新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

8月5日 その3 8月4日のスポーツ

2019-08-05 16:34:54 | コラム
野球とゴルフ:

プロ野球:

時間差から言っても野球から入っていこう。勿論とまでは言わないが、DeNAに迫ってこられた読売の野球を夕方の6時から見ていた。DeNAのホームゲームだったので、来年のオリンピックの会場となる横浜スタジアムの増築(と言うのかな)の全貌が初めて見えた。私はスタンドの増築よりもこの球場の内部というか、スタンドの下の回廊の辺りの古色蒼然とした感じと薄暗さを何とかすべきだと思っているのだ。

そこで野球だが、結論から先に言えば読売がDeNAに3連敗して0.5ゲーム差までに追い込まれた。だが、これが大好きな英語にすれば“That is not the end of the world.”という事にはなると、遺憾ながら見ている。それは読売は未だ45試合も残っているし、火曜日からの相手はヤクルトとどっちこっちない弱さの中日ドラゴンズとの3連戦であるからだ。調査不足でDeNAは読売と中日以外の何処かと当たるのか知らないが、こっちの方が0.5ゲーム差を追い越すのが辛いかも知れない。

試合の内容だが、読売はあの3連戦の最初の試合を菅野で落とした後は今村や桜井という第一線級とは言えない投手を先発させていたのは山口が故障しているから止むを得なかったと言えそうだが、案外にこの辺りの投手が育っていなかったし、田口が敗戦処理のように使われリリーフには不向きな沢村を出さざるをないような態勢では、折角芸人を辞めさせて使っている宮本和知では駄目だという事かも知れない。DeNAだって平良だの大貫などを使ってきて最後に今永を出しても5回で引っ込めて継投作戦で逃げ切った辺りはラミレス監督の作戦勝ちか。

それに既に指摘した事だが、読売は二塁手と三塁手に適材が育っていないのは矢張り弱点だったようだ。4日夜は二塁に若林(桐蔭学園→法大)と三塁に山本(慶応高校→慶応大学)ではヤワすぎる。私は東京6大学リーグは東都と較べれば程度が下がると評価しているし、ここに採り上げた両名の学歴では余りプロには向いていないとしか思えない。現に、昨夜の直接の敗因は若林の併殺し損ないの一塁への暴投であり、あれを取れなかった岡本も未熟さがあったと見ている。それに山本は打てなすぎるのに3塁に使うのも人材の育成の不十分さがあると断じる。

結局は他球団のFA宣言者を金に飽かして取ってくるので、若手は「いくら努力しても矢張りレギュラーは余所のうちの古手に取られる」と諦め気味なのではないか。だが、意外にも原監督は打率が2割5分にも行かないゲレーロを使っているが一向に打てない。もしかすると使うのは当たり前で、彼には4億円も出しているのだ。だが、彼を引っ込めてもそこを埋められる者がいないのだ。だから何時まで経っても亀井が頼りで、丸に4億5千万を出すしかなかったようだ。

私はこの5連敗で厄落としを終えて、大野雄大以外にこれという投手がいないし(何、松坂がいるってか)高橋周平が負傷休場中の中日はDeNAよりも楽に戦えるだろうと予想している。広島は大瀬良と九里がどうやら立ち直ったが、未だ丸の抜けた跡を埋め切れていないので、ここから先に何処まで読売に迫れるかが分かれ目だと思う。

ゴルフ:
渋野日向子が全英オープンを取るかも知れないと3日目を終わった時点で閃き、本当に勝つならば「一寸勝ち」で負ければ「最終組と大試合の緊張で大崩れ」と予測していた。時差の関係で本当に勝ったと知ったのは5日の朝の事だったが、20歳で昨年の賞金ゼロの女性がそこまでやるとは驚かされた。何となく大坂なおみさんがメージャー大会を連続して取ったのと同じような凄さかと感心している。しかし、彼女が如何なる性格の持ち主かの知識も皆無だったので、勝ったとなった後の各テレビ局の報道で色々と知り得て益々面白い人だと感心した。

何処までが本当か知らないが、報道によれば優勝賞金が幾らかも知らず、コースの下見も検討をもせずに出場したというのは、いくら何でも出来すぎだと思わせられた。言動を聞けばテレビ用語の「天然」であるかのようだが、両親ともに運動選手だったし、子供も頃からソフトボールとゴルフをやって来て実績を残していたものが、最終的にゴルフを取ってプロになったのだそうだ。私の解釈では、他の競技もやっていたのがゴルフで伸びる一因となっていたという事になる。これまでに日本の試合で一寸見ただけでは、実に怖い物なしで伸び伸びとやっているなという印象。

でも、ここから先が大変だと思う。彼女自身の精進努力が必要な事は当たり前として、怖いのは私が常に批判してきたマスコミの持ち上げ過ぎというか持て囃しすぎである。その為に後から後から催し物に出されて練習不足に陥る危険性があるし、CMの契約等も数多くなって色々と束縛される材料が増えてくるだろう。その時にあの「天然振り」で如何に対処していくかが大きな課題となるだろうし、次のトーナメントでおかしな成績になればマスコミの掌返しも怖いと思っていなければなるまい。渋野日向子さんの一層の努力を期待し、マスコミ対策を十分に立てて置いて貰いたい。


8月5日 その2 矢張り黙っている訳にはいかない対韓国問題

2019-08-05 14:24:54 | コラム
細川昌彦氏は指摘した:

4日夜のテレ朝BSの「日曜スクープ」と、先ほどのTBSの「ひるおび」にも出演された細川昌彦氏の指摘は極めて重要だと思うので、敢えて「もう触れたくない」と言ってしまった「対韓国問題」について細川氏の指摘を採り上げようと思う。

日曜スクープは18;54からだったので、昨夜は一所懸命に見ていたはずのDeNA対読売の野球と重複していたようだが、何故か細川氏の指摘の部分だけは聞いていたのだった。細川氏は遠慮気味に指摘された点は「我が国のマスコミ報道が正しく実体を伝えていない為に、やれ『報復』であるの、如何にも『禁輸』であるが如き事を書かれているので、そこを韓国に悪用されて世界中に『日本悪者説』を流されてしまっている。彼らはキチンと実体を報道すべきだ」だった。更に、これは外交マターではなく通商問題であるとまで言われた。

何となく細川氏が遠慮気味だったというのは「日本悪者説」や「報復説」を採り上げていたのは他ならぬ朝日新聞だったと私は記憶しているので、テレ朝の番組である以上、細川氏も遠慮されたのかと密かに推察していた。尤も、テレ朝のコメンテーター・川村某は明らかに偏向した事を論じるので、細川氏は敢えて論争を避けておられたようにも解釈できたが。その当方がご信頼申し上げている細川氏は本5日のTBSの「ひるおび」にも出ておられて、マスコミの偏向報道というか韓国を利するような報道を窘めておられた。

その最たる誤解というか誤認識は「最初に7月の3品目の輸出手続きの変更を発表した際にホワイト国除外も入っていたにも拘わらず、報道では先頃の閣議決定を第2弾という報道の仕方をされたので、韓国が諸外国に日本悪人説の根拠の一つに使われてしまった。マスコミはもっと正確に事の性質を勉強して正しく報道して貰いたい」とテレ朝の番組の時よりも舌鋒は厳しかった。私は既にこの問題を恵俊彰如きに司会させるのは不適切だと述べてあったが、その恵はまるでギャグのように「済みませんでした」と頭を下げて見せたが、そういうことで済む性質ではない。

テレ朝の日曜スクープでは韓国がアメリカの如何なる官庁、組織、民間団体に得意のロビーイングを掛けたかの表が提示された。細川氏はその中にUSTRまで入っていたのは全く筋違いだが、これは韓国が如何に「形振り構わず」ロビーイングを掛けているかの証拠と指摘された。では我が国はチャンとやっているのかとの問い掛けに対して、同席された武藤正敏大使は「チャンとやっています」と答えられた。武藤大使は信頼出来る方だと思うが、外務省が何処まで強気に韓国を言い負かすかは遺憾ながら疑問に思う。

敢えて個人的な感想を言えば、外務省では上品過ぎるようで、このような無茶苦茶で感情的でもある対韓国との修羅場には不向きではないかと危惧するのだ。それに韓国の康外相のような常に虚偽の報告をする輩と対抗していくのは、外務官僚には荷が重いのではと懸念する。相手が予想通りに「形振り構わず」出てきたのでは、こちらも冷静に形振り構って対抗していくべきだ。何分にも我が国がアメリカに仲裁を求めた事がないのに、韓国は如何にも我が国もアメリカに働きかけたような事を平気で言うのだから、油断も隙もないのだ。

余談だが、先日「形振り構わず」を英語にすれば“disregarding whatever criticism to be directed upon 誰々”だとW社時代にJ氏に教えられたことを採り上げたが、現在の韓国の文在寅大統領以下の姿勢は将にこの表現が当て嵌まる状態のようだ。我が国も何処から来るかも知れない“criticism”などを気にしているべき時ではないと思う。


重機整備士様のコメントに

2019-08-05 08:12:41 | コラム
重機整備士様

コメントを頂戴致しまして、誠に有り難う御座いました。

ご指摘の「難しい表現や日本の学校で習うような文法偏重英語は役に立たぬと常々感じていました。職場での英語など意思疎通の道具に過ぎないのですから。」は将にその通りだと賛意を表します。誰が言った事か最早記憶は定かではありませんが「言葉は単に自分の意志を相互に表現して理解し合う為の記号に過ぎない。そういうものに就いてあれこれと理屈をいって恰も科学か学問のように扱うのは誤りである」との説を私も信じております。従って、私はずっと以前から「語学」という表現を否定してきました。

更に言えば、「我が国の学校教育の英語では英語を科学として数学のように教えているのであって、文化も思考体系も異なる日本語の世界で育った来た生徒や児童たちには極めて解り難い教科になってしまったと見ております。それを6年乃至は8年学んでも話せるようにならないのは当然であり、既に採り上げた女性の英語の先生が「話せるようになる為に教えていない」と言われたのもその通りだと思っております。

しかし、我が国の英語教育ではアメリカやUKに行けば文法や綴りを誤るようでは非インテリ階級と看做されるという重要な点を教えていないも困った事だと思います。しかも、何故か我が国の教育で育ってきた方には文法的には不正確な英語しか話せず、書けずという人が多すぎるのです。それに以前にも指摘した事ですが、高校3年の英語の教科書を読んだアメリカの技術者が「日本では英文学者でも育てる気なのか。アメリかではこんな難しい文学作品が載っている教科書などない」という驚きの感想を述べました。

なお、念の為に申し上げておきますと、私は確かに経験に基づいた英語論と言うか英語での表現等々を語って来ましたが、実際には極めて学問的に英語を分析してきましたし、高校では「文法に強い事」を売り物にしておりました。アメリカ人には「君は(英語)学者だから」とも言われました。その文法の知識も矢張り「音読・暗記・暗唱」を繰り返してきた事の産物で、後付けで文法が追いかけてきたと言えると思います。であればこそ、“Me, too.”は駄目だというのです。

真一文字拝