新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

スマートフォンはアベノミクスの阻害要件では

2016-12-09 07:28:52 | コラム
毎月の費用が3万円では:

先日、商社マンとの懇談で「スマートフォン1台当たりの毎月の支払いが少なくとも3万円」と聞いたばかりだったが、昨日はバスに若い母親が2人の男の子を連れて乗ってきた。彼らは早速スマートフォンを取りだして忙しげに何かを始めた。少しは会話もあったが、その内容から察するに子供たちは中学生と小学校6年生だった。私はこれは家計的には大変なことではないかと思った。

と言うのは、恐らく父親も持っているだろうから、この一家には4台のスマートフォンがあることになり、最低でも月にその支払いが12万円となってしまうのだ。あの若さの夫婦では仮に母親も働いていたとしても、毎月12万円の出費は家計にとって大きな出費となってしまうだろうと推定したからである。しかも、子供たちの学費もかかるし成長期とあっては良く食べるだろうから食費も嵩むだろう。それでは個人消費に回せる可処分所得は最低額になってしまうだろと、勝手に考えていた。

私は古き時代に育ったから、子供にあの様な玩具を持たせるのは如何なものかと思っている。しかし、子供たちから「皆が持っているから」と言われれば逆らえないだろうとも承知している。持たせる方も自分が使っていては抵抗出来ないだろう。ここまで来てしまったICT化の流れは止めることなど不可能だろう。

先日の早朝、当アパートのエレベーターで乗り合わせた登校するところと見えた中学生は、乗ってきたかと思えば寸暇を惜しんでスマートフォンに熱中し始めた。それがゲームかラインか知らないが、そのまま1階で降りて走り去った。街に出れば歩きスマホや運転中スマホなど幾らでも見かけることが出来る。それが何とかゴーなのかどうかなど解る由もないが、兎に角あの矩形の箱を耳に宛がっている人を見かけるのは希だ。

遠回りしてしまった。言いたいことは「あれほど大多数の人がスマートフォンに入れ込んでいれば、自ずと可処分所得から相当の金額を割かねばならないだろう。そうであれば、我が国のGDPの60%超を占める個人消費が伸びてこないのも仕方がないのではないのか」なのである。しかも、そこに絶好の機会を見出してゲームを売る新興勢力が蔓延っているのだから、多くの消費者が物を買う余裕がなくなるのも当たり前かなと思っているのだ。

「スマートフォンも持っていないのに何を言うのか」と言われそうだが、誰もが言う「電車の中で新聞や雑誌や本を読んでいる者を見かけないが、スマホに指を動かしている者は沢山いる現象を何とする」と言いたくもなる。ガラケーだって入院中に方々に連絡せざるを得なくなって使っていたら、その支払いが8,000円を超えて後期高齢者は青くなったものだった。私は考えすぎだろうか。