まりはな屋

地方都市で、清貧生活  

みんなで。よってたかって面倒見るのはどうだろう。

2024年05月10日 20時31分09秒 | 日々雑感
元気すぎるほど元気だった80代後半の知人。

急激な衰えように慌てふためいたわたしと、行政の対応に

温度差があったのは仕方のないことだと冷静になった今なら分かる。

一人暮らしをしている高齢者はたくさんいる。

認知症だったり、身体が不自由でも一人暮らしをしている高齢者も多い。

行政側から見れば、わたしの知人は「緊急性を要しない人」だったのだろう。

結局、遠方に住む妹さんが一時的に自宅に連れて帰ったのだけど。

あのときのわたしに何が出来たかというと、なにも出来なかったと思う。

親戚でもない人の家に泊って見守ることも出来ないし。

認知機能が衰えると大事なものがなくなったとか、誰かに盗られたとか言うこともあるし。

他人の家に一人で上がりたくない。

この間だって、もう一人の知人や民生委員の人がいなかったら上がらなかっただろう。

でも、そうすると身寄りのない人や身内が遠くにいる人を地域で見守るということは難しくなる。

それで考えたのだ。

お年寄りは複数で支えたらどうかって。

高齢者が増えてゆくんだから、それは難しいと思うでしょう?

違うんです。

2人で1人を支えるとか3人で1人を支えるんじゃないんです。

2人で2人を、もしくは3人で3人を。

なんなら、4人で5人を支えるんです。

なんじゃそりゃと思うでしょう?

介護とか支援って、一人でやってると心細いし孤独だと思う。

まして身内でもない人を見守るのは、ハードルが高い。

そこを、みんなで、みんなを見守るんです。

同じ事を毎日やるんじゃなくて、昨日掃除をした人は今日は洗濯。

今日、洗濯した人は明日は食事を作る。

一日10分とか周に一回でもいい。

メンバーが多いほど楽になる。

いや、これを考えたのはもしもわたしが高齢になったときに

10人くらい年下の友人がいて、一人が一日10分でも30分でも助けてくれたら

全体で結構、助けてもらえるなーって虫のいいことを考えたわけで。

でも実際に今、自分が高齢者に何が出来るって考えたら

フルタイムで仕事をしている以上、休みの日に1~2時間くらいしか役に立てないなーって思う。

でもそういう人が7人いれば、その人の家には毎日誰かが1時間くらいはいるって事になるわけで。

みんなでやれば負担も減るし、数人でやれば他人の家に上がる抵抗感もないし。

まあこれは、全員が善人だっていうことに基づいての考えなので

大甘は承知の上で、夢みたいなことを言ってみました。



※よってたかって、という言葉はきっといいことにはあんまり使わないね(笑)

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希望はきっとある

2024年05月09日 22時26分04秒 | 日々雑感
先日、元気だった知人(80代後半)が突然、具合が悪くなったことに衝撃を受け

地域包括センターに電話をかけてみた。

対応は親切だった。

だが、いざというときに備えたいという気持ちは満たされなかった。

それはそうだ。

介護や見守りが必要な老人は増える一方である。

多分、対症療法のような対応をするしかないのだ。

つまり、具体的に何がどう困っているかということに対して

本人の意向、家族の意向、経済的なこと・・・と対処していくのだ。

まずは介護認定を受け、ケアマネを決め、何に困っていてどうしたいのか・・・

そういう状態ではないのに、もしも両親が介護が必要な状態になったとして

わたしが介護をしていたとして、もしも骨折してしまったらどうしたらいいのだ?

なんて、起きてもいないことを心配して相談してもなんの安心材料も得られないのだ。

そのときそのときの瞬発力で決めていくしかないのだ。

ヘルパーさんを頼むのか。

短期入所に預けるのか。

誰か知人に頼るのか。

起こってもいないことを心配してもどうにもならないということを知れただけ良かったかも。

両親はまだいい。

わたしも、わたしのきょうだいもいる。

どうにかなる。

今の状態で、子供全員に先立たれるという可能性は極めて低い。

だが、わたしの老後には頼る子供はいない。

だから結婚すれば良かったのに、とか言われたくない。

そのことにはなんの後悔もないから。

わたしは今から素敵な老人ホームを探すのだ、と冗談めかした口調で同僚に話すと

「XXさんに何かあったら、わたしが駆けつけますよ」

泣かせるではないか。

「買い出しとかだって行きますよ」

あ、買い出しはアマゾンに頼むよ。

と言い返して茶化してしまったけど嬉しかった。

実際に頼れるかというと、どうだろうかとは思う。

同僚が嘘をついてるとか調子のいいことを言ってるとかいうことではない。

実際には他人を頼れないもんである。

でも、心配して駆けつけてくれる(かも知れない)人がいる、と思うことは希望なのだ。

そういうことを言ってくれた人がいるということが、これからずっとわたしの希望になるだろう。

希望で腹が膨れるかとか希望で腰の痛みが取れるかとか言いたい人は言いたまえ。

希望こそが人の生きる原動力なんだと、絶望したことのある人なら知っているはずだから。
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