映画『パリ20区、僕たちのクラス』予告編
今日も暑かったですね~、でもさすがに、日が出てない朝と沈んでからはだいぶ・・・というか少しは涼しくなってきました。
今日は暑くなる前に、というわけで5時に起きて千波君の散歩とかして、朝ご飯を食べながらTVでロシア語を見て、雑用をしながら「ゆうがたクインテット」の再放送分を見て、其のあとはシェスタ(笑)
単に、朝寝坊する時間を後ろに伸ばしただけ、という気もするが。
で、あっと言う間にお昼前になったので、カラオケ屋に出かけてクラリネットの練習。
その後は、映画を1本。
「パリ20区、僕たちのクラス」という映画で、昨年のカンヌ映画祭のパロムドールに輝いた作品です。
が、要注意なのがこのパロムドール受賞、っていうところで(笑)これ受賞してるから、=(私にとって)素晴らしい、面白い映画である、というところではない事(爆)
まーこれはアカデミー賞でも同じくですが。
大体、パロムドール獲る映画って、暗い重い痛い、っていうのが多いんだよね~・・・
というわけですが、世界的に結構批評が高かったので、まぁ判らんが見ておこう、というところで。
題名の通り、フランスのパリの20区にある中学生1クラスの様子を約1年間丹念に追ったドキュメンタリー・・・だと思ったら、ちょっと違っていました。
フランスのドキュメンタリー映画って、数本見た範囲での印象ですが、映像的には大変貴重なのですが、とにかく説明皆無、ナレーションとかテロップとかなく、とにかくその場その場を淡々とひたすらただ映すのみ、「判らんところは自分で調べましょう、判る人には判るよ」というタイプ。
対して日本のドキュメンタリーはとにかく、丁寧で初心者にでも判るように至極丁寧でナレーションやテロップを多用、出てくる現場の人物一人を主人公的に絞って物語的に進める感じ。
さらにアメリカのドキュメンタリーは、わりと動画とかアニメーションを用いて楽しくPOP的にエンタメ色豊か、また作り手が突撃、自分から動いて、という感じで「作る私が主人公」というのが見える、と言う感じかなぁ~?
どれも一長一短あると思いますが。
日本のドキュメンタリーは丁寧でいいんだけど、わりとそれをきっかけとして、興味を持って自分で学ぶというよりはそれで完結して判った気になってしまう危険性が高いとも思います。
そして、いつの間にか制作側の意図、ある一面から見た方向性=それが全てで絶対正しくかつもちろん自分もその考えである、みたいにすり替えられている危険性が高い手法とも思います。
で、この映画もフランス作品なので、どーいうドキュメンタリーかと思っていましたが、ちょっと違うっていうのは確かに映画の中の登場人物達の言葉が全てで、他にナレーションとか字幕解説が入るわけじゃないのだけど、そこにどうも演出的意図を感じる、ノンフィクションじゃなくてフィクション的な意図があるなぁ~と思ったら、やはり本当は、ドキュメンタリーではなく、ドキュメンタリー小説の映画化、という事らしいです。
なので、生徒も先生も、一見リアルに見えるんだけどカメラがそこにある事を承知で、その上での自然な演技というか半分リアルで本当、っていう感じのようです。
パリの20区は、移民の住民が多く、生徒達も半分くらいは白人のフランス人じゃなくて、アフリカ系だったりアラブ系だったり、中国人だったり。
で、人種的偏見や社会的経済的にも恵まれてはいない境遇下の子供が多いとかと、何だか「荒れた学校」っぽいので、その中で先生も生徒もいろいろ悩み、もがき、他人を傷つけ、あるいは自分が傷つけられ、の繰り返しなんですが、まーとにかくこの子供たち、うるさい(爆)
勉強したくないなら、来るな学校に!!というような奴らばかりでね~、まぁそういう演出なんだろうけど、人の言葉尻を捉えて、ギャンギャンわめくはわめくは。
こりゃ、先生もイヤになるだろうな~という感じでございました。
まぁ、勉強の意味、何故勉強が必要なのか、学校へ行くのか?とかってその意義を知るのは、やはり自分が成長して社会に出てからなんだろうな~と改めて思ったりして。
私も、あんまり学校が好きとは言えないよーな子供でございましたが、それでも今はまた学生もやってるしね。
まぁ、全然子供の学校とか勉強とは違うけど。
最初から最後まで、ずーっとそんな感じなので結構イライラする映画でした(笑←大人気ない大人なので)
で、帰宅して玄関開けたら、今度はナナがさーっと外へ飛び出して行き、隣の家との隙間にスルスル入っていってしまいました(汗)
しばらくしたら、帰ってきたのですぐ御用になりましたが。
大福兄ちゃんも懲りずに、玄関で待機しているし、まったく油断なりません・・・
今日も暑かったですね~、でもさすがに、日が出てない朝と沈んでからはだいぶ・・・というか少しは涼しくなってきました。
今日は暑くなる前に、というわけで5時に起きて千波君の散歩とかして、朝ご飯を食べながらTVでロシア語を見て、雑用をしながら「ゆうがたクインテット」の再放送分を見て、其のあとはシェスタ(笑)
単に、朝寝坊する時間を後ろに伸ばしただけ、という気もするが。
で、あっと言う間にお昼前になったので、カラオケ屋に出かけてクラリネットの練習。
その後は、映画を1本。
「パリ20区、僕たちのクラス」という映画で、昨年のカンヌ映画祭のパロムドールに輝いた作品です。
が、要注意なのがこのパロムドール受賞、っていうところで(笑)これ受賞してるから、=(私にとって)素晴らしい、面白い映画である、というところではない事(爆)
まーこれはアカデミー賞でも同じくですが。
大体、パロムドール獲る映画って、暗い重い痛い、っていうのが多いんだよね~・・・
というわけですが、世界的に結構批評が高かったので、まぁ判らんが見ておこう、というところで。
題名の通り、フランスのパリの20区にある中学生1クラスの様子を約1年間丹念に追ったドキュメンタリー・・・だと思ったら、ちょっと違っていました。
フランスのドキュメンタリー映画って、数本見た範囲での印象ですが、映像的には大変貴重なのですが、とにかく説明皆無、ナレーションとかテロップとかなく、とにかくその場その場を淡々とひたすらただ映すのみ、「判らんところは自分で調べましょう、判る人には判るよ」というタイプ。
対して日本のドキュメンタリーはとにかく、丁寧で初心者にでも判るように至極丁寧でナレーションやテロップを多用、出てくる現場の人物一人を主人公的に絞って物語的に進める感じ。
さらにアメリカのドキュメンタリーは、わりと動画とかアニメーションを用いて楽しくPOP的にエンタメ色豊か、また作り手が突撃、自分から動いて、という感じで「作る私が主人公」というのが見える、と言う感じかなぁ~?
どれも一長一短あると思いますが。
日本のドキュメンタリーは丁寧でいいんだけど、わりとそれをきっかけとして、興味を持って自分で学ぶというよりはそれで完結して判った気になってしまう危険性が高いとも思います。
そして、いつの間にか制作側の意図、ある一面から見た方向性=それが全てで絶対正しくかつもちろん自分もその考えである、みたいにすり替えられている危険性が高い手法とも思います。
で、この映画もフランス作品なので、どーいうドキュメンタリーかと思っていましたが、ちょっと違うっていうのは確かに映画の中の登場人物達の言葉が全てで、他にナレーションとか字幕解説が入るわけじゃないのだけど、そこにどうも演出的意図を感じる、ノンフィクションじゃなくてフィクション的な意図があるなぁ~と思ったら、やはり本当は、ドキュメンタリーではなく、ドキュメンタリー小説の映画化、という事らしいです。
なので、生徒も先生も、一見リアルに見えるんだけどカメラがそこにある事を承知で、その上での自然な演技というか半分リアルで本当、っていう感じのようです。
パリの20区は、移民の住民が多く、生徒達も半分くらいは白人のフランス人じゃなくて、アフリカ系だったりアラブ系だったり、中国人だったり。
で、人種的偏見や社会的経済的にも恵まれてはいない境遇下の子供が多いとかと、何だか「荒れた学校」っぽいので、その中で先生も生徒もいろいろ悩み、もがき、他人を傷つけ、あるいは自分が傷つけられ、の繰り返しなんですが、まーとにかくこの子供たち、うるさい(爆)
勉強したくないなら、来るな学校に!!というような奴らばかりでね~、まぁそういう演出なんだろうけど、人の言葉尻を捉えて、ギャンギャンわめくはわめくは。
こりゃ、先生もイヤになるだろうな~という感じでございました。
まぁ、勉強の意味、何故勉強が必要なのか、学校へ行くのか?とかってその意義を知るのは、やはり自分が成長して社会に出てからなんだろうな~と改めて思ったりして。
私も、あんまり学校が好きとは言えないよーな子供でございましたが、それでも今はまた学生もやってるしね。
まぁ、全然子供の学校とか勉強とは違うけど。
最初から最後まで、ずーっとそんな感じなので結構イライラする映画でした(笑←大人気ない大人なので)
で、帰宅して玄関開けたら、今度はナナがさーっと外へ飛び出して行き、隣の家との隙間にスルスル入っていってしまいました(汗)
しばらくしたら、帰ってきたのですぐ御用になりましたが。
大福兄ちゃんも懲りずに、玄関で待機しているし、まったく油断なりません・・・