新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

8月16日 その2 英語で如何に討論するか

2019-08-16 15:22:10 | コラム
英語で主張したいことを如何に表現するか:

英語での表現力と討論の能力について考えて見よう。私は「基本的には発音は正確であればあるほど良いのである」と考えている。それはそれとして、外国人に「聞き取って貰えた」か「通じた」という段階ではなく「国際的な交渉の場で相手を説得するか納得させられるような論旨を、英語で組み立てられる能力があるかないかが問題である」と認識している。肝腎なことはTOEIC等のテストで何点取れていたかではなく、英語での”debate”の力が備わっているかいないかだということなのである。何しろアメリカ人たちは学校教育でdebateを学んできているのだ。

私は経験上も何度も「自分で言えるから結構」と通訳を断られた(偉い?)方に出会っていた。しかし、ご当人が英語での表現力dに自信をお持ちでも「ところで、あの方は何が言いたかったのか?私は良く解らなくて弱った」とアメリカ人に困惑の表情で疑問を呈されたことが屡々あった。

このような私の見解と考えについて、仏文学者のTK博士(フランスの大学院で博士号を取得されている、勿論フランス語で論文を書いて)は私の主張に同意した上で、以下のような意見を寄せられた。

>引用開始
文法問題がどうの、とか語彙がどうの、という以前に、彼らとどう議論してこちらの主張を伝えるか、が問われているのだと思います。語学学校に行ったレベルでは、お客様です。相手は商売ですから、必死でこちらの言いたいことを汲み取ってくれます。

しかし、フランスの大学で教員として働いたり、博士課程の学生として登録したりすれば、基本的にはこちらが向こうの論理に合わせなければならなくなります。さらに、自分の意見を通そうとすれば、当然向こうは否定から入ってくるわけです。

学生時代、フランス語が苦手だったのですが、それは私が「自分は日本語で論理的な文章が書けるのだから、それを単にフランス語に訳せば通じるはずだ」と信じきっていたためでした。

実際に、フランス語で論文を書くようになって、単に日本語をフランス語に訳せば良いのではなく、フランス式の論理に自分の主張を乗せなければ、通じさせるのは難しいことに気づきました。
<引用終わる

私はこの太字にしたところが重要だと信じている。即ち、私はここを「相手国の文化と思考体系の我が国との違いを認識してそれに合うような表現をしていかないと、容易には相手を納得させられない」と述べてきていた。その点を博士が専門的な視点から解りやすいように解説して貰えたと思っている。発音も聞き取り能力も表現力とは密接な関係にはあるが、相互の思考体系の違いの認識もまた重要な要素であるのだ。

この辺りを、視点を変えてみれば小学校の3年から英語を学ばせようなどと言って「万人がこのような高度な次元まで英語力を高めるように学ぶかまたは教える必要はないと思う」ということ。その点については、岐阜女子大他数校の大学で国文学を教えておられるKS氏のご意見も引用してみる

「英語ネイティヴが話す英語」と「世界共通語としての英語」は、おなじ「英語」といってもおのずから別ものになる。そのどちらを対象にするのかによって、いろんなことがちがってきます。日本の英語教育がNGなのは、「そもそもどういう英語をめざすのか」が曖昧だという点にあると思います。」

と明快に指摘されたいる。私は勿論同感である。「何だ。それでは他人様の意見の引用ばかりで貴方の意見は何処に?」との疑問をもたれる方がおられるかも知れない。だが、私は私の主張を支持して下さった学者の意見を引用して補強しようとしていることをご理解願いたいのだ。

纏めてみれば「相手の懐に入って納得させるような主張をして説得しようと思えば、テストの点数を上げるような勉強の仕方に集中するよりも、相手の国との文化と思考体系の違いを認識した上で、自分の主張の論旨を組み立てることを優先する必要がある」と「そもそも文科省や小学校から大学までの学校が、如何なる次元の英語を目指して教えるか、または学ばせるかを明確にしておくべきである」である。

論旨の組み立てが出来るようになることは重要だが、それと同等に肝腎なことは英語を母国語とする人たちは「これは言わずとも察してくれるだろう」というような人の良さの持ち合わせはないと、心得ておくべきなのだ。即ち、手を抜くことなく、細部まで言うべき事は細大漏らず全部言うようにせねばならないということ。彼らに「腹芸」は通用しないのである。この点は前述の「思考体系の違い」に属する事柄なのである。

急にこのような話題を採り上げた理由は「現今の対アメリカを含む国際情勢からすれば、国際場裏における交渉や討論の場は益々増えていくことは必定だ。そこでは、ただ単に流暢に英語で話せるだけでは不十分だし、上述のようにTOEIC等で高い点が取れているかという問題ではない」と主張したかったからだ。私は流暢な英語ではなくとも論旨の組み立てや、説得力がある話し方を最小の数の単語でぶつけてこられた論客に何人もお目にかかってきた。何れにせよ、英語の基本を十分に習得しておくことが先決問題だと思うが。


韓国に如何に対処するか

2019-08-16 07:58:03 | コラム
文在寅大統領の光復節における演説:

当初のテレビのニュースでは何時もの「切り取り報道」だったので、如何にも文氏が我が国に対する非難・攻撃を「トーンダウン」したかのように聞こえた。だが、全体を聞かされてみると確かにやや真っ向からの非難や攻撃は穏やかになったとは言え、私には韓国独特の我が国を一格下に見た、俗っぽく言えば「上から目線」で、「今からでも日本が対話と協力の道に乗り出せば,我々は快く手を取る。公正に貿易し,協力する東アジアをともにつくりあげていく」と格上が誘っているかのような表現もあった。全くの余談だが、全般的に「ウリ」(我が国)が屡々聞こえた。

私は文在寅大統領は決して危機感を覚えていない訳ではないが、あれだけの聴衆を目の前にして我が国対して譲歩するかのような演説をするのは適切ではないと判断したのだと考えている。即ち、これから先にも譲歩か軟化があると見るのは早計であると思いながら聞いて(字幕を見て)いた。現に戦時中の半島からの労働者問題にも慰安婦問題にも触れていなかったし、「先に成長した国が後から成長する国の梯子を払いのけてはならない」と貿易管理の手続き変更を非難するのを忘れてはいなかった。

また、「日本が隣国に不幸をもたらした過去を顧みる中で,東アジアの平和と繁栄をともに牽引して行くことを望む」とも言っていた。私はこれこそ現在に我が国との関係悪化は全てが韓国側が仕掛けが事であり、我が国は何ら非難される行動を起こしていないにも拘わらず強硬姿勢を採る背景には、我が国の過去の朝鮮半島の統治は到底許すことが出来ない悪事だと言っているのだと聞こえた。「この恨みは1,000年経っても消えない」と言ったのは朴槿恵前大統領だったか。

何れにせよ、韓国は大統領がやや軟化した演説をしている傍らで、「安倍NO」という私には見当違いだと思わせてくれるプラカードを持った20,000人(主催者発表)のデモを行っていた辺りに、対韓国問題の処理のやりにくさがあると思っていた。安倍総理というのか政府というのか私には解らないが、この問題の処理に「落とし所」など簡単に探ることなく、文在寅大統領以下その非を認めさせて多少時間をかけても、この愉快ならざる問題を解決して頂きたいと切に望む次第だ。

なお、韓国語の訳は産経新聞の報道に準拠した。