走れメロスは短編だった。
もしかして、昔、小学校のころ、教科書で読んだそのままが、全文だったのだろうか?
やはり、幼い頃、抱いていたイメージとはずいぶんと違うものをかんじた。
メロスは普通の人。自分を含めて、そのへんにいる、凡人だと感じる。
自分を勇者と呼び、自分のしていることを肯定し、賛美する。彼の友人の、セリヌンティスは、メロスの軽挙から、日常の生活を取り上げられ、無理やり友を信じるか・・・と、縄を打たれる。こんな話があっていいはずはない。
人を信じることができない、王に大して憤り、間違いを正すために、何も知らない友人を巻き込むことは許されない行動だと私には思える。
帰ってくるのはあたりまえであって、友のために帰ろうとする自分を賛美するなどは、信じられない。
だいたいにして。親もなく、兄と妹しか居ない環境で、自分の命を軽んじる、メロスは、ちょっと私には肯定的には捉えられない。
太宰治は、メロスを勇者と捉えているのではなく、なにか勘違いしている、エゴイスティックな人間として、書いているような気がする。
大抵は、どうしても、どこか、自分が中心になり、そこから価値判断が始まる。
自分を振り返ってみある。
あまり、自分を卑下する、演歌の世界は好きになれないが、ふうーん、自分の行動から価値基準が発せられる世界も、ちょっと考えてしまった。