私はこちらに来てから、テニスを始めた。何人かとグループを作り、週に一回テニスのレッスンを受けている。といっても、テニスのコーチ費用は高い。一時間のコーチ費用を、参加人数で頭わりする。参加人数が減ると、費用は高くなるから、参加者が確保できるときにのみ、行う。こちらでは、けっこうドタキャンは許される。もちろん逆もあって、コーチの都合で、キャンセルになるときもある。
できて、月に三回くらいだし、もともと運動神経がよくないので、上達も遅い。それでも、三年と続けていると、試合をしたり、打ち合ったり、結構楽しめるようにもなってきた。
試合が始まると、スキルだけではない、勝つためのノウハウがコーチの内容に入ってくる。私たちのレベルのテニスでは・・・・・テニスは、攻撃するのではなく、耐えて相手のミスを待つスポーツ だとか、ボールの緩急、相手の動きを見ての、プレーが大事になる。強い打球だけが決め球ではない。
だいたい、私はもらった・・・・と、思った瞬間に、決め球を必ずはずしてしまう。
さて、そんななか、先日のレッスンで面白い話を聞いた。
だいたい、その辺の試合では、審判は居ない。お互いの選手が、誠実なジャッジをすることになる。ところが、試合をしていると、判定がわからない場合が出てくる。自分はボールがどこに落ちたか見たはずなのに、分からない、覚えていない、ということがある。仕方ないから、分からないと・・・・答える。
するとコーチ曰く。判断に迷った時は、プレーをやめないこと。また、もし、自分が取れない球であったら、それは必ずイン(入っている)と、考えるように。
人間の願望が、判断をわからなくする? つまり、取れない打球は、入っているから分からなくなる、アウトであって欲しいという願望が、分からないという意識に変えてしまう、ということらしい。
ふーん。面白いことを言うなあ、と思いながら、そうかもしれないと思った。
シカゴマラソンにエントリーした私だが、実は、シカゴに参加できない理由が出てきた。そのときは、落胆したが、どこかに、これでフルマラソンを走らなくてもいいという、理由ができた・・・ほっとしている自分もどこかかに居た。
その後、事情はさらに変わり、シカゴマラソンに参加できることになった。
ああよかったと思う気持ち、半分。でれるのか・・・・どうしよう・・・・・という、気持ち半分。私は迷いなく出るでしょう。しかし、スポーツを通じても色々な心の葛藤、深層心理があって、面白いなあと、自分のことなのに、人の事のように考えている。