新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

情けなかった日本代表のサッカー

2018-03-24 07:54:05 | コラム
<strong>23日の夜はジッと耐えて対マリのサッカーをテレビ観戦:

結論から言ってしまえば「弱将の下に勇卒などあるはずがない」という点をこれでもかと90分プラス4分も見せられた情けないサッカーだった。この程度の完成度のテイームを連れてW拝本番に行こうとは間違っていると言わざるを得ない。弱将を今更論じても仕方がないことだから、ここでは積極的に批判はしない。だが、弱卒と怪我人ばかり育成してW杯に行こうという考え方は論外だろう。

昨夜は「誰か一人くらい良い動きと良い働きをしてくれるか」と目を凝らして見ていた。しかしながら、所詮は応援団長的な存在でしかない松木安太郎までが「もう少し積極的に動いてパスを貰える場所に動かなければ」と「あのようなパス回しと前線にいる者の動きでは・・・」とまで嘆き節を聞かせたのだから、論外な試合運びだった。私の見方は「あれほど消極的な展開をしていれば、チャンスなど来る訳もなく、最後まで『良くやった』と褒めたい者を見いだせなかった」だった。

兎に角何度でも同じ事を言うが「責任逃れのパスと、一寸でも前方に相手が見えれば後方へのパスとバックス同士での横の展開に終始し、その間に前にいる者が少しでも動いてマークを外そうとか、マークを引っ張っていってスペースを作ろうという類いの動きはほとんどなかった。自陣でバックス間で横パス交換を続ければボールの保有率は上がるだろうが、相手は何の危険も感じないから「勝手にやらせておけば」となってくるのだ。

引き分けだと言うが4分も伸ばして貰えたので、私はは「この間に何とかなってしまうだろうが、それでは何の為にもならない」と閃いたら、その通りになってしまった。中島が偉かった訳でも何でもない。一寸当たられただけでのたうち回るマリの選手たちが時間を引き延ばすという墓穴を掘っただけのこと。

ハリルホジッチ監督の選手の使い方も意味不明だ。最悪は何で初めて出したのか知らないが浦和の宇賀神は酷かった。浦和で一応一本目を張っていた記憶があるが、何でこんな者が浦和が使うのかと思ったほどダメなバックスだった。それが「だから言ったでしょう」でPKを与える反則をするかと思えば、カードまで出される始末。明らかに監督の責任だ。その他にマスコミが騒ぐほどには使えなかった久保、宇佐見、大島、大迫等には「やってやろう」という気迫がまるで見えなかった。

それにしても、本田や原口は何の為に招集したのだろう。監督はこのまま香川も岡崎も武藤も乾も使わない気なのだろうか。本田は少しの時間だけ出たが、あんな程度ではいてもいなくても同じだ。欧州組は欧州にいれば「周りが巧いから何と使えるのだが、代表では周囲が下手過ぎて生きてこないとも言える。

私も長年日本代表のサッカーを見てきたが、これほど少しでも褒めてやりち者が不在だった試合も珍しいと思った。彼らは本当は下手なのか、あるいは監督が気にくわなくてやる気が出ないのか、あるいはその両方かと思って、詰まらない試合を最後まで見ていた。中でも情けなかった点は、海外組までがアフリカ系の者どもの「膝から下の長さ」という特徴がある脚の長さに最後まで対応できずに競り合いにほとんど負けていたり、パスを「インターセプション」されていたことだった。

アナウンサー共は未だに解っていないので「パスをカットされた」という誤った表現を使っている。学校教育の英語が責任を負うべき問題だと指摘するが、奪われたことは「カット」ではない。また、松木は自分が開発した言葉である「スリッピー」を使っていたし、アナウンサーも真似た。あれは英語では「スリッパリー」(slippery)と言うのだよ。また松木はやたらに「コンパクト」と言うか、これは具体的にどういう布陣を言うか説明すべきだ。英語が解る私には意味不明だ。

私は残念ながらW杯本番に期待しようという気が益々薄れた。特に監督への期待感はゼロだ。