76歳に関する疑問:
1997年だったか、某商社のお手伝いをしている時に、銀座の中央通りで偶然に高校の同期でF電機の系列会社の社長を退任したばかりのE君に出会った。その時の話題の一つに日本興業銀行(現みずほ)頭取に就任が決まった西村正雄君(今や故人である)があった。E君は絶対就任否定というか64歳にもなった彼がなるべきではないと断言した。「俺は辞めて清々しているのに」とまで言った。
彼は「社長になれば激職であるのは当然だが、全ては秘書が決めてしまうので時間も行動も自分の思うようにはならないことが多く、ストレスが堪る。極論すれば、一日24時間を通して自由など全くないほど拘束される。しかも会社の内外で自分の与り知らないところで何が起きても責任は自分にかかってくるのだ。自分のように子会社の社長でこういう状態だから、興銀の頭取ともなればその何十倍も大変だろう。60歳台の半ばで引き受けるポストとは言えない」と聞かせてくれた。
そして、歴史に残るあの三行合併を果たした西村君については、その後の同期会でも(産業界の一部でも?)ある噂が飛び交ったものだった。西村君は2006年の1月に73歳になったかどうかも解らない、同期の間でも早い部類に入る亡くなり方をしてしまった。残念だった。
私には東京都知事と興銀の頭取の何れが激職かなどは知る術もないが、少なくとも76歳になってから打って出る地位ではないと思う。同期の石原君には勤まったという声もあるだろうが、彼には毎日登庁しなかったとの噂があるし、だから勤まったとも言われている。だが、自分の80歳までの経験と後期高齢者として謂わば病身になったことも考えれば、ご無理なさって頂きたくはないと思う。即ち、都民のためにはなるまいと言いたいのだ。
自分でも、未だに60歳の頃の自分と何処も変わっていないと思っているが、それは単なる思い込みで錯覚だと自分に言い聞かせている今日この頃だ。小泉元総理も恐らく「今でも俺が何か一言言えば、世間は納得する」と思っておられるのではないかと危惧するのだが。そう思っていれば幸せだが、国民の幸せにはならないだろう。
1997年だったか、某商社のお手伝いをしている時に、銀座の中央通りで偶然に高校の同期でF電機の系列会社の社長を退任したばかりのE君に出会った。その時の話題の一つに日本興業銀行(現みずほ)頭取に就任が決まった西村正雄君(今や故人である)があった。E君は絶対就任否定というか64歳にもなった彼がなるべきではないと断言した。「俺は辞めて清々しているのに」とまで言った。
彼は「社長になれば激職であるのは当然だが、全ては秘書が決めてしまうので時間も行動も自分の思うようにはならないことが多く、ストレスが堪る。極論すれば、一日24時間を通して自由など全くないほど拘束される。しかも会社の内外で自分の与り知らないところで何が起きても責任は自分にかかってくるのだ。自分のように子会社の社長でこういう状態だから、興銀の頭取ともなればその何十倍も大変だろう。60歳台の半ばで引き受けるポストとは言えない」と聞かせてくれた。
そして、歴史に残るあの三行合併を果たした西村君については、その後の同期会でも(産業界の一部でも?)ある噂が飛び交ったものだった。西村君は2006年の1月に73歳になったかどうかも解らない、同期の間でも早い部類に入る亡くなり方をしてしまった。残念だった。
私には東京都知事と興銀の頭取の何れが激職かなどは知る術もないが、少なくとも76歳になってから打って出る地位ではないと思う。同期の石原君には勤まったという声もあるだろうが、彼には毎日登庁しなかったとの噂があるし、だから勤まったとも言われている。だが、自分の80歳までの経験と後期高齢者として謂わば病身になったことも考えれば、ご無理なさって頂きたくはないと思う。即ち、都民のためにはなるまいと言いたいのだ。
自分でも、未だに60歳の頃の自分と何処も変わっていないと思っているが、それは単なる思い込みで錯覚だと自分に言い聞かせている今日この頃だ。小泉元総理も恐らく「今でも俺が何か一言言えば、世間は納得する」と思っておられるのではないかと危惧するのだが。そう思っていれば幸せだが、国民の幸せにはならないだろう。