マスコミの過剰な本田圭佑賞賛報道に思う:
本田がACミランで初の先発出場で1点入れたら、あの絶賛報道の嵐である。ミランでもA代表でも彼は点取りに特化したポジションにはいないが、かなり得点能力は高いと評価している。私は既に本田は上手いと言ってあった。あの得点の場合も忠実にあそこまで上がっていったからこそ、GKがはじいた球を綺麗に蹴り込めたのであって、良く詰めていたと褒めても良いし、上がるのが当然のことと褒めなくても済むかも知れない場面だった。
そう言って思い出してみれば、彼はかなり嗅覚が鋭く見えないところから飛び込んで蹴り込んだ場面が何度かあった気がする。守る側からすれば要注意人物だろう。ではあっても、私はフィールド外でイタリアのファンをインタビューして、本田を絶賛させるのを聞かせる姿勢は如何なものかと思う。即ち、大勢に聞けば中には「本田はもう一つだ」と批判した人もいたかも知れないが、それを採り上げては視聴率が伸びないだろう。それだけではなく、地元紙の本田賞賛の記事まで見せてくれていた。
既にあの詰めが良かったと私は言ったし、良いプレーだったのは間違いない。マスコミ自身がイタリアの新聞は厳しいから最初は良くても、何かあればケチョンケチョンだと報じていたではないか。私はマスコミが欧米人の社交辞令の巧みさというか、当人を目の前にしてもすらすらと歯が浮くようなお世辞を臆面もなく言ってのけるのを数限りなく経験してきた。その巧みさというか「腹にもないだろう事を良くもヌケヌケと言えるものだ」と感心し且つ呆れてきた。
あれは異文化の別世界でのことで我が国にはないことであるくらいに認識すべきだと言いたい。
即ち、あのファンの本田賞賛も新聞記事も「初対面のご挨拶程度だ」と思って見且つ聞いていれば無難だと思う。私はまさか親愛なるマスコミがそれくらいのことを知らないとは思いたくない。承知して言っているのだったら、ファンを愚弄するものだと非難したい思いだ。英語などまるで解らない家人はアメリカで当方が精魂込めてする通訳を聞いただけで、「外国人はお世辞が上手すぎでイヤだ」と断言したほど、その我が同胞には到底真似出来ない上手さをい見抜いていた。
望むらくは、本田君がこれから先のリーグ戦等で、如何に欧米のサッカーを読み切ってプレーして絶賛の嵐の期待に応えて活躍することだ。恐らくセリエAの各クラブは既に綿密な本田スカウティングを開始して、彼の長所短所を調べ上げて彼を封じる対策を練っているだろう。本田の真価が問われるのはこれから先のことで、挨拶代わりの賛辞を真に受けていてはどうにもならない。
欧米人の世界では高額の年俸で迎えられた以上、それに相応しい働きが出来なかったならばどうなるかなどは考えなくても解ること。我が国だって同じかも知れないが。言うなれば、未だ「本田。ここから先は気合いを入れて目にもの見せてやる気で頑張れよ」の場面になったに過ぎないのである。
本田がACミランで初の先発出場で1点入れたら、あの絶賛報道の嵐である。ミランでもA代表でも彼は点取りに特化したポジションにはいないが、かなり得点能力は高いと評価している。私は既に本田は上手いと言ってあった。あの得点の場合も忠実にあそこまで上がっていったからこそ、GKがはじいた球を綺麗に蹴り込めたのであって、良く詰めていたと褒めても良いし、上がるのが当然のことと褒めなくても済むかも知れない場面だった。
そう言って思い出してみれば、彼はかなり嗅覚が鋭く見えないところから飛び込んで蹴り込んだ場面が何度かあった気がする。守る側からすれば要注意人物だろう。ではあっても、私はフィールド外でイタリアのファンをインタビューして、本田を絶賛させるのを聞かせる姿勢は如何なものかと思う。即ち、大勢に聞けば中には「本田はもう一つだ」と批判した人もいたかも知れないが、それを採り上げては視聴率が伸びないだろう。それだけではなく、地元紙の本田賞賛の記事まで見せてくれていた。
既にあの詰めが良かったと私は言ったし、良いプレーだったのは間違いない。マスコミ自身がイタリアの新聞は厳しいから最初は良くても、何かあればケチョンケチョンだと報じていたではないか。私はマスコミが欧米人の社交辞令の巧みさというか、当人を目の前にしてもすらすらと歯が浮くようなお世辞を臆面もなく言ってのけるのを数限りなく経験してきた。その巧みさというか「腹にもないだろう事を良くもヌケヌケと言えるものだ」と感心し且つ呆れてきた。
あれは異文化の別世界でのことで我が国にはないことであるくらいに認識すべきだと言いたい。
即ち、あのファンの本田賞賛も新聞記事も「初対面のご挨拶程度だ」と思って見且つ聞いていれば無難だと思う。私はまさか親愛なるマスコミがそれくらいのことを知らないとは思いたくない。承知して言っているのだったら、ファンを愚弄するものだと非難したい思いだ。英語などまるで解らない家人はアメリカで当方が精魂込めてする通訳を聞いただけで、「外国人はお世辞が上手すぎでイヤだ」と断言したほど、その我が同胞には到底真似出来ない上手さをい見抜いていた。
望むらくは、本田君がこれから先のリーグ戦等で、如何に欧米のサッカーを読み切ってプレーして絶賛の嵐の期待に応えて活躍することだ。恐らくセリエAの各クラブは既に綿密な本田スカウティングを開始して、彼の長所短所を調べ上げて彼を封じる対策を練っているだろう。本田の真価が問われるのはこれから先のことで、挨拶代わりの賛辞を真に受けていてはどうにもならない。
欧米人の世界では高額の年俸で迎えられた以上、それに相応しい働きが出来なかったならばどうなるかなどは考えなくても解ること。我が国だって同じかも知れないが。言うなれば、未だ「本田。ここから先は気合いを入れて目にもの見せてやる気で頑張れよ」の場面になったに過ぎないのである。