新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

12月21日 その2 懐かしや、Tomyのウイスキー

2016-12-21 13:33:18 | コラム
「開運なんでも鑑定団」に教えられた:

ご存じに方も多いかと思うが、テレビ東京の人気番組(?)であり、私も贔屓にしている。昨20日には鑑定に持ち出されたウイスキーが東京醸造会社製の“Tomy Whisky”とあって、何とも言えない懐かしさを感じたのだった。この会社の工場が藤沢市内にあって、そこには当時としては珍しい硬式野球の社会人テイームがあり、屡々我が母校のグラウンドで試合をしていたのだったから。その相手が我が校だったかの記憶は定かではない。

しかし、鮮明に記憶があるのはそのテイームの投手が、かの故大沢親分こと大沢啓二の実兄の紀三男であったことだ。中々綺麗なフォームで投げていたが、後にプロ入りした記憶がある。彼らは当時藤沢地方では有名だった片瀬の出身の大沢三兄弟で、長兄の清は戦前からのプロで、戦後は中部日本や東急フライヤーズで一塁手をやっていたと記憶する。

大沢啓治は私の一学年上だったが、平塚工業学校から横浜の県立商工実習に編入して投手と強打の外野手として有名だった。その頃の神奈川県下の高校野球の三大強打者が、彼と後に早稲田から大映スターズ入りした鎌倉学園の枝村勉、湘南が甲子園で優勝した時の中堅手根本功君だった。この3人が打席に立つと、外野手が一斉に後ろに下がったものだった。

話が脱線してしまったが、あのTomyのウイスキーが、あれから60年以上も経ってしまった頃にテレビに出てきたのは驚きだったし、あのトミーでは野球だけではなく本当にウイスキーを作っていたのだったかと、初めて認識させて貰った。あの頃は言うまでもなく、あれからズーッと今になっても余り縁がないウイスキーだが、その番組で、あの会社が1955(昭和30年)に倒産したとも教えられた。工場のあった場所は知っていたが、その後が何になったかなどは当時から今でも全く知らないのだ。それでも、とても懐かしい話だったので、敢えて紹介する次第だ。

外国人の時間の観念 #2

2016-12-21 08:05:48 | コラム
“Do you have time?”:

国文学者にして博学多識のKS氏は私の外国人の時間の観念論を読まれて感想を寄せられたが、その中で

<少し私は、時間を他人に簡単に譲りすぎるのではと、このメイルを拝見して反省しました。>

と言われていた。少し奥床しい気もする。そこで思うには、私が感じたことは「私は時間を忠実に守ることを実行し、それを売り物にしていたのではなかった」だった。そこには古き良き時代の運動部の精神もあったような気もするが。しかし、何としても時間を守ろう、約束の時間よりも早く到着しよう。待たせるよりも待つ方を選ぼうと懸命に心がけたことが大きなストレスの一部となって、2006年1月の第1回目の心筋梗塞の一つの原因となってしまったかとすら疑っている次第だ。

そこで大きく話題を変えて、Weyerhaeuserでの経験を。在職中にはワシントン州タコマ(現フェデラル・ウエイ市)にあった本社では、一応08:00~17:00という勤務時間の枠は設定されていた。だが、当然のことで「遅刻」などという制度はなかった。各人の仕事量と客先との折衝等の都合に応じて何時に出てこようと何時まで残っていようと各自の自由裁量で、上司も上層部も誰も干渉しないのでした。

即ち、午前6時から出勤する者もいれば、当日の予定を消化して午後3時に帰ってしまう者いるし、偉くなればなるほど朝早くに出社して夜遅くまで残っているのだった。特にCEOは早かった。社員の中には気分転換にと、勤務時間中に本社ビルの周囲に設営されたジョギングコースに走りに行って汗を流して気分転換を図る者もいるという具合。私の入社した頃の営業部長などは、絶対にと言えるほど9時までに現れることはなかったが、5時に帰ってしまうようなことはなかったのは当たり前だろう。要するに仕事と時間は自分で管理し運営するのだ。他人の都合に合わせることはないが、客先には合わせるものだ。

その部長さんは後にサンフランシスコで不動産業を営む社長さんと再々婚してからは、週日はシアトル市内に借りたアパートから出勤し、週末はサンフランシスコに戻って、月曜日の朝にサンフランシスコから悠々と9時過ぎに出勤して来た。これなどは少し極端過ぎる例だが「やるべきことをやっていれば良いのだ。俺の時間は俺が管理する」を実行していたので、その姿勢を60歳でリタイヤするまで貫き通した。

1975年頃だったか、秘書に15時を過ぎた頃ににコピーを取って貰おうと彼がオフィスの外に出てみれば、彼女は最早タイプライター(懐かしい響きだ)にカバーを掛けているところだった。“Are you closing the shop?”と確認すると答えは“Yes.”で、“Ask someone else.”とにこやかに平然と告げた。そこで彼マネージャーは“All right.”とばかりに自分でコピーを取りに出かけたのだった。如何に自由な社風のWeyerhaeuserでも、ここまでやるかと驚かされた。これが彼らアメリカの秘書さんたちの権利意識と時間の観念かと思わせられたということだ。

以上は彼らがどれほどカタカナ語に言う「マイ・ペース」なのかを示す一例だったが、同時に何処まで行っても「個人が単位」というアメリカと、「皆で一丸となって」という全体の和を重んじる我が国との文化の違いをも表していると思うのだ。更に言えば、我が国では相手の時間を貰いたい時に「お時間はありますか」と尋ねるのが普通だろうが、英語では“Do you have time?”か“You have time?”辺りしか思い当たらない。英語では“have”を使う辺りに、両者の間に微妙な違いがあることを見せていると思うが。