新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

「アメリカにおける女性の地位の考察」の再録

2016-12-25 08:13:34 | コラム
“Ladies first ”の背景に何があったか:

これは2014年3月11日に論じたものだが、有り難いことにGooのブログでは未だに読まれていると知らされた。当時これを採り上げた狙いは、戦後直ぐに始まったことで我が国には「アメリカでは“Ladies first”が遍く行き渡っている」という信仰があったにも拘わらず、実態はどうも違うような感が深かったので、その点を指摘しようというものだった。そこで、ここにあらためて多少の加筆・訂正版を再録してみようと思った次第だ。

畏メル友尾形氏から

<こうして、米国では1970年代から「女性解放運動」(ウーマン・リブ)が盛んになりました。でも、何事も長短両面があります。>

との指摘がありました。そこで、私が知る限りのアメリカにおける女性の地位というか、歴史的にどのように扱われてきたかについて述べてみます。この件は私の1972年からのアメリカの企業での22年半の経験と、1945年からGHQの秘書だった方に毎週のように英語で話すことを教育されたと同時に徹底して“Ladies first”のマナーを叩き込まれ、更に1970年代から何人かの国内外の友人・知己から聞かされたことにも基づいています。

1950年代に朝日新聞だったか週刊朝日だったかの何れに連載されて人気が高かった、アメリカの"Blondie"という女性が主役の漫画がありました。作者はChic Youngとでした。貴方も読まれていたかも知れません。Blondieの 亭主がDagwood Bumsteadでした。この中には何度もブロンディーがダグウッドに何か高価なものを買って欲しい時に懸命にお願いする場面がありました。我々の感覚では何の不思議もないのではと思うと同時に何故かなとも感じていました。

しかし、当時のアメリカにおける女性の地位は我々が思い描いてと言うか信じ込まされていたほど高くはなく、女性は(譬え働いていたとしても)銀行に口座を開かせて貰えなかったそうです。50年代にはアメリカでも男社会だったとは知りませんでした。当時は一家の中でただ一人の働き手である亭主、即ち、ダグウッドが口座をを持つ銀行の小切手帳を持っているので、ブロンディーは彼に願って(ねだって)小切手を切って貰うしか大きな買い物が出来なかったのだそうです。この漫画はこういう筋書きを作って、女性の地位を見せていたという解釈もあります。

それ以前からの欧米の風習には、かの“Ladies first”(=レディ-ファースト)がありましたが、これは女性(軽視)を誤魔化すために、他人の目がある所では如何にも丁重に扱っているかのように振る舞っていただけだと言えると、アメリカの女性からも聞かされた経験があります。ウーマン・リブなる運動が出てきたことの背景に、こういう風潮があったと考えるのが正解だったと言う人もいました。

但し、女性に対して椅子を引いて座らせる、コート等を着せて上げる、階段を男性が先に上り後から降りる、エレベーターなどに先に乗せる、自動車には後に乗せる等々のマナーは何も軽視に対する埋め合わせではなく、言うなれば当然の礼儀だという見方もあります。私は旧制中学1年の頃からGHQの秘書方と一緒にいた時間があったので、かなり厳しくこういう西欧風の女性優先のマナーを仕込まれていました。

女性(既婚者も)が働くようになったのは、アメリカの経済が発展して生活水準が世界最高となり家電製品等々のように買わねばならないものが増えると、亭主だけの収入では賄いきれなくなったと同時に、信用膨張の経済も普及してクレディット・カードを使う頻度が上がったので、女性、特に既婚者も働く所謂ダブル・インカムの家庭が増えてきたと聞きました。

また、これは俗説で真偽のほどは保証出来ませんが、「女性が男社会に進出して負けないように仕事をするためには、中途半端な能力と仕事の質では地位も収入も確保することが難しいので、懸命に努力する高学歴の女性が増えていった」との説も聞きました。その結果か、現在のような時には真っ向から男に対抗して働き実績を挙げている女性が増えてきたのだそうです。



実際に私の経験でも「女性を甘く見て迂闊に対応しては大変なことになる」と痛感させられた能力が高い人はいくらでもいました。言い方を変えれば、MBAを持つ優れた女性の管理職にもコンサルタントにも何度も出会っていました。その背景には「男女同一労働・同一賃金」の思想を具体化した雇用機会均等の法律もあるのだと思います。

言葉を換えれば、「アメリカの女性たちは長い年月をかけて戦い、現在の女性の地位を勝ちとった」と見るべきかも知れません。私の経験の範囲内でも非常に挑戦的な人もいれば、男性に向かってあからさまに対抗意識を見せる人にも出会いました。そういう場合に私のような外国人は如何に対応するかに苦労したものでした。勿論、アメリカの女性にも非常にしっとりとした日本の女性のような控え目の優しい人もいます。要するに人を見て扱わないと痛い目に遭わされるのが、アメリカの社会かと思います。

私が1994年1月末にリタイヤーした頃には45,000名の社員がいたW社でも、本社の多くの事業本部内に女性のマネージャーはいても、女性の副社長兼事業部長はいませんでした。しかし、私はこの事実と女性の仕事で発揮する能力と結びついているとは感じていませんでした。特に、秘書の女性たちはその職務の範囲内で見れば本当に素晴らしい人たちが数多くいたと思います。私は男と女の仕事には向き不向きがあり、肝心な点は経営者が適材適所で男性と女性に仕事(=“job”)を割り当てていくことかと思うのですが。

参考資料: Wikipedia