はサムエル記下の12章。
         頭をひねって・・・ともかく時間がかかる

   続けて。

   木曜日。午前中は『聖書100週間』クラス。午後は金曜日の通読範囲の再読。
            午前中の分かち合が、一日中、頭を離れない。
         寝ても覚めても、午前中の『分かち合い』が、頭をかけめぐる。
         心と頭に、『分かち合い』が、となってしみこんでいく。

   そして。

   金曜日。午前中は『今日の通読範囲』の再々読。午後は『聖書100週間』クラス。
         2時~4時。真摯で素晴らしい『聖書の分かち合い』となる。
          その後。 分かち合いの余韻が素晴らしく、離れがたく、
                しばらくのおしゃべりとなる。


     そして・・・
      最後は。

       『聖書三昧』の三日間の終了は、『花金です。

       夫は、三日間は、私に話しかけるのも遠慮がちです。
       妻は、聖書三昧、夫との会話は聖書関係が多くなる。

           
         金曜日の夜は、『花金』、無礼講。
           おいしいつまみをあてに、
         世間話で、『ワイン三昧』 なのです。
         詰まった頭に聖書ワインがしみこむのです。


     楽しい私の、水曜日~金曜日の、定番スケジュールです。

 

そして。

今日は7月11日。年間第十四木曜日。


『今日の第一朗読 兄弟にエジプトに売り飛ばされた末っ子ヨセフの言葉


   『その日、ユダはヨセフの前に進み出て言った。

      「ああ、御主君(ヨセフ)様。

  御主君は僕どもに向かって、『父や兄弟がいるのか』とお尋ねになりましたが、
    
そのとき、御主君に、

  『年とった父と、それに父の年寄り子である末の弟がおります。
  その兄(ヨセフ)は亡くなり、同じ母の子で残っているのはその子だけです。』と申し上げました。

  ヨセフは、そばで仕えている者の前で、もはや平静を装っていることができなくなり、
      「みんな、ここから出て行ってくれ」と叫んだ。

   だれもそばにいなくなってから、
      ヨセフは兄弟たちに自分の身を明かした。
       
ヨセフは、声をあげて泣いた。

 
      ヨセフは、兄弟たちに言った。

    「わたしはヨセフです。お父さんはまだ生きておられますか。」


    兄弟たちはヨセフの前で驚きのあまり、答えることができなかった。

        ヨセフは兄弟たちに言った。

      「どうか、もっと近寄ってください。」

     兄弟たちがそばへ近づくと、ヨセフはまた言った。

   「わたしはあなたたちがエジプトへ売った弟のヨセフです。
しかし、今は、わたしをここへ売ったことを悔やんだり、責め合ったりする必要はありません。

  命を救うために、神がわたしをあなたたちより先にお遣わしになったのです。」』
                                                 創世記 44章18節~45章5節

 

   その昔。

    12人の兄弟の末っ子のヨセフは、最高の服を与えられ、父の寵愛を受けていました。
     それは、兄たちの嫉妬心を買い、兄たちからヨセフは疎ましい存在でした。

  ヨセフは、愛される子の特徴で天真爛漫、兄たちの気持ちは分からなかったのでしょう。

  
 そんなある日。

 ヨセフは夢を見て、兄たちに告げます。
     
    
        『私の束が起き上がり、まっすぐに立つと、

    
   兄さんたちの束が周りに集まってきて私の束にひれ伏しました。』創世記 37章7節
     
  もう一つの夢。
  『太陽と月と十一の星が、わたしにひれ伏しているのです。』創世記 37章9節

        
        ”自分を何様だと思っとるんじゃ?!”
      兄たちの嫉妬心は、憎しみへと変わっていきます。

 そんなヨセフに、父親がおつかいを頼みます。

  『兄さんたちが元気でやっているか、羊の群れも無事か見届けて、様子を知らせておくれ。』
                           創世記 37章14節                     

 

    これぞ。

       兄たちの、ヨセフを殺す、チャンス到来!
 
    ヨセフは、山で羊飼いをしていた兄たちに、穴に突き落とされます。

       井戸の中にヨセフを見つけたミディアン人の商人は、
          銀20枚でイシュマル人に売り、  

  
     イシュマル人はヨセフをエジプトに連れて行ってしまうのです。


      売られたヨセフを、兄も父も死んだものと思っていました。
         ところが。

       ヨセフは、異国エジプトで、苦労を重ね、才覚を発揮し、  
             エジプトの長官になります。

 
  それから後。

          カナンの地・イスラエルでは飢饉が発生。
    父の命令で、ヨセフの兄たちは、豊かなエジプトに食料を求めて来ます。
       
    そのとき、兄たちは、エジプトの長官となったヨセフに巡り合うのです。


        弟ヨセフの前で、
      恐れひれ伏す11人の兄たちの姿は、
        幼い頃に『ヨセフが見た夢』の実現となりました。

 

      恐れ敬う兄たちに、弟ヨセフは『挨拶』をします。

     『わたしはあなたたちがエジプトへ売った弟のヨセフです。
しかし、今は、わたしをここへ売ったことを悔やんだり、責め合ったりする必要はありません。    

  命を救うために、神がわたしをあなたたちより先にお遣わしになったのです。』

 

    兄たちに捨てられ、売られて異国エジプトの奴隷になったことの結果・・・
        家族を、飢饉から命の安全へ、救ったヨセフは、
           『キリストの前表』なのです。  

    神から異国地上に派遣され、十字架の苦しみを背負ったことによって、
          人類を、死から永遠の命へ、救ったイエスは、
            『メシア救い主』なのです。

 
 聖霊は聖書を読む者に、
    
      『神は悪からさえも善を引き出し、悪を膳に変えて、
       『神の救いの計画』を推し進める方である。
             ・・・事実を教えるのです。


『今日の拝領唱』

       『神の恵みを思い、そのいつくしみを深く味わえ。
           神に希望をおく人はしあわせ。』
               詩編 34章9節


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
皆様の『三昧』は何ですか。夢中になって若くいられますよね。一石二鳥でしょうか。 お元気で!       


通算HR400号に王手・中村選手・・・『歴代HR王・王選手868本』 そして 『天の国は近づいた。』

2019-07-10 20:00:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。

7月10日。水曜日。曇り。

午後8時。

  今日も野球観戦・・・  『左越えにソロHRを放つ中村』
     

         『西部 対 ソフトバンク』

   7回2死から、西部・山川が2ランHRを放って、6―3となった。
   その直後。 西部・中村もHR本塁打。 6-4とする。


          『中村選手』
    プロ18年目。来月で36歳。今日、本塁打399本となる。
       通算HR400号に王手をかけました。
          

それにつけても。

    思い出すのは・・・ 『日本一HR王・王貞治選手』
    

      1959年~1980年 19歳~40歳 
        21年間の選手生活で、
      『868本 本塁打日本一記録』 

  
     毎晩、野球観戦をする私たち夫婦です。
  はごひいきチームの勝敗に一喜一憂する。 本物の野球ファンです。
はどのチームのでも、選手の皆様の真剣さに感動の涙を流す。もぐり野球ファンです。

   
     今日の結果は、『西部7 ー 3ソフトバンク』
 夫は『勝利』に満面の笑顔。 私は『399記録』の努力に感動の涙顔でした。
     野球観戦も人それぞれ。 それが面白い。 笑えるのです。

 

そして。

今日は7月10日。年間第十四水曜日。

  イエスは12人の弟子に権能を与え、宣教に送り出します。


『今日の福音 イエスの御言葉

   『そのとき、イエスは十二人の弟子を呼び寄せ、
     汚れた霊に対する権能をお授けになった。

  汚れた霊を追い出し、あらゆる病気や患いをいやすためであった。

  イエスはこの十二人を派遣するにあたり、次のように命じられた。
 

     「異邦人の道に行ってはならない。
    また、サマリア人の町に入ってはならない。
  
むしろ、イスラエルの家の失われた羊のところへ行きなさい。
    
行って『天の国は近づいた』と宣べ伝えなさい。」』

                    マタイ福音書 10章1-7節


    イエスは、
 ご自分と一緒に宣教活動をするように、弟子たちの中から12人を選び出しました。
   小さな『宣教共同体』を作り、弟子たちを根気よく育てていきました。
     ご自分の権威を、12人に与え、ゆだねました。

 
  選ばれた当時は、
    12人の弟子も、『イエスの福音』 をよく理解できていなかったのでしょう。
  そこで、
    イエスは、
        『異邦人の道、違法人の町サマリアに入ってはならない。』
       訪問先で、『悪霊を追い出しなさい』 『病人を癒しなさい。』
         ・・・と。 12人に忠告しました。


  一方。
    イエスは、
      同胞イラエルの家々に行き・・・

        『天の国は近づいた』と宣べ伝えなさい。と忠告しました。


後になって。

 イエスの復活後。
            聖霊に導かれた弟子たちは、
            『イエスの福音』を理解し、
      
世界中の異邦人の所へ、勇んで宣教に出かけるのです。

    
    イエスが、ガリラヤで、宣教活動の最初に述べた『言葉』は、
 『時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。』マルコ福音書1-15 でした。


           イエスに従う弟子たちの宣教活動も、
  『時は満ちた。神の国は来たのです。悔い改めて福音を信じなさい。』

      イエスが宣教活動を始めたガリラヤから、
          始まったのです。  
 
 『ガリラヤ湖畔』  ”私達も宣教活動に励みま~す!”
            二人の神父様と友人と私の誓いです!
                      昨夏の誓いは有効ですよね。頑張ります!

今。
   現在も。

       キリストは、根気強く、私たちを教育し、導いてくださいます。
     私たちは、イエスの呼びかけに、”はい!” と応えてまいりましょう!
               努力を重ねましょう!


『今日の拝領唱』

         『神はいやしいはしためを顧みられ、
        いつの時代も、わたしをしあわせな者と呼ぶ。』
                   ルカ福音書 1章48節

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
スポーツ観戦はお好きですか?選手の皆様はどんなにかすごい努力を重ねているのでしょうね!
                       お元気で!                   


伝達も連絡も・・・『LINE』  そして 『収穫は多いが、働き手が少ない。』

2019-07-09 14:00:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。

 7月9日。火曜日。曇り。


       今日の伝達法は・・・   『LINE』 です。
  

         明後日の『聖書100週間・聖書通読会』グループ。

       今日も、連絡は、すべて、スマホの『LINE』利用でした。
       顔を見ることもなく・・・ 声を交わすこともなく・・・
       せめてもの感謝の気持ちで、絵文字 を加えます。

           ”こんな世の中になりましたね!”
              ・・・と。  
           便利さを享受する毎日です。

 

そして。

今日は7月9日。年間第十四火曜日。

       
      イエス様の宣教方法は 『徒歩&対話』 です。
  
        『イエスはほかに七十二人を任命し、
   御自分が行くつもりのすべての町や村に二人ずつ先に遣わされた。
       
そして、彼らに言われた。

        「収穫が多いが、働き手が少ない。
       行きなさい。わたしがあなたがたを遣わす。
    財布も袋も履物も持っていくな。途中で誰にも挨拶をするな。
      どこかの町に入り、迎え入れられたら、
   その町の病人をいやし、また、「神の国は近づいた」と言いなさい。」』
                     ルカ福音書 10章1-9節


         イエスに派遣された弟子たちは、
    『収穫』:病人や差別された人たちや助けを必要としている人たち。
       を見つけて、癒して、福音を告げて・・・『働き手』となり、
       取り入れの主:イエスに、『取り入れ』を報告するのです。
          ・・・『イエスの宣教方法』 です。

  


今日の福音 イエスの御言葉

    
       『悪霊に取りつかれて口の利けない人が、イエスのところに連れられて来た。

   
        悪霊が追い出されると、口の利けない人がものを言い始めたので、
  群衆は驚嘆し、「こんなことは、今までイスラエルで起こったためしがない」と言った。

       
       イエスは町や村を残らず回って、
           会堂で教え、
  
         御国の福音を宣べ伝え、

      ありとあらゆる病気や患いをいやされた。
 
 『目の見えない人を癒すイエス』            エル・グレコ作品

    
     また、群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、
  
                  深く憐れまれた。

そこで、弟子たちに言われた。

       「収穫は多いが、働き手が少ない。
 
だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。」』

                   マタイ福音書 9章32-38節

 

『そこで
   神は、宣教という愚かな手段によって信じる者を救おうと、お考えになったのです。』
                     コリントの信徒への手紙Ⅰ  1章21節

 

では。        『何』を宣教するのか?

 
『十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です。』
                 コリントの信徒への手紙Ⅰ 1章198節

         
        『神の救いのご計画』 を宣教するのです。
最も大切な一人子を十字架に与え尽くしてまでも、私たちを救おうとされる『神の救いの御計画』 です。


      どんな人をも平等に愛し尽くす『神の愛』 を宣教するのです。
   病人を癒し、寂しい人と共にいて、お腹のすいた人にパンを与える、『神の愛』です。

    
  
  人の知恵や言葉では説明できない、スマホでは説明しくせない『神の御計画』 です。

        だからこそ、
   神は、『宣教という愚かな手段』によって信じる者を救おうとお考えになられたのです。
              ・・・人の目を見て、話して、宣教です。

   
 
  人の目には愚かに見える 『キリストの十字架』による『完璧な救い』 を宣教するのです。

      『キリストの十字架』こそが『福音』であり、信じる者を救われるのです。


 しかも。

  『実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです。』
                     ローマの信徒への手紙 10章17節

今の時代。

     私たち・キリスト者に求められていることも、
 『キリストの言葉』を伝えて『信仰の実り』を積み上げ、お互いに尊重し合って『平和』を築くことですね。
                               頑張りましょう! ファイト!

 

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
皆様の連絡方法は何ですか?耳の聞こえない友との私の連絡方法は、もっぱら字でおしゃべり、FAXです。
                             お元気で!


普遍性と多様性・・・『Inculturation』 そして 『地上の氏族はすべて、あなたとあなたの子孫によって祝福に入る。』

2019-07-08 10:00:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。

7月8日。月曜日。曇り。夏日。


        『夏服の女性』
  
  美しいモデルさんでした。      10年も前の私の作品。

         
       30度以上の気温の続く昨今。
    今日は、夏服を出して、衣替えをしました。

          それにつけても。
  洋服の文化は、欧米に始まり、欧米が指導していくものなのかでしょうか?
   

私は、自分の洋服の多くは、安いので孫子守で娘夫婦に同行する欧米で仕入れます。
   そのときに欧米の人たちが着ている、流行最先端の洋服を買います。
      日本帰国後すぐは、欧米流行最先端洋服は、
        日本では奇抜すぎて着れません。

    それが・・・
  欧米流行最先端洋服が、1~2年後の日本の流行最先端洋服となる。
     私は、1~2年後に、
   欧米で買った『流行最先端洋服』を着ることになるのです。

    
    洋服文化・・・

洋服の文化は、欧米に始まり、欧米が指導していくものなのかもしれませんね。


そこで。
私は考えてしまいます。

      
      『カトリック教会のインカルチュレーション・文化化
        ーー普遍性と多様性のはざまでーー

  
       『教会は普遍(カトリック)である。
   「カトリック」という言葉は、「普遍」という意味です。
 
これを文字通りに訳せば、「すべてに及ぶ」もしくは「すべてを含む」という意味になります。
        教会は二つの意味で普遍なのです。
  教会が普遍であるのはまた、キリストによって全人類に派遣されているからです。』
                      『カトリック教会のカテキズム』より。


  
    普遍性であるカトリックには、
 ①理念的な普遍性の側面 と ②実質面で地域的な適応を伴う側面 がありますよね。
     普遍性と多様性のはざまで、
 二つの面の間に、葛藤や緊張を生じる事例が生まれてくるのではないでしょうか?


      
  普遍性を保ちながら・・・多様性を保つ。
    
なかなか難しいことですね。
    どのように解決しましょうか?
  洋服のように1~2年後にとはいきませんからね。

  
     ここから後は、教皇様にお任せして・・・
   私は、考えるのは終わりにして、夏服の衣替えを終わらせました。


そして。

今日は7月8日。年間第十四月曜日。


   神とヤコブが出会います。

『今日の第一朗読 神とヤコブの出会い


『その日、ヤコブは、とある場所に来たとき、日が沈んだので、そこで一夜を過ごすことにした。

    ヤコブはその場所にあった石を一つ取って枕にして、その場所に横たわった。
 
 
 
すると、彼は夢を見た。

    先端が天まで達する階段が地に向かって伸びており、
 
   しかも、神の御使いたちがそれを上ったり下ったりしていた。

見よ、主が傍らに立って言われた。

  「わたしは、あなたの父祖アブラハムの神、イサクの神、主である。

  あなたが今横たわっているこの土地を、あなたとあなたの子孫に与える。
あなたの子孫は大地の砂粒のように多くなり、西へ、東へ、北へ、南へと広がっていくであろう。

  地上の氏族はすべて、あなたとあなたの子孫によって祝福に入る。

       見よ、わたしはあなたと共にいる。
  あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守り、必ずこの土地に連れ帰る。
   わたしは、あなたに約束したことを果たすまで決して見捨てない。」


ヤコブは眠りから覚めて言った。

   「まことに主がこの場所におられるのに、わたしは知らなかった。」 

そして、恐れおののいて言った。 

     「ここは、なんと畏れ多い場所だろう。
   これはまさしく神の家である。そうだ、ここは天の門だ。」

ヤコブは次の朝早く起きて、

     枕にしていた石を取り、それを記念碑として立て、
   

     先端に油を注いで、その場所をべテル(神の家)と名付けた。

ヤコブはまた、誓願を立てて言った。

      「神がわたしと共におられ、わたしが歩むこの旅路を守り、
      食べ物、着る物を与え、無事に父の家に帰らせてくださり、
            主がわたしの神となられるなら、
        わたしが記念碑として立てたこの石を神の家とし、
         すえられるものの十分の一をささげます。」』
              創世記 28章10-22節

 

   ヤコブは、父はイサク、母はリベカ、祖父は太祖アブラハムです。 

 ヤコブは、父イサクを偽って、双子の兄エサウから長子権の祝福を奪います。
   そのため、兄から命を狙われることになって、逃亡するのです。

           逃亡の途上、
       『天にまで達する階段の夢』で、
   父祖・アブラハム・イサクの神は、ヤコブを祝福し、
 アブラハムに与えた『神の約束』を、ヤコブにも確認されたのです。

 
  『あなたが今横たわっているこの土地を、あなたとあなたの子孫に与える。

 あなたの子孫は大地の砂粒のように多くなり、西へ、東へ、北へ、南へと広がっていくであろう。』 

      神は、
      『見よ、わたしはあなたと共にいる。   
   あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守り、必ずこの土地に連れ帰る。    
     わたしは、あなたに約束したことを果たすまで決して見捨てない。』
          ・・・と。 述べるのです。

 

神は、このように人間の嘘や過ちを通しても、
       『御計画』を実現される方なのです。

神は、人間の愚かさに左右されることなく、人間を愛して、
       『神の約束』を破ることのない方なのです。


        神は、ヤコブとの面会で、
     神は悪からさえも善を引き出し、悪を善に変えて、
     自分の『救いの計画』を推し進めていかれることを、
         私たち・人類に教えて下さるのです。


『今日の入祭唱』

      『神に感謝をささげ、その名をたたえよ。
   神は恵み深く、その慈しみはかぎりなく、そのまことは代々に及ぶ。』
                詩編 100章4&5節

 

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
自分を保ちながら多様性を認めるには、そこにまず愛がなければ無理かもしれませんね。 お元気で!