言いがかり国家の韓国に如何に対応すべきか:
正直なところ、私如きにこの国家間の大問題に適切な対策が解る訳はないと思う。だが、韓国は我が国からの如何なる呼びかけにも応じて来ずにいながら「光復節の文在寅大統領の演説の内容を事前に知らせておいたにも拘わらず、日本が何ら反応してこなかった」というのをGSOMIAの延長を拒否した理由に挙げてきた。見事なばかりの言いがかりである。このような度重なる韓国側の言いがかりに対して、小野寺五典元防衛大臣はテレビに出演する度に「静かな無視で対応して放っておけば良い」との慎重な意見を披露されている。
私も既に論じたが、下手に韓国の言いがかりに反応して正論を述べれば、彼らとの際限のない「泥仕合」になるだけだろうから、真っ向から反撃乃至は反論に出たくとも,ここはジッと我慢して耐えておく方が賢明ではないかとも述べてきた。だが、それでは韓国を図に載せるだけで、今回のような「良くそこまで考えたものだ」と感心させられかねない言いがかりを付けてくるのだろう。ここでまた英語の講釈をすれば、小野寺氏の「静かな無視」は“benign neglect”辺りが当たっていると思う。「慇懃な無視」などと訳されている。
私はこのまま大人の対応で「慇懃な無視」を続けていれば、韓国側は文在寅大統領は来年の選挙を控えていることでもあり、何としても我が国を屈服せねばとばかりに全世界の諸国に向けて得意技ののロビーイングを強化するか、我が国を貶める広報宣伝活動を一層本格化してくるだろうと危惧する。私は韓国がPR作戦に本腰を入れる前に、さり気なく世界に向けて今日これまでの経緯を可能な限り簡にして要を得た文章で「如何に韓国が虚言を弄し、事実を歪曲しているか」の穏やかな広報活動に励んでみたらどうかと思っている。
しかしながら、いくら我が国が静かに丁寧に実態を述べたところで韓国側が反論に出てくるのは疑いもないのだ。そこで、望むらくは「我が国が韓国が如何にしても反論出来ないような論旨を組み立てて置くこと」が肝要だと考えている。この場合は直接の論争ではなく飽くまでもインターネット上のことなので、韓国政府側もそう簡単には言いがかり的な論旨を組み立てては来られないのではと、希望的に考えている。いや、仮令この手法で泥沼になろうとも、今日までの数々の不当な言いがかりに対して「無反応なのは屈服したのだ」と思わせないことが肝腎だと愚考しているのだ。
私にもこれが最善の手段ではないかも知れないとは解っている。だが、「何処まで続くぬかるみか」と韓国の不当な言い草に連日連夜ウンザリさせられているのに何時までも耐えている必要などないと思って言っているのだ。確かに、現在の局面で本格的に反論・反撃に出たところで速やかな問題の解決に結びつかないだろうことくらいは承知で言っているのだ。だが、国民感情としては何時までも“benign neglect”の穏やかな大人の姿勢で事に当たっておられては「飯が不味くなる」のである。韓国ばかりに言いたい放題を許しておいて欲しくないのだ。
正直なところ、私如きにこの国家間の大問題に適切な対策が解る訳はないと思う。だが、韓国は我が国からの如何なる呼びかけにも応じて来ずにいながら「光復節の文在寅大統領の演説の内容を事前に知らせておいたにも拘わらず、日本が何ら反応してこなかった」というのをGSOMIAの延長を拒否した理由に挙げてきた。見事なばかりの言いがかりである。このような度重なる韓国側の言いがかりに対して、小野寺五典元防衛大臣はテレビに出演する度に「静かな無視で対応して放っておけば良い」との慎重な意見を披露されている。
私も既に論じたが、下手に韓国の言いがかりに反応して正論を述べれば、彼らとの際限のない「泥仕合」になるだけだろうから、真っ向から反撃乃至は反論に出たくとも,ここはジッと我慢して耐えておく方が賢明ではないかとも述べてきた。だが、それでは韓国を図に載せるだけで、今回のような「良くそこまで考えたものだ」と感心させられかねない言いがかりを付けてくるのだろう。ここでまた英語の講釈をすれば、小野寺氏の「静かな無視」は“benign neglect”辺りが当たっていると思う。「慇懃な無視」などと訳されている。
私はこのまま大人の対応で「慇懃な無視」を続けていれば、韓国側は文在寅大統領は来年の選挙を控えていることでもあり、何としても我が国を屈服せねばとばかりに全世界の諸国に向けて得意技ののロビーイングを強化するか、我が国を貶める広報宣伝活動を一層本格化してくるだろうと危惧する。私は韓国がPR作戦に本腰を入れる前に、さり気なく世界に向けて今日これまでの経緯を可能な限り簡にして要を得た文章で「如何に韓国が虚言を弄し、事実を歪曲しているか」の穏やかな広報活動に励んでみたらどうかと思っている。
しかしながら、いくら我が国が静かに丁寧に実態を述べたところで韓国側が反論に出てくるのは疑いもないのだ。そこで、望むらくは「我が国が韓国が如何にしても反論出来ないような論旨を組み立てて置くこと」が肝要だと考えている。この場合は直接の論争ではなく飽くまでもインターネット上のことなので、韓国政府側もそう簡単には言いがかり的な論旨を組み立てては来られないのではと、希望的に考えている。いや、仮令この手法で泥沼になろうとも、今日までの数々の不当な言いがかりに対して「無反応なのは屈服したのだ」と思わせないことが肝腎だと愚考しているのだ。
私にもこれが最善の手段ではないかも知れないとは解っている。だが、「何処まで続くぬかるみか」と韓国の不当な言い草に連日連夜ウンザリさせられているのに何時までも耐えている必要などないと思って言っているのだ。確かに、現在の局面で本格的に反論・反撃に出たところで速やかな問題の解決に結びつかないだろうことくらいは承知で言っているのだ。だが、国民感情としては何時までも“benign neglect”の穏やかな大人の姿勢で事に当たっておられては「飯が不味くなる」のである。韓国ばかりに言いたい放題を許しておいて欲しくないのだ。