新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

大久保通りでインド人と語り合った

2014-01-24 14:41:33 | コラム
中国人が増えてきたのは?:

24日の昼前のこと、散歩のコースを変えて小滝橋通り方向に週刊文春だったかが写真入りで紹介していたチュニジア料理店・Hannibalを探しに行ってみた。なるほどあった、当たり前か。だが、ランチのメニューが出ておらず、お馴染み?のクスコ入りの料理などが¥1,600とあったのは「良い値段だ」と敬遠して帰ってきた。

その帰り道に大久保通りに週替わりで見切り品というかバッタものを売っている場所に一風変わった織り方と色彩のデザインの裏地がフリースの暖かいジャケットを展示されていたので、足を止めて眺めていると店主に声をかけられて冷やかしに入って見た。彼はインド人だった。デパートでは¥25,000もするものを¥5,900で出していると勧められた。デパートでこんなものを売っているかと訊くのは止めた。因みに、彼はインドの北部出身者で顔色はそれほど黒くないのが特徴だ。

インド人だったら日本語ではなく英語で話そうとなって、少しの間語り合ってみた。「この辺りは中国人が急速に増えているではないか」と言えば「確かにその通りであの増え方は決して良いことではない」と言うので、即刻賛意を表した。「私はこの辺りの韓国人は中国人ほど害はないのではないか」と水を向けると「日本の人は中国人を解っていない」と応じてきた。インド人が具体的に何処を指して言うのかまでは確認しなかったが、そういう認識があるのが興味深かった。

実際に高田馬場方向と新大久保駅前に向かう路地にある日本語学校に来る沢山の若者には、中国語を話しているものが圧倒的多数だ。韓国人は一体何処に行ってしまったのかと思わせてくれる。まさか、習い覚えた日本語を活かすべきアメリカに行ったのではあるまいな、XX婦の像等のロビーィング活動のために。考え過ぎか!

更に「新大久保駅前にパキスタン、バングラデシュ等のイスラム教徒のハラルフードを売る店が激増し、人も増えたのをどう思うか」と尋ねると「それは仕方ない。あの辺の建物の2階にイスラム教のお寺が出来ているので、礼拝のためにもイスラム教徒が集まるのだ」と解説してくれた。知らなかったが、この情報は収穫だった。

そこで、日本人の英語力論となると「日本人には滅多に英語圏の人たちと渉り合うだけの英語力を備えた人がいない。しかも英国系とアメリカ系の英語の違いも解っていない。これは国際化された現在では良いことではない。本当の英語を話せる人をもっと増やさねばなるまい」と言われてしまった。残念ながら真実だと思うので「君らの英語はヒンズー語の抑揚そのままなので、直ぐにインド人と解る」とは言ったが、賛成せざるを得なかった。そこでお客様が入ってきたので冷やかし止めて" Nice talking to you."と言うに止めて退散した。

我々二社間の関係を尊重せよ

2014-01-24 09:12:04 | コラム
続・顔を立てる事:

感情論とした方が適切かも知れない。我が国の会社間の取引関係で重要な事柄に「二社間の友好関係」ないしは「信頼関係の確立」があると思う。私はお互いのその確立というか獲得に懸命の努力を惜しまないと認識している。美しくも良きことだと思っている。海外の取引先とも美しい関係というか言わずとも解り合う間柄の構築に努力されていると解るし、こちらからもそれなりの努力する。信頼がなければ安心して取引出来ない。

しかし、私が経験した限りでは日本側からは屡々「そういうことをする」か「そういう申し出でをすれば」か「そういう強硬な姿勢を採られては」か「かかる無理無体を言われ」ては、「両者間で長い年月かけて努力して樹立した好関係に傷が付くので再考願いたい」と主張され違和感を覚えて反論したものだった。この反論はかなりぎりぎりの場合に切り出される、言わば危険信号だった。

その裏には「お互いのこれまでの取引関係があれば「言わずとも我々の真意はお解りでしょう」が秘められているのだ。だが、多くの欧米人は「言われていないことを解らないし、勝手に推定しない」ものなのである。

そこで我々も再考するというか作戦を変更せざるを得ないこともあるにはあった。日本側から見れば有効な交渉術だったのだろう。しかし、理論的ではなく「何処をどう考え治せ」でも「この点が無理筋だ」との指摘でもない。ではあっても、譲歩せねばならない時もあるにはあった。その後で仲間内で言い合ったことは「あれは感情論であって余り議論の体を成していないが、言外の主張が理解は出来る」だった。

中には副社長兼事業部長のように「我々は美しい両者間の関係と取引しているのではない。感情論に左右されたくないが、我が社の申し出に対して何を望んでいるかを言外に読み切ったので、今回は譲歩してあの場を収めた」との決断を下すこともあった。即ち、得意先の顔を立てはしたが、好関係論に屈したのではないということ。

我が副社長は切れ者で、我が国の美しき感情的な思考体系ないしは国民性というか、欧米との文化の違いを認識していたので、折り合うこともあっただけのことである。即ち、彼等を感情論で攻めても余り効果は期待出来ないと思っている方が無難なのだ。

「マイネームイズ~」は古いのか

2014-01-24 08:12:49 | コラム
学校でそう教えられた:

今週の週刊文春では林真理子の連載のエッセー"夜更けのなわとび"に「マイネームイズ~」と言ったら「多くの白人がみんな苦笑している。今は使われない古めかしい英語だそうだ。(中略)ほとんどの教科書で使われているから驚くではないか。つまり教科書では文法的に正しくて受験にはでる英語を教えなくてはならない」とある。

誠にその通りであって、我が国の学校教育における外国、特に英語の酷さというかその教え方のおかしさを長年指摘してきて、近年は多くの大学で教鞭を執っておられるTK博士とKS氏とともに改革すべきだと主張してきた私に言わせて貰えば「林さん、良く仰って下さいました」なのだ。"Better late than never"で林さんが指摘してくれたことは大いに結構であると思う。

序でに他の例も挙げておけば、スポーツの中継でアナウンサーも解説者も「左利き」を「サウスポー」(=southpaw)と言う。私は戦後間もなくラジオの野球中継で「アメリカでは左腕投手を左腕投手という」と解説されたのを聞いた記憶がある。1980年代に入ってW社の同僚と話している時にこの言葉を使ったところ、「随分古い言葉をしているな」と尊敬?された。因みに、ジーニアス英和に"left-hander"とあった。某N大監督は「レフティー」をお好みだが、leftyは立派な英語である。

実はかく申す私は「マイネームイズ」派だったかも知れない。だが、1972年にアメリカのM社に転進しコネティカット州の事業部本部でマネージャーと初めて会った時に"I am so and so."と名乗られて「アレッと」なった。アメリカ人は「マイネームイズ」とは言わなかったのだった。その後ある程度関心を持って聞いていると「アイアム~」が圧倒的多数派ではあるが、「マイネームイズ」と言う者も確かにいると判明した。それはクラシカル音楽の愛好者だっているということと同じではないかな。

ここで、我が国の英語教育改革派として結論めいたことを言えば「英語教育に携わる方々は何が英語圏で使われている正統派の表現であるかを十分に調査研究してから教えるべきである。通じるという点では"My name is ~."でも十分に役に立つし、それはおかしいなどと外国人は言わない。だが、良く考えるまでもないが、我々自身が初対面の際に『私の名前は~です』と名乗るかどうかを思えばどちらが好ましいかが解ってくるはず」なのである。

何れにせよ、受験対策とTOEIC対策のための如き英語教育では「英語圏の人たちと真正面から論争して勝つこと」や「自分が本当に主張したいことを解らせるような英語」には容易にならないのである。本当の英語をお解りでないままに教えて方を再教育でもしないと、何時まで経っても「「単語を並べたら通じた」と喜んでいるような人が多く出てくる結果になってしまうのだ。

後難を怖れずに言えば、本田圭佑がミラノで挨拶した英語のように文法的な誤りがあっても「流暢な英語」などと賞賛することになるのだ。本田君があそこまで言えたのは立派だが、外国で話す英語は如何なる英語であるべきかを教えていないのだから仕方があるまい。