甲子園では気の毒にも球審が酷暑にやられた:
20日は夏休みで1週間休診中だった掛かりつけのクリニックが診療を開始されたので、朝一番で酷暑の中を歩いて出向いた。国立国際医療研究センター病院の主治医も同じ診断を下されるが、私を常に全身の筋肉痛というか凝りが襲ってくるのは「2006年以来3度も襲われた心筋梗塞と、2015年に2度の緊急入院を余儀なくされた心不全を患った以上、年齢も手伝って仕方ないことだろう」と、クリニックのS医師も言われるのだ。痛み止めの服用も効果はあるが、悪玉コレステロールが余計に蓄積されるので禁止されている。そこで両肩にブロック注射を受けて無事帰宅。
その結果で高校野球の準決勝の開始に間に合って、注射の効果が現れるまで静かに観戦していた。それにしても、高野連も朝日新聞も声なき声か大声か知らないが、この猛酷暑の下で未だ身体能力が十分に出来上がっていない高校生に昼間から良くも野球を3時間以上もやらせるものだと呆れる前に感心している。この日は生徒たちよりも高年齢の球審がやられたようで途中交代の止むなきに至ったのは何ともお気の毒なことだと思って見ていた。高野連や朝日はどう思ったのだろう。それにしても生徒たちや観客からは事故は発生していないのだろうか。報道していないだけか?
私は既に述べたことで高校野球だろうと何だろうと、勝利を目指して一所懸命に試合をしている姿を主に観戦しているのではなく、飽くまでも冷静にその技術の巧拙を鑑賞して楽しんでいるのだ。決して朝日新聞その他のような美辞麗句を弄そうと思って見ている訳ではない。優勝した団体や個人がそこに到達するまでの練習や苦労を思いやって、時には涙しかかることもあるが、彼らが優勝した喜びをテレビを通じて味合わせて貰おうと思って見ているのだ。と言うのも、私たちは昭和23年の国体の高校サッカーで決勝戦で敗れた為に優勝を経験せずに終わったので、その嬉しさが如何ばかりかと想像しているのだ。
こういう言い方は良くないかと後難を恐れて言えば、甲子園の野球のようなトーナメント方式の試合を見ていると、準々決勝や準決勝までの段階に勝ち上がってくる学校になるほど偏差値が高くなってくるような傾向があるのだ。だが、明日の決勝戦でも勝ってしまいそうな勢いの金沢の星稜高校はその例外的な存在であるようだ。私の独断的な見方だと、地方で野球以外の種目で余り全国区ではない私立高校が難関を勝ち上がってくる傾向があるようだ。そういう取り組み方で知名度を上げて少子化の時代の生徒集めの対策としているのかと見ている。間違っていたらご免なさい。
私が長い間忌み嫌っていたことは何も甲子園の野球ではなく、あらゆる競技種目で全国大会をトーナメント方式で開催することだ。その弊害を鋭く衝かれたのが残念ながら故人となってしまわれた元日本大学高校・アメリカンフットボール部監督だった清水之男氏だった。勿論その指導方針は厳しかったが、子供たちの特徴と言うか何が優れているかを見抜く眼力は素晴らしかった。
このフットボール部は全国優勝を狙える実力があったのだが、清水氏は「私は子供たちにトーナメント方式を勝ち上がる為の技巧を教えて小さく纏めるテイームを作ることはしない。子供たちを鍛えるのは飽くまでも日本大学フェニックスの篠竹監督が使うような選手を育てる事を第一義にしていると了解願いたい」親たちを集めて語りかけられたのだった。事実、フェニックスの中心選手たちに日大高校出身が数多く占めていたものだった。
甲子園の野球はこの故清水監督の方針と見事なほど対極をなしていると思う。その点から見れば、現在のサッカーのJリーグに全国大会で名を為した選手がどれほどいるか。全日本代表に高校の全国大会で活躍していた者が何名いるか。多くはJリーグの下部組織で鍛えられた者だ。でもテレビも新聞も全国大会を持て囃すのだ。NPBに甲子園出に出なくても名を為した者がどれほどいるかを考えて見ろとも言いたい。尤も、その陰にはプロのコーチたちの指導力の問題もあるとも言えるだろう。何処かにそれかあらぬかFA選手ばかりを集めている強豪球団があるではないか。
甲子園に話を戻そう。テレビだけで見ていては本当の能力と完成度は解り難いが、星陵高校の奥川恭伸君はあらゆる球をプロの投手のように操るだけではなく、アメリカのMLBの投手たちのように150 km台の速球(ストレートというのは日本語で、アメリかでは fast ball である、念の為)を投げてしまう超高校級どころかプロでも通用するだろうという騒ぎ。中京学院中京高も智弁和歌山を軽く一捻りしたと見えた。両校ともに「打たせて貰える投球」に最後まで出会えなかった。
問題は決勝戦で大阪の履正社が奥川君のどの球種に絞ってくるかだ。準決勝では7回まで投げただけで、今日一日の休養だが、これを以て頑是無い?高校生を丸一日休ませたと見るのか、不合理な酷使と非難するかだ。だだ、少なくとも3年間この日を目指して努力してきた聖地甲子園での決勝戦だ。理屈も理論も超越した試合になるだろう。私は奥川君は大した投手だと思ってはいるが、あの完成度を見ると「彼に後どれほどの伸びしろが残っているのか」が気になるのだ。恐らくあのままプロに行くのだろうが、FA選手ばかりを買い漁る球団にだけは籤を引き当てさせたくない。
20日は夏休みで1週間休診中だった掛かりつけのクリニックが診療を開始されたので、朝一番で酷暑の中を歩いて出向いた。国立国際医療研究センター病院の主治医も同じ診断を下されるが、私を常に全身の筋肉痛というか凝りが襲ってくるのは「2006年以来3度も襲われた心筋梗塞と、2015年に2度の緊急入院を余儀なくされた心不全を患った以上、年齢も手伝って仕方ないことだろう」と、クリニックのS医師も言われるのだ。痛み止めの服用も効果はあるが、悪玉コレステロールが余計に蓄積されるので禁止されている。そこで両肩にブロック注射を受けて無事帰宅。
その結果で高校野球の準決勝の開始に間に合って、注射の効果が現れるまで静かに観戦していた。それにしても、高野連も朝日新聞も声なき声か大声か知らないが、この猛酷暑の下で未だ身体能力が十分に出来上がっていない高校生に昼間から良くも野球を3時間以上もやらせるものだと呆れる前に感心している。この日は生徒たちよりも高年齢の球審がやられたようで途中交代の止むなきに至ったのは何ともお気の毒なことだと思って見ていた。高野連や朝日はどう思ったのだろう。それにしても生徒たちや観客からは事故は発生していないのだろうか。報道していないだけか?
私は既に述べたことで高校野球だろうと何だろうと、勝利を目指して一所懸命に試合をしている姿を主に観戦しているのではなく、飽くまでも冷静にその技術の巧拙を鑑賞して楽しんでいるのだ。決して朝日新聞その他のような美辞麗句を弄そうと思って見ている訳ではない。優勝した団体や個人がそこに到達するまでの練習や苦労を思いやって、時には涙しかかることもあるが、彼らが優勝した喜びをテレビを通じて味合わせて貰おうと思って見ているのだ。と言うのも、私たちは昭和23年の国体の高校サッカーで決勝戦で敗れた為に優勝を経験せずに終わったので、その嬉しさが如何ばかりかと想像しているのだ。
こういう言い方は良くないかと後難を恐れて言えば、甲子園の野球のようなトーナメント方式の試合を見ていると、準々決勝や準決勝までの段階に勝ち上がってくる学校になるほど偏差値が高くなってくるような傾向があるのだ。だが、明日の決勝戦でも勝ってしまいそうな勢いの金沢の星稜高校はその例外的な存在であるようだ。私の独断的な見方だと、地方で野球以外の種目で余り全国区ではない私立高校が難関を勝ち上がってくる傾向があるようだ。そういう取り組み方で知名度を上げて少子化の時代の生徒集めの対策としているのかと見ている。間違っていたらご免なさい。
私が長い間忌み嫌っていたことは何も甲子園の野球ではなく、あらゆる競技種目で全国大会をトーナメント方式で開催することだ。その弊害を鋭く衝かれたのが残念ながら故人となってしまわれた元日本大学高校・アメリカンフットボール部監督だった清水之男氏だった。勿論その指導方針は厳しかったが、子供たちの特徴と言うか何が優れているかを見抜く眼力は素晴らしかった。
このフットボール部は全国優勝を狙える実力があったのだが、清水氏は「私は子供たちにトーナメント方式を勝ち上がる為の技巧を教えて小さく纏めるテイームを作ることはしない。子供たちを鍛えるのは飽くまでも日本大学フェニックスの篠竹監督が使うような選手を育てる事を第一義にしていると了解願いたい」親たちを集めて語りかけられたのだった。事実、フェニックスの中心選手たちに日大高校出身が数多く占めていたものだった。
甲子園の野球はこの故清水監督の方針と見事なほど対極をなしていると思う。その点から見れば、現在のサッカーのJリーグに全国大会で名を為した選手がどれほどいるか。全日本代表に高校の全国大会で活躍していた者が何名いるか。多くはJリーグの下部組織で鍛えられた者だ。でもテレビも新聞も全国大会を持て囃すのだ。NPBに甲子園出に出なくても名を為した者がどれほどいるかを考えて見ろとも言いたい。尤も、その陰にはプロのコーチたちの指導力の問題もあるとも言えるだろう。何処かにそれかあらぬかFA選手ばかりを集めている強豪球団があるではないか。
甲子園に話を戻そう。テレビだけで見ていては本当の能力と完成度は解り難いが、星陵高校の奥川恭伸君はあらゆる球をプロの投手のように操るだけではなく、アメリカのMLBの投手たちのように150 km台の速球(ストレートというのは日本語で、アメリかでは fast ball である、念の為)を投げてしまう超高校級どころかプロでも通用するだろうという騒ぎ。中京学院中京高も智弁和歌山を軽く一捻りしたと見えた。両校ともに「打たせて貰える投球」に最後まで出会えなかった。
問題は決勝戦で大阪の履正社が奥川君のどの球種に絞ってくるかだ。準決勝では7回まで投げただけで、今日一日の休養だが、これを以て頑是無い?高校生を丸一日休ませたと見るのか、不合理な酷使と非難するかだ。だだ、少なくとも3年間この日を目指して努力してきた聖地甲子園での決勝戦だ。理屈も理論も超越した試合になるだろう。私は奥川君は大した投手だと思ってはいるが、あの完成度を見ると「彼に後どれほどの伸びしろが残っているのか」が気になるのだ。恐らくあのままプロに行くのだろうが、FA選手ばかりを買い漁る球団にだけは籤を引き当てさせたくない。