“regret”と言ったじゃないか:
これは沖縄で海岸に不時着したオスプレーの件で記者会見した米軍の第4司令官だったかが「民家を離れた地域落ちたことは日本側に感謝されても良いと思う」ともの凄いことを言った後で、ものを知らない記者が「謝罪がないではないか」と迫った時のことだった。これは「普通の日本人がアメリカには謝罪の文化は存在しないことを知らないのは当たり前である」との文化の違いを如実に示していた、悲しくも笑いたくもなるような無知な質問だった。
司令官は(英語の部分は聞こえなかったが)「“regret”と言ったのが謝罪だ」と憤然として言っていたように見えた。これは傲慢でも何でもないことである。彼らの文化(言語・風俗・習慣を言う)と思考体系の中には謝るということはないのである。こういうことを知らないと、恐らく学校英語で教えられて“I am so sorry for what has happened.”辺りを期待していたのだろうと思う。そう言うことはないのだ。
この言い方は「私が悪う御座いました。如何なる経済的損失でも傷害を治療する費用でも当方が無制限に負担致します」というにも等しい表現であって、彼らが如何なる条件下でも、喩え自分の方に非かあったと認識していても、この言い方はしないものだ。もし“regret”と言ったならば、それは最大限の謝罪なのである。「その程度のことを知らずにアメリカ人との記者会見に臨んだ方が悪い」と言われかねないのだと知るべしだ。
念のため申し上げておくと、私はオスプレーの操縦ミスか給油中の失敗等の良し悪しを論じる考えは毛頭ない。ただ単に「日米間相互の文化と思考体系の違い論」を展開しただけだ。言うなれば、「何処のメデイアか知らないが、もう少し勉強してから質問する方が良くはなかったか」なのだ。謝れば許して貰えるか水に流す文化は我が国独特の美風であると知れ。
これは沖縄で海岸に不時着したオスプレーの件で記者会見した米軍の第4司令官だったかが「民家を離れた地域落ちたことは日本側に感謝されても良いと思う」ともの凄いことを言った後で、ものを知らない記者が「謝罪がないではないか」と迫った時のことだった。これは「普通の日本人がアメリカには謝罪の文化は存在しないことを知らないのは当たり前である」との文化の違いを如実に示していた、悲しくも笑いたくもなるような無知な質問だった。
司令官は(英語の部分は聞こえなかったが)「“regret”と言ったのが謝罪だ」と憤然として言っていたように見えた。これは傲慢でも何でもないことである。彼らの文化(言語・風俗・習慣を言う)と思考体系の中には謝るということはないのである。こういうことを知らないと、恐らく学校英語で教えられて“I am so sorry for what has happened.”辺りを期待していたのだろうと思う。そう言うことはないのだ。
この言い方は「私が悪う御座いました。如何なる経済的損失でも傷害を治療する費用でも当方が無制限に負担致します」というにも等しい表現であって、彼らが如何なる条件下でも、喩え自分の方に非かあったと認識していても、この言い方はしないものだ。もし“regret”と言ったならば、それは最大限の謝罪なのである。「その程度のことを知らずにアメリカ人との記者会見に臨んだ方が悪い」と言われかねないのだと知るべしだ。
念のため申し上げておくと、私はオスプレーの操縦ミスか給油中の失敗等の良し悪しを論じる考えは毛頭ない。ただ単に「日米間相互の文化と思考体系の違い論」を展開しただけだ。言うなれば、「何処のメデイアか知らないが、もう少し勉強してから質問する方が良くはなかったか」なのだ。謝れば許して貰えるか水に流す文化は我が国独特の美風であると知れ。