新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

高校サッカーに思う

2014-01-06 09:20:26 | コラム
トーナメント制の弊害か賜物か:

昨5日も室内に閉じ籠もってテレビのスポーツ中継ばかり見ていた。午前中にはNHKのBSでNFLのフットボールの録画があって十分に楽しんだが、これを採り上げて語ろうというのではない。その後の高校サッカーが面白くもつまらなくもあった点である。

中でも注目したの高校総体で優勝したと聞く市立船橋と昨年準優勝だった京都橘の準々決勝戦だった。日頃、我が国のA代表や女子の代表のゴール前の危機的状況からのクリヤーでも繋いで綺麗なパスのサッカーを展開する試合運びを見慣れていた目には、この我が国の高校サッカーを代表するのだろう両校のやり方は極言すれば「粗野」だったと見えた。

兎に角両方とも細かく繋いでいこうという意図が見えず、力強く前にいる味方にパスかとも見えるような強いキックで繋いでいき、走りまくってシュートに持っていこうとする、一昔前の力任せのサッカーかのように見えた。しかし、負ければそこで終わりのトーナメント制のゲームなので、飽くまでも安全を期して決して無理することなく、自分のゴールのそばからは細かく繋ぐ意思がなく大きく遠くに蹴って危機を未然に回避して、もしそのクリヤーからチャンスが生まれれば上出来だと考えているかのような蹴り合いで、高い水準の個人技を活かさないかの如き大味なサッカーに見えてしまった。

A代表との違いは「確かに高い水準にある個人技で攻め上がってパスをするのではなく、何とかシュートにまで持っていこうとの意図が見えた」のだったが敵も然る者で下がって待っているので、恰も壁に向かってシュートを蹴っているのかの如くだった。結果的には想定上位校の船橋は無得点に終わり、Jリーグ入りが決まっていると聞いた橘の小松屋の2点で京都が勝ち上がった。

私には今日の我が国のサッカーの原石のような形を採りながら、自分のゴールの近くからは逃げて安全を期そうという策を採って、組織的な攻め方をしないのは矛盾かなと思いながら見ていた。しかし、高校の頃から「パス回しのためのパス」をしないサッカーをやっているのは救いであるとも感じていた。

小松屋君だが、2点目を左サイドを走ってドリブルしながらボールを右足に回して「ゴールに対する角度を広げた形」にして決めたのは理にかなっていて良かったと評価している次第だ。あれを左足に回すと、右足が球の進む方向の角度を狭めてシュートの精度が低くなると、昭和20年に中学で教えられていたものだった。

現在の高校サッカーを見ていると、優れた素材は高校で部活をせずにJリーグ等の下部組織でサッカーの訓練に励んでいると見えて仕方がない。正確に数えたことはないが、A代表で一軍に残っている者や選ばれてきている者には下部組織から上がってきた者が増えているようだ。

これが良いことかどうかは別問題だが、私はサッカー部を持つ高校が4,000を超えている現状では、4,000人以上もの将来のA代表の原石となる素材を教え込める優れた監督やコーチがいるわけなないと考えている。それに、トーナメントを勝ち上がるためには子供たちを小さくその水準に合わせて育てていく結果になってしまうので、大成しない人材を育てる危険性が高いと考えている。この辺りは、大学に駅伝のためにマラソンの優れた走者が育ってこないのと同じだと言いたいのだ。

我が国の安全性を他国で期待するな

2014-01-06 08:27:46 | コラム
他国では期待できない我が国の安全性:

私は我が国の新婚旅行者がエクアドルで流しのタクシーに乗ったためにまたして命を落とされた痛ましすぎる事件の一因には、我が国の安全性があるのではと考えている。私は日系アメリカ人までも含めて来日した多くの外国人から我が国の安全性を賞賛する声を聞いている。これは誇りに思って良いことである。

私は1970年から今日まで東南アジアを始めとして北米、欧州、韓国、中国等で約20ヶ国を歩いてきたが、これだけでは決して広く世界を見てきたとは言えないと考えている。しかしながら、何処の国に行っても、個人の旅行であろうとパック旅行であろうと、街中を歩き時には常に出来る限りの警戒心を持って行動していた。

我が国以外は危険であると思え:

見方を変えれば、「世界の何処に行っても我が国内の安全基準で行動するな」ということである。私は以前から「どんな危険なところに行っても何か重大な事故ないしは事件が我が身に降りかかってくるまでは、そこでの安全が確保されていると思ってしまう」と主張してきた。即ち、「何だ、ここでも日本と同じで安全ではないか」と認識してしまうということ。

だから油断が生じるのであろう。勿論、外務省からも、旅行社からも、駐在員からも、友人知己からも海外での行動についての警戒警報が発せられているものだ。だが、繰り返すが「何かが起きるまでは危険があるとは解らないこと」なのである。知れ故に、日本国内の基準で海外を見てしまうのだろうと考えている。

「かと言って異常に警戒してはならない。交差点で信号を見て忠実に立ち止まらない方が無難」と、1990年にニューヨークの駐在員に教えられた。襲う方はそういうキョロキョロしている人を探して狙ってくるのだと聞かされた。彼は「何もNYに限らずアメリカ国内で、向こうから怪しげな者が来たら躊躇せずに(車を避けてでも)反対側の道路に逃げる方が良い」とまで言った。

それでも、私は(家内と共に)ソウルでも、初めて行った上海でもパリでも地下鉄に乗ってみた。パリを除いては直ちに席を譲られたほど安全だった。だが、この行動だって偶々何事もなかっただけで無謀だったとなるかも知れないのだ。上海では躊躇わずに流しのタクシーに乗ったが、ソウルではホテルからか「模範」と表示された車だけ拾った。

パック旅行だったフィレンツエでは確かに噂に聞く新聞紙で目隠ししようとしてきた子供たちに狙われた。だが、添乗員の事前の指示通りに日本語で一喝して退散させた。それほど警戒していても1985年10月にはシアトルの郊外で車の貰い事故の被害者になり、危険なはずの自動車である救急車で救急病院に送られた。矢張りアメリカは危ないと思ったが、それ以降でもアメリカに行くことを続け、車には十分に気を付けている。

長々と述べてきたが、陳腐な結論としては「自分の身は自分で守るしかないのだが、我が国の安全性は世界の何処に行っても期待でないと自覚した上で、警戒し過ぎているなと思わせない程度の警戒心を常に持って(周囲をキョロキョロと見回さない程度に)石橋を叩いて渡るのが無難だ」となる。

現金(Cash)は最小限度に:

警戒態勢以外に危険なことが「我が同胞には依然として現金を持ち歩く方が多く、クレディット・カードを嫌われる方多い」点だと思う。即ち、襲う側は「日本人は現金を持ち歩く」との情報を持っているらしいのだ。私は大体10ドル程度しか持ち歩かないようにしていた。

服装を考えよう:

なお、「明らかに現地人の服装と異なるような我が国の旅行者の地味?な服装は狙われやすいとも言える」と考えている。私はこれまでに歩いてきた全ての国で、我が同胞と判断する基準をこの服装に絞ってきたほど解りやすいのである。表現が難しいが「寛いだ服装とは如何なるものか」を解っていないのだ。

中でも特徴的なのが、あれほど危険性が指摘されても「ウエスト・ポーチ」とやらを巻いていることである。あれは明らかにここに貴重品ありと示すことになるのだ。バルセロナでは自由行動になってほんの数分後にこれを巻いていたご婦人が被害に遭った。