新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

高齢化社会の問題点を考える

2018-03-19 08:05:32 | コラム
独居老人と緊急医療:

東京への通勤距離内にある他県の中堅の市の一戸建てに住んでいる昭和10年生まれの人がいた。彼は2年前に妻に先立たれていた。先々週のある日の午前3時に胸部に激痛を感じ、自分で救急車を依頼する電話が出来たそうだ。救急車は市内の市立病院に搬送してくれたそうだ。彼の一人娘は遙か西にある東京都下の市に嫁いでいた。彼は重症の身ながら救急隊員にその娘への連絡を依頼していたそうだ。

心筋梗塞で何度も救急車をお願いしている私からすれば、そこまで出来たのは素晴らしいと言うよりも凄い気力というか精神力だと感心する。第一に、救急隊員が家の中に入ってきて貰う為には、玄関を開けておかねばならないのだ。それは大変な負担であり、開けられなかったらどうするかという問題を生じるのだ。救急隊の呼びかけに反応できなかったらどうなるかと考えただけでも恐ろしい。因みに、私は2度目の時は自分で119に電話をし、玄関で待っていて救急隊員に叱られた。

病院の救急治療室では「大動脈瘤破裂」と診断されたようだったが、そこから手術に入るまでに娘の到着を待って、午前6時には手術室に入ったそうだ。経験上も言えるのだが、このような外科的大手術でなくとも親族の同意書の署名は必要なはずだ。都下の都市からの親族の到着を待った為か、手術法の決定に時間を費やしたのかは不詳だが、開胸手術で一命を取り留めて頂けたそうだ。有り難いことだと思う。

私の心筋梗塞の処置と外科的大手術では性質が全く異なるが、心筋梗塞では搬送から3時間も間があっては助からないと思わせるほど、心筋梗塞は時間との勝負であり、生存率は25%と医師から聞かされてきた。私の心筋梗塞の場合には幸いにも自宅で家内の目の前で倒れたので、救急車にも同乗してきたので、私の処置の間に同意書も含めてあらゆる必要書類に署名できたそうだ。

だが、私はこのような独居の高齢者が倒れた場合に「もしも連絡すべき親族が駆けつけられる範囲にいない時にはどうなるのか」であるとか「連帯も含めて保証人はどうなるのか」等々を考える時に「これは容易ならざる事態であり、問題ではないのか」と考えている。この場合は患者が救急隊員に親族への連絡方法を伝える気力があったから良かったが、救急隊員が到着した時点で失神していることだったあり得るのではないのか。

そうであれば、室内の何処かか玄関の内側にでも、緊急の事態に備えて「氏名、年齢及び生年月日、既往症、連絡すべき親族の氏名、健康保険証の写しか番号、住所、電話番号またはEmailのアドレス等を記載した大きな紙でも貼っておくか」ということまで考えておく必要がありそうだと思った。先日もこのアパートで患者が玄関のドアまで行けなかった為に大騒ぎになった例があった。

更に連帯保証人をたれられなかったらどうなるのかとふと考えた。私の場合には緊急であるから連絡もせずに長男の住所氏名を記載していた。考えたこともなかったが、保証人を立てられなければ治療をして貰えないことがあるのかと、ここで初めて気になったのだった。救急車で病院に搬送して貰うことなどは経験してみないことには、如何なる手続きが要求されるかは知ることが出来ないので、準備も出来ないことだってあり得るだろう。

最後に気になるのが「医療費」である。我が国では健康保険があるのは普通だが、1割と3割では大きな違いを生じる。それを負担する能力があるようにする為の連帯保証人だろうが、そのように出来ない時にはどうなるのかなどは考えたこともなかった。今や大きな病院ではクレデイットカードでの支払いが可能だが、それでにしたところで「持っていれば」という問題である。

ここまで考えたところで、この件には未だ未だ先の問題があると思いついて、ここまでで一応終わりにしておくことにした。考えさせられることが非常に多い問題のようだと痛感した次第だ。