新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

これを言うことで失うものはない

2014-01-22 09:13:06 | コラム
フェアープレーの精神は尊いが:

私は我ら日本人ほど公正・公平を尊重し論争と対立を避け、常に反省を怠らず、高飛車な態度を取らない民族はないと思っている。こう言っていることを皮肉だと思われては困る。これほど美しい精神を持つ人たちはないと信じている。だが、えげつない外国人の中にはそこを知って屡々その美しさに付け込んでくる者がいるのである。その代表的な例が我が国の北方に数ヶ国あるのが残念だ。

何度か言ってきたことだが、我が国のサッカーのA代表は出場したほとんどの世界的な大会で「フェアープレー賞」を貰っている。それほど我が国ではスポーツでも常にフェアーであれと選手を育ててきたいるのだ。私自身も「危険なタックルをしてはならぬ」と教えられた。だが、アメリカ人のフットボールコーチは我が国の大学に来て「何処までやれば反則と採られないか」を先ず教えたと聞いた。大きな違いがある。

それに加えて、我が国には欧米諸国にはない「恥の文化」がある。それは簡単に言えば「何か取るに足らない言葉の行き違い等があるとそれを恥じ入って反省してしまうようなこと」であると思っている。その出来事を先方の失策と採ることはなく反論せず、我が身を責めてしまうような傾向を指して言っているのだ。しかし、困ったことに外国人はそこを美しく且つフェアーな態度だとは思わないのである。過失を認めたと解釈する傾向があるのだ。

その辺りは私は「狩猟民族の論争と対立を回避する姿勢」と言ってきた。問題点は外国勢、特に欧米人、就中アメリカ人は「他人と意見が異なるのは当然で、その点を徹底的に論争して論破しようとする狩猟民族であり、仲間内でも対立を怖れない」のである。彼等は徹底的に討論しても簡単に感情的な痼りを残さない特性があるのだ。しかし、我々の多くはこういう狩猟民族の特性を知らず、彼等も日本人は論争と対立を好まないとは思っていない。だから議論を挑んでくる。

故に、彼等はごく自然に「これを言うことで失うものはない」という姿勢で普通に語りかけてくるのだ。これは我が国の側では論争を吹きかけられ、やり方次第では外国人と対立するかも知れないと危惧し、先ず落としどころというか妥協点を探ってくる。または、何処か何かを攻められると、そのことを自分たちに問題があったのか、何か非があったのかと恥じ入ってしまうことすらあった。言うなれば、屡々謙虚に守りの姿勢に入るのだ。

彼等の中には確かにゲーム感覚で"We have nothing to lose by saying this."的なことを言って攻めてくることもあるが、これを真剣に重大なこと捉える必要がないと思う。だが、時と場合によっては我が身を責めて反省される方がおられたのは確かだ。

ある時、ある補償程度の金額になる品質問題が発生し、当方の責任であると承知した上で交渉に当たった最も穏やかな性格の技術サーヴィスマネージャーが本当に何気なく「勿論当社の製品にも問題があるが、御社の加工方法に問題はなかったのかな」と言ってしまった。その瞬間に、得意先の購買担当者と技術者の顔色が変わって「暫しご猶予願いたい」と全員退席してしまった。

残された我が方は何事かと唖然としていた。すると戻ってこられた購買担当者が「誠に申し訳なかった。現場に確認したところ我が方の対応に問題があったと判明した。求償金額を半減するのでご理解を」と言われた。そこで交渉は終わってしまった。我が方は再度唖然とした。マネージャーは全く予期せざる結末で、結果として損失を減少させてしまったのだった。

この場合は得意先が反省し謂わば恥じ入られたと解釈出来るが、中にはこういう「これを言うことで」式交渉術を「我々を舐めた高飛車な外国人の態度だ」と猛反発される強気な方もおられる。なお、お断りして置くが我が方はそういう姿勢を採る会社ではなく、ここでは飽くまでも一般論である。私が言っていることは「我が国に対して先手必勝的に『これを言うことで』戦法で向かってくる国があること」なのだ。

私はそういう態度だと見抜いた場合には論争と対立を怖れることなく真っ向から反論していくべきだと思っている。ここで重要なことは感情論にならないでと言うか感情論を避けるべき点だ。更に我が方にも非があったかなどと恥じ入ってはならないことだ。注意すべきは中には「日本側は常に感情に訴えて中々議論の核心に入っていかない」と承知して、感情論を排除する作戦に出る相手もいることだ。

何れにせよ、我々も先手必勝で「これを言うことで」戦法を採って、感情論を避けて、論争と対立を怖れずに議論をして、正々堂々と相手を論破する時が来たと自覚して良い時期が来ていると思う。"disappointed"と言われて直ぐに反省するべきではないのではないだろうか。誰かが指摘していたが、アメリカの公式見解の発表では"disappointed"は単なる常套句だと言って。