まりはな屋

地方都市で、清貧生活  

鳥も夢を見るのかな

2009年09月07日 18時29分28秒 | 日々雑感
夕暮れ時にバイパス沿いを歩いていると、鳥の大群がねぐらへ帰るのに出くわした。

その辺りの木々に鳥がねぐらを持っているのは知っていたし、群れに出くわしたのも初めてではないが

今日のような大群は見たことがない。

何羽と聞かれても困るが、とにかくたくさんの鳥だ。

たくさん、というのも間抜けな数の例え方だけれど

百や二百じゃきかないのは分かるが、じゃあ千か二千かというと、

もっといるような気もするし。

日本野鳥の会の人なら分かるのだろうか。

とにかく、鳥が嫌いな人が見たら泣き出すような大群だ。

ねぐらにしている木々の下にはおびただしい糞が落ちていて、

一本一本に何羽くらいが寝泊りしているのか計り知れないが、

以前近所の年寄りにあれは何の鳥かと尋ねたら「椋鳥だ」と教えられた。

本当かどうかわからない。

初め、大群がわーっと飛んできて電線に止まった。

木では足らずに電線で寝てるのもいるのだろうかと見ていると

いきなり電線から一気に飛び立った。

ああ、これは一休みというか、待ち合わせみたいなもので

これから近くの木に帰るのかと思って眺めていると

上空を旋回し始め、そのうちどこからともなくまた別の大群がやってきて

もう電線に止まっているのが初めの隊なのか後の隊なのか分からない。

旋回している鳥はどうするのだろうと思っていると、

またどこからともなく別の団体がやってきて合流というか対流。

よくぶつからないものだ。

水族館でさんまの回遊を見たときを思い出した。

漫画で、小さな虫が集まってお化けの形を作って・・・みたいなのがあるけれど

本当にそんな感じで旋回を続けている。

頭上を飛ぶ無数の鳥を眺めていると、別世界にいるような気さえする。

ちょうど交差点の真上で繰り広げられていたのだが

空中では鳥が行交い、地上では車が行交い・・・

その間も、ものすごい音量でさえずっているのは、別れの挨拶か家族の点呼か。

一塊がやっと木に舞い降りたかと思うと、程なくまた飛び立ち

まったく何をやっているのかわからない。

まだ薄暗い程度だから、完全に暗くなるまで、この行動は繰り広げられるのだろうか。

暗くなるまで見ていれば、すべての鳥がねぐらにおさまるのを見られるのだろうか。

毎日、帰る木は決まっているのだろうか。

早い者勝ちなのだろうか。

もめているのだろうか。

前にテレビで見た外国の鳥は早い者勝ちだった。

みないい場所を取ろうと一生懸命だったなあ。

気になるが最後まで見届けずに歩き出すと、少し離れた木に

すでに落ち着いている鳥がちらほら。

やる気がないのか、こだわりがないのか、群れるのが嫌いなのか。

はたまた、まったく別の種類の鳥なのか。

鳥に詳しい人に聞いてみたいところだ。

ヒッチコックは鳥が嫌いだったのだろうか。

ちなみにわたしの姉は鳥が嫌いで、下から目を閉じるのが嫌なのだそうだ。

嫌いな人ほど変なところを観察しているものである。

時の流れにまかせるものは

2009年09月01日 22時12分03秒 | 日々雑感
買い物に出かけると、早くも来年のカレンダーが並んでいる。

そうだ、今年も、あと三月しか残っていないのだ。

月日の経つのは早いものだと知ってはいるが、改めて驚いてみたりする。

夏に、子持ちの従姉妹と会った際におととしの話をすると

「おととし・・・遠い昔だなー」と言われ

やっぱり子供のいる人の時間の流れは早いのだろうかと感じた。

というのは、わたしは高校を卒業してからというもの人生の節目というものがなく

つまり結婚とか出産とか、もちろん子供の入学式も卒業式もないので

月日の流れが早いのは実感しているのだが、どれくらいの流れかよくわからないのだ。

ちょっと前の出来事として思い出すのが5年、10年前のことだったりする。

そりゃあそうだろう。

30歳が32になっても35になっても大した変わりはないが

5歳児が7歳になり10歳になるのは大きな変化である。

だから従姉妹にとって、2年の時の流れというのはものすごく大きなものであったと思うのだ。

わたしの身辺というのはほとんど変化がなく

ものすごくゆっくり時間が流れていると思っていたのだが

さすがに親は老いてきたと感じるし、今年のように自分の体調が悪くなると

ただ平和に流れていってくれればいいと思っていた時間も

そう思い通りにはいかないものだなーと思う。

どんなにゆっくりと感じていても、徐々に色々なものが変化してゆくのだ。

それは子供の成長のように喜ばしいものではないかもしれないけれど

受け容れなければならないのだろう。

ただ、今年も何事もなくカレンダーの最後の一枚を捨てることができますようにと

2010年度のカレンダーを眺めながら思った。