新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

12月12日 その2 ラグビーとサッカーとそしてフットボール

2016-12-12 15:56:51 | コラム
11日は2種類のフットボール観戦だけで過ごした:

昨日は早朝5時の室内温度が19度と外では真冬の寒さと知ったので、御身大事に外には出ず専らスポーツ観戦で過ごしていた。午前中は兎も角、午後からは先ずラグビーのトップリーグで、神戸製鋼対東芝の一戦から始めた。言いたくはないが、東芝に良くこの種のスポーツに出資を続ける余裕があるものだと半ば感心していた。ここまでの戦績を見せられても連敗続きのようで、往年の東芝のラグビーではないようだったが、実際に見たところでは往年の故平尾誠二が在籍していた頃ほどではない神戸製鋼にしてやられていた。

試合の内容も兎も角、トップリーグや大学のラグビーを見ていても、サッカーの代表選手たちの貧弱とでも形容したい体格と比較して、ラグビーの連中が余りにも優れているのには、言いたくはないが情けない思いである。この点については1990年代から論じてきたことでもあるし、アメリカンフットボールのXリーグのテイームのトレーナーの連中からも「サッカーは思い違いをしていてウエイトトレーニングが不十分だ」と聞かされてきたので、昨日もあらためてサッカーとの差を痛感しながら観戦した次第だった。

試合の結果をここで論じる必要もないだろうが、一言感想を述べれば、最近の傾向として国際試合でも何でもスクラムで“コラプスイング”等の潰すのか潰される反則が多いのがやや興醒めである。それは綺麗で素早いヒールアウトからの展開を期待しているので言うのだ。確かにFWの連中の身長と体重は共に素晴らしく外国と比較しても著しく見劣りすることがなくなったが、日本人同士でもあれほど崩されなくても良いのではないかとすら感じている。

サッカーである。毎回テレビの番組表に騙されるが、放送開始が試合開始と30分はずれるので、無駄な時間を費やしてしまう。昨夜のFIFAクラブW杯の鹿島対南ア代表マメロデイ・サンダウンズ戦は、先日の対ニュージーランド・オークランドシテイー戦の試合展開とほぼ同じだったのは、面白いような面白くもないようなものだった。鹿島の石井監督はJリーグの最優秀監督に選出されたそうだが、前回同様に前半はトロトロと試合を進めさせ(という作戦か?)、後半には全く別のテイームが試合をやっているのかと思わせるほど積極的になり、金崎を25分ほど残してから投入すると益々活発化して、身体能力ショーのようだったサンダウンズを圧倒して2対ゼロで勝って見せてくれた。結構なことだった。

しかし、この試合でも鹿島の連中の体格がラグビーの選手たちと比べて貧弱に見えるのだが、画面に表示される数字を見ると多くの者が180 cmを超えていたし、体重もそこそこであってもだ。その昔、愚息たちが高校時代からフットボール界ではウエイトトレーニングに精を出していたので、彼らのように身長もなく体重も軽い部類であっても十分に鍛えておけば一寸くらいタックルされても負けないものだと言っていたのを思い出させてくれたのだった。私はこれまでに繰り返して「我がサッカーの代表選手どもが当たられ弱い」と指摘してきた。

それ即ち、体幹の鍛え方が不十分であろうという意味だ。一方のラグビー代表選手たちは先頃UKで開催されたW杯であれほど強靱なな体の強さを見せていたではないか。情けないというか悲しいことだ。ラグビーはそもそも体格に優れた者を勧誘しているのだろうとすら考える。往年の京都大学はフットボール経験のない体格に優れた新入生を勧誘して鍛え上げ、あの強いギャングスターズを作り上げたと聞いている。

今夜はフットボールで、ジャパンXボウルのオービック対富士通がNHKのBSで中継される。楽しみであるが、これは最早フットボールのシーズンも終わりに近いことを意味する。18日には早稲田大学ビッグベアーズ対関西学院大学ファイターズの甲子園ボウルがある。これも早稲田が関学相手に何処までやれるかが楽しみの一つだ。これ即ち、関学が優勢だという想定の下に言っているのだ。


アメリカの標準の英語とは

2016-12-12 08:23:12 | コラム
中西部か西海岸か:

Gooのブログは有り難いことに1年前に何を書いていたかを知らせてくれる。そこで、昨年の12月9日に偶然に語り合う機会があった「アジア系(韓国系で間違いないと思うが)アメリカ人との会話」を読み直すことが出来た。何度か触れてきたが、一昨年末にこのPCが故障して修理に出した際に、お恥ずかしながらバックアップを取っていなかった為に消失したファイルがあり、ブログの記録も残っていなかったのである。

少し長くなるが、敢えてそこに採り上げた話題の一つ「アメリカ英語の標準語」を再録してみよう。

>引用開始
アジア系アメリカ人との会話:

アメリカの英語は中西部のアクセントが標準だ:

去る7日にアジア系アメリカ人と語り合った中から、記憶を辿って順序不同で内容を再現してみよう。因みに、彼は発音通りに綴れば(phonetically spelled等と言うが)”Kan”と名乗ったが、それが名字か名前かは敢えて尋ねなかった。即ち名字だったならば「菅」なのか「姜」なのか判断出来なかった。彼はニューヨーク州生まれで大学を出た後で5年ほど銀行勤務の経験があるとか。

アメリカの標準語は:
私の年来の主張は「ワシントン州から南下してカリフォルニア州にいたる西海岸の諸州の発音というかアクセントが標準」である。これは嘗てW社の東京に駐在していたワシントン大学のMBAであるBJ氏から聞き、20数年に及ぶアメリカでの経験で正しい説だと信じているからだ。ところが、Kan氏は中西部(Midwest)のそれが基準であると心得ていると主張。NY生まれの彼は中西部の中心地、シカゴには行ったことがないが、偏りがないあの地区のアクセントこそ正調と述べていたのは面白かった。

意見が噛み合わなかったがそれはそれとして、アメリカ東海岸の「無闇に早口で、今話している言葉が終わらないうちに次ぎの言葉を喋っている」と西海岸で揶揄する東海岸(“back east”等とも言うが)の英語を採り上げた。事実彼はアジア系には珍しい早口で出生地が何処かを証明していた気がする。私は我が国の英語教育ではアメリカの地域別の訛やロンドンのCockneyや、オーストラリアとニュージーランドの英語独特の訛すら教えていないようだから、東海岸の訛等を理解することは至難の業だろうと言って置いた。

次には南部での歌う如き、ただようが如きゆっくりした訛に話が移った。私は嘗て飛行機の中で隣り合ったスタンフォードのMBAと名乗った香港駐在の若きアメリカの精鋭に「クリントン大統領の南部訛は好ましくない」と言った際に「外国人の貴方が良くぞ言ってくれた。我々は決して彼の訛を誇りには思っていないのだから」と言って握手を求められた自慢話も披露した。ゆっくりと話しているのならば聞き取りやすいだろうと思うのは大間違いで、同じアメリカ人でも南部に行けば話が解らないことは屡々あると言っていたが、これは経験上でも当にその通り。結論としてはお互いに正調と信じているアクセントを守ろうとなった。
<引用終わる

実は、私は不勉強にして中西部の英語が標準であるという説をこの時に初めて聞かされたので、些か戸惑っていた。それに、あの地域の出身者に余り出会っていなかったので、考えたこともなかったのが偽らざるところである。1人いることはいるが、それはテレビでしか聞いたことがない、かのヒラリー・クリントンさんであり、彼女の英語は何度も「”r”を響かせすぎる嫌いがあり上品ではない」と批判してきたのだ。

もう1人この中西部説を唱える人がいたとテレビ番組で知った。それはハーヴァード大学出身を売り物にする(?)漫才師からテレビタレントを経て大学教員をも務めている「パックン」ことPatrick Harlanである。彼はWikipediaによればコロラドというアメリカ西部にある州の出身であるのが面白いが、確かヒラリー・クリントンさんの英語を正調であると絶賛していた。「何を言うのか」と思って聞いていた。

W社で長年ともに行動してきた技術サーヴィスマネージャーはミネソタ州というアメリカ中北部の出身で、ワシントン州のワシントン大学を出ているが、全く何の訛りもないこれぞ正調と思えるを言葉で話していた。そうであれば東海岸と南部を除く地域の英語がアメリカの標準語かなと思わせる。だが、ビジネスの世界に属する多くのアメリカ人は転職する度に移動するし、上昇志向のある者は東部のIvy Leagueの大学を目指すので、その地域に住んでいる者が必ずしもそこの出身者とは限らないので、事アクセントとなると紛らわしいと思うのが結論か。

そういうことだから、我が国で英語を教える場合に「何が正調か」を見極めるのは難しいと思っている。しかもそれだけに限らず、品格の問題もあれば、使ってはならない言葉も表現もあるのだ。そこまで知り尽くして教えておられる方がどれほどおられるのだろうかも、私には大いに疑問だ。