カタカナ語排斥論者が嘆く「スマイルシンデレラ」:
この度の渋野日向子さん素晴らしいの全英女子オープン(British Women’s Open)の優勝を、現地のテレビでの報道振りを伝えた画面では、“Smiling Cinderella”と出ていた。ところがである、こちらの報道では見事なまでに「スマイルシンデレラ」となっていて、例によって例の如く文法無視であり、元の英語とは異なるカタカナ語にしてしまった。現地の英語では“smile”という動詞の進行形が使ってあって形容詞のように使われていたのを、何を考えたのか動詞の原形に戻してしまった。
私にはこのような事をする意味と意図も解らないし、解りたくもない。こういう不見識というか文法無視をする輩がメデイアの何処に巣食っているかが知りたいし、何処の誰にどのような英語を学んできたかも知りたい。念の為の検索してみたところ、APやUKの現地のマスコミ報道も、Japan Timesも皆“Smiling Cinderella”となっていて、私のテレビ画面の見間違いでなかった事を確認出来た。
何度も繰り返して指摘した事で、カタカナ語製造業者は「単数・複数」や「時制の変化」を忘れてみせる無法振りだし「文法無視」の常習犯である。こういう事をするから、それでなくても至らざる我が国の英語教育の足を更に引っ張って、我が国の一般的英語力が向上しないように努めている。誠に怪しからん所業である。
話は変わるが、世の英語教師たちは渋野日向子さんが6日の午後3時半頃に羽田に到着直後の記者会見で素直に「英語が解らなくて」と言っていたが、高校まで6年間も英語を勉強させられていてもこんな事を言わせていた情けない自分たちの教育の成果を恥じるべきだ。このような現象は何も渋野さんだけに限られてことではないし、私には彼女を責める気などは全くないのは言うまでもない事。このような結果はごく当たり前のように起きているのが、我が国の英語教育の困ったところなのだ。
既に繰り返して引用してきた嘗て女性の英語教師がいみじくも暴露した「英語が話せるようになる為に教えていない」という教育法ではあっても、公開の席で「解らない」と言わせてどうするという事だ。私は渋野さんだけの問題ではなく文部科学省が反省すべき問題点であると捉えている。少し大上段に構えて言えば「矢張り英語教育は速やかに考え直すべきではないのか」と言って終わる。
この度の渋野日向子さん素晴らしいの全英女子オープン(British Women’s Open)の優勝を、現地のテレビでの報道振りを伝えた画面では、“Smiling Cinderella”と出ていた。ところがである、こちらの報道では見事なまでに「スマイルシンデレラ」となっていて、例によって例の如く文法無視であり、元の英語とは異なるカタカナ語にしてしまった。現地の英語では“smile”という動詞の進行形が使ってあって形容詞のように使われていたのを、何を考えたのか動詞の原形に戻してしまった。
私にはこのような事をする意味と意図も解らないし、解りたくもない。こういう不見識というか文法無視をする輩がメデイアの何処に巣食っているかが知りたいし、何処の誰にどのような英語を学んできたかも知りたい。念の為の検索してみたところ、APやUKの現地のマスコミ報道も、Japan Timesも皆“Smiling Cinderella”となっていて、私のテレビ画面の見間違いでなかった事を確認出来た。
何度も繰り返して指摘した事で、カタカナ語製造業者は「単数・複数」や「時制の変化」を忘れてみせる無法振りだし「文法無視」の常習犯である。こういう事をするから、それでなくても至らざる我が国の英語教育の足を更に引っ張って、我が国の一般的英語力が向上しないように努めている。誠に怪しからん所業である。
話は変わるが、世の英語教師たちは渋野日向子さんが6日の午後3時半頃に羽田に到着直後の記者会見で素直に「英語が解らなくて」と言っていたが、高校まで6年間も英語を勉強させられていてもこんな事を言わせていた情けない自分たちの教育の成果を恥じるべきだ。このような現象は何も渋野さんだけに限られてことではないし、私には彼女を責める気などは全くないのは言うまでもない事。このような結果はごく当たり前のように起きているのが、我が国の英語教育の困ったところなのだ。
既に繰り返して引用してきた嘗て女性の英語教師がいみじくも暴露した「英語が話せるようになる為に教えていない」という教育法ではあっても、公開の席で「解らない」と言わせてどうするという事だ。私は渋野さんだけの問題ではなく文部科学省が反省すべき問題点であると捉えている。少し大上段に構えて言えば「矢張り英語教育は速やかに考え直すべきではないのか」と言って終わる。