新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

20日夜のTVタックルに思う

2014-01-21 13:48:05 | コラム
この世には多種多様の意見がある:

テレ朝は何故か知らないが、この番組を恣意的に時々放送するだけになった。月曜の9時には毒にしかならない芸人を集めては、妙なクイズ番組でお茶を濁すようになった。昨20日の夜は久し振りにまともなのだろうジャーナリストや評論家と代議士を集めて靖国参拝、中韓問題、集団的自衛権、都知事選挙等を論じさせていた。

その内容は兎も角、私は以前から「真実は一つ」と何とかの一つ覚えの如くに言うマスコミやジャーナリストの議論を否定してきた。それは私は「真実は一つではなく、出来事が一つである。その人の知識・経験・思考体系・主義主張・学識・教養等が異なるのが当然で、それ次第で出来事や物事を見る角度と立ち位置が変わってくるのが当然だ。同じ一つの出来事でもそういう背景があって、人によってそれぞれが全く異なる見解なり意見なりとなる。だが、多くのジャーナリストは自分が見た出来事が唯一の真実であると思って報道する」と言ってきた。

しかし、これまでは何故か遠慮して言わなかったのだが、その立ち位置を最終的に決定する要素は「頭脳がそれほど明晰か」にかかっていると思うのだ。その基準で昨夜の議論を聞いていれば「何だ、この人は」と思わせられたものだった。

私はジャーナリストやマスコミの方々はそれぞれが培われてきた力で、出来事を裏から表から見る、あるいは取材出来る立場にあって、その出来事の全体について、一般人よりも遙かに広く、深く、詳細に知り得るし膨大な情報量を持っていると思っている。だが、彼等はその知り得た内容の全部を報じるのではなく、自分自身の総合的な判断力から見た面だけを言うのであり、知り得たことの全体を伝えていないと見ている。彼等が見た表を言って裏は言わないと疑っている。しかも、彼等はそれを如何にも全体の如くに言っていると思えてならない。

昨夜もNHK出身の有名評論家は天上天下唯我独尊的な決め付けたものの言い方で「何だ、その程度か」と思ってしまった。しかし、彼にしても社会党から自民党に移った辻元某等と比較するのも失礼なくらい正常な人物だと思って聞いていた。自民党で安倍総理の懐刀だったの江藤某は言葉尻をとらえられないように懸命だったのが痛々しかった。

マスコミをもひっくるめて言えば、彼等は一般の方が面白いと思ってくれるような材料を懸命に選んで権威的に報じているだけで、その判断の基準を誤ったらどうなるかの考えが不十分だと思う。視聴者に向かって「真実は一つと私が判断したので、これを正しいと思ってくれ」と言いたげなのは不見識だと思う。一方的な見解を押し付ける朝日などは不当だと思う。「視聴者の中には君たちよりも物事をご承知の方が多いのだぜ」と言って上げたくなることがある。

特に外国の事情や、先頃のアメリカ大使館の"disappointed"声明の解釈などは、悪しき単語帳尊重の英語学習の産物としか思えないお粗末なものだったほど、その実態に暗い。しかも、彼等は自分で物事を産み出しているのではなく(アメリカ式には"They are not making the things happening."等と言うが)製造業者は(あるいは政治家も?)「我々が当事者で事を起こしている。それを見ているだけの外野が何を言うか」と言っていることもあると知って貰いたい。

但し、当事者は世間様がどう見ておられるかをマスコミを通して聞く姿勢を維持しなければなるまい。何故ならば、ジャーナリズムの方がライバルの裏と表の情勢にも通暁していることが多々あるのだから。但し、情報を聞いた側に取捨選択出来る能力が必要であるのは言うまでもないこと。