新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

日本統治が残したもの

2019-08-04 13:54:48 | コラム
韓国と台湾を旅して:

韓国にて:

私は1971年に(未だアメリカの会社に転進する前の事)初めてソウルに出張する前には、現地の事情に精通した人たちから予め韓国での注意事項を沢山教えられていた。中でも重要だった事は「間違ってもソウルを京城と言わない」だった。その他にも色々あったが、無難に過ごすべく誰に会っても最も丁寧な敬語を使うようにしていた。

この出張の途中で、現地の貿易商に少しは市内観光で息抜きをしましょうと南山に案内され、市内を見下ろしたのだった。その際に何気なく「ソウルの民家は我が国のものと形式が同じですね」と感想を述べてしまった。すると、それまで謙り気味だった社長がキッとなって「何を仰いますか。日本の文化は中国に源があり、それが我が半島を経て入って行ったものです。であるから、一般人の家が韓国のそれと似ているのは当然です」と、言うなればお説教をされてしまった。「不味い事をいったのか」と気付いたが手遅れだった。

この社長はかなり我が国に親近感を示し、我が国からの輸入に熱意を見せていた。私はこの「日本の文化は中国に源があって云々」という韓国人の誇りというか「我が国を一つ下に見ようとする姿勢」は未だに変わっていないと、テレビに登場する所謂専門家の1人が指摘しているのが言うのを聞いた。だが、あの年齢層にいるのでは私のように現場で韓国人に日本語で厳しく注意されたのとは学習の仕方が違っているのではと疑っている。

私は21世紀に入ってからも、日本の会社時代から交流を続けてきた中小財閥のオウナーKim会長と韓国に行く度にお目にかかって、世界とアメリカと我が国の紙パルプ業界の現状について語って来たし、色々な問題で意見交換もしてきた。だが、会長からは一度たりと雖も妙な対日感情を見せられた事などなかった。また、私は李泰院でも東大門でも慶州でも何処でも韓国の人たちに悪感情を示された事はなったのは幸運というべきだろうか。

1992年にソウルのW社事務所に出掛けた際に、所長(韓国人であり意思の疎通は英語で行っていた)が英語のガイド付きの市内観光のバスツアーを紹介してくれた。ガイドは非常に誇り高き女性で「私はここまで英語の能力が高くなるように勉強して来たので、一般人とは異なる高水準の月収20万円を得ている」と誇らしげに語りかけてきた。彼女に英語力はある程度の段階には達していた。だが、私が当然のように英語で応答したところ、その後は私に語りかけて来る事はなかった。思うに、日本人の英語力を侮っていたのだろう。

台湾で:
1995年には家内と共に台湾旅行に出掛けた際の事だった。台北で市内観光をした時の運転手さんはは日本語世代で名所旧跡を案内してくれて、淀みない日本語で色々と説明してくれた。彼は行く先々で「ここは日本統治の古き良きものが残っている」とか「日本統治時代は良かった」といったような解説をしてくれた。台湾の人たちがどれほど日本統治を評価し懐かしんでいるかが良く理解出来た次第だった。

その日にとても印象的だった出来事があった。それは故宮博物館を見学した際に館内で出会った韓国の団体が大声で騒ぎ立てているのを見た家内が「台湾では韓国では感じた後ろから刺されるような視線を感じる事がなくて気分が良いのに、台北でまた韓国人に出会って感じるとは」という感想を漏らしたのだった。即ち、この団体に出会ってあらためて韓国と台湾の違い感じたと知ったという事。私は韓国ではそれほどに感じ取れなかった彼らの視線が、女性には感じ取れたのかなと思わせられたのだった。

何が韓国と台湾の間で我が国に対する姿勢が今日のように異なってしまったのか、正直なところ不思議な感を免れない。何故だろう。