新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

9月11日 その2 私の思考体系

2019-09-11 17:36:49 | コラム
私の感性はアメリカの影響を受けている:

私が言わば副業的に物書き業に入っていったのは1990年4月頃だった。その時までは全く「書くこと」については何の勉強もしたことがない門外漢だったが、紙パルプ業界専門出版社の編集長に「何を書いても結構ですから」と言われ、その気になってしまったのだった。即ち、自分が書いたものが活字になって多くの方に目に入っていく事態になったのだった。

この時はエッセイというか軽い読み物として月2回刊行の専門誌に「この向こうにアメリカとは如何なる国かが見えてくれれば良いか」という狙いもあって、思い浮かんでくることを書いていただけだった。他にも業界の評論の如きものも寄稿していた。

その頃長男に言われたことが「本人を知っていて、そういう人物ではないと承知しているから言えるが、活字になった文章を読んだ方にはかなりの硬派で愛国主義者的な人だと思われるだろう。とんだ誤解だがね」と言われた。何を言っているのかピンとこなかった。

次いで今となっては30年を超えるお付き合いをして頂いている某私立大学法学部のT教授には「永年アメリカの会社で過ごす間に磨かれた感性で書いておられる愛国者だと理解しております」と言われた。

2000年代に入っては初めてお目にかかる機会を得たメールマガジン「頂門の一針」を主宰しておられる元はNHK政治部の記者で故園田直外相の秘書官を務められた渡部亮次郎氏には「会ってみて優しい人だったので安心した」とも言われてしまった。私は渡部氏のこの一言は長男の言う「書いたものを見れば硬派と思われるのでは」を裏書きしていると解釈したのだった。

私が長い間のアメリカの会社でアメリカの思想信条と思考体系と文化の下で彼ら(と自分の職安全)の為に働いてきた経験と、A型である事による批判的な物の考え方に基づいて発表する意見は、屡々意図しなかったように解釈されるか、批判乃至は反論されてしまう結果になることは非常に残念だと思っている。尤も、そういう結果になる原因に「断言しないからだ」との意外なご指摘もあったのだ。そこで、あらためて私の考え方が何故そうなったかを振り返ってみようと思う次第。

私自身が認識していることは、22年半にも及んだ異文化のアメリカの会社でアメリカの為に働いていたことと、終戦直後から英語で自己を表現するアメリカ式な思考体系の中でも育ってきたことが、今日までの私の思考体系に大きな影響を与えていた点なのである。

特にウエアーハウザーを1994年1月末にリタイアするまでの最後の10年間は、明らかにアメリカ人たちの思考体系で「日本語でではなく、明らかに英語で物を考えねば間に合わない」という世界で過ごしていた。言うなれば、良いことかどうかは別として、アメリカ系日本人のような思考体系になっていたと自覚している。

私は英語で語り且つ文章を書く際には、英語の特徴であり我が国にはあり得ない二進法的思考(断定的に言う)が自然に働くようになっていて、断言する表現を多用するようになっていた。だが、一旦自国語に戻ると、チャンと「ここまで書けば後は言わずとも先方は解ってくれるだろう。以心伝心はあるだろう」のような日本語の思考体系なってしまうことが多いのだ。それは当然で公私両面で二つの言語を操る以上、頭の中で使い分けが出来ないことには、私は日本人ではなくなってしまう危険性があり、私は如何なる時でも「日本人であり続けよう」と努めてきた。

その辺りを同僚たちに言わせると「君はその着ている物、話している英語、仕事の進め方を見れば明らかに我々の仲間だとしか思えない。だが、よくよく観察してみれば、君は明らかに骨の髄まで日本人だった」となるのです。事の序でに「骨の髄まで日本人」を英語では“You are Japanese to the core.”だったと記憶する。

頭の中で日本語から英語、更にまた日本語と常にギアを切り替えて話すように努めている為に、日本語にシフトした途端に英語の場合のように断定や断言することを避けてしまう傾向が出て来たのだ。即ち、日本語から英語に切り替えれば、二進法的な断定的な考え方になるという具合。このように切り替えて考えることは、英語を学ぶ場合では非常に重要な要素だと長年述べてきた、念の為。

私はアメリカの文化と思考体系等の我が国との明らかな相違点とその実情を、ごく一般的な同胞より少しは余計に経験し認識している者だと自負している。同時にその経験に基づいて、内側からアメリカとそのビジネスの世界、アメリカ人たちの物の考え方を、飽くまでも我が国と対比して解説し、時にはかなり手厳しく批判もしてきた。改めてお断りするまでもなく、私の主張はアメリカの会社で彼らの一員として彼らと共に仕事を推し進めてきた経験に基づいているのだ。極端に言えば「日本人としての視点で見ているのではない」とでもなるだろうか。

私は誰もが承知しているだろう、アメリカに数多ある我が国にはない優れた点を今更採り上げて礼賛する意図はない。これまでは両国の会社を経験したが故に見えてきた相互の相違点を取り上げて比較してきた。故に、今回も自分で学びとったアメリカの長所も礼賛をして来なかった。だが、アメリカが世界でも最も優れた良い国である事を疑いもない事実だと認めるに吝かでない。

ではあっても、アメリカに永住する気があったかと尋ねられれば、断固「ノー」と言うだろう。何分にも自動車の運転が出来ないことも一つの理由であるからだが、それだけが理由ではないと申し上げて終わる。。

W杯サッカー予選の対ミヤンマー戦

2019-09-11 08:15:35 | コラム
格下相手で勝って良かった:

10日夜のこのミヤンマー代表相手のW杯サッカーの予選は彼の地で豪雨の中で行われた、選手たちには気の毒な試合だった。でも、我が精鋭は悪条件を物ともせずに前半だけで2点も取って格下を寄せ付けなかった。午後9時20分頃だったかのキックオフは当方にとっては余り好ましくない時間帯で、前半の2点だけで先ず負けることはないと思ったので、後半はマスコミご推薦の久保建英が出ようと出まいと気にせずに、半分寝てしまった状態でテレビの音声だけ聞いていた。

これは私の偏見だと言われても抵抗しないが、香川真司を外してしまった森保監督は信用ならないと思っているので、この勝ち抜けて当たり前としか思えない予選リーグには余り関心がないのだ。マスコミご推薦のな中島翔、堂安、南野の新鋭も使われ始めた頃の輝きが薄れてきたので、何も期待しないで見るようにしている。特に南野はここぞというシュートを外し技量に長けているので信用していなかったが、昨夜は2点目を取ってくれたがそこまでのことだった。

先日懇談した某私立大学の熱心なフットボールファンの教授は「何故わが国の代表選手たちはパスを回してばかりいて,私の目にはシュートのチャンスだと見える時でもパスをしてしまうのか」と突っ込まれて答えに窮した。昨夜は中島も含めて相当数のロングシュートもあったが、アナウンサーがお為ごかしに「惜しい」と叫んでいた結果では何にもならないのだ。解説の北沢だったが、「2点というのは最も危険リードである。何とかして3点目を取れ」と言っていたのは誠に尤もな指摘で、丁度U―18の野球が韓国から3点目を取れずに延長になって敗れたのと同じ状況だった。

勝ったのは良かったと褒めて上げるが、どうしても気に入らなかったのが「相変わらず格下を相手にしても得意の後方への安易な責任逃れのパスを乱発し、それを受けた4人のバックス間で横から横へのパス交換をして前方で誰かがマークを外すべく動くのを待っているにも拘わらず、半端ないとか言う大迫が後方に戻って起点になろうとしたりする戦法は、誰が何と言おうと評価したくない。消極的に過ぎるし安全第一のサッカーなど見たくない。実は前出の教授にはこのように批判的に答えておいたのだった。

私はこの寄せ集め代表テイームは何としても決定力を強化することと、後方向けから横→横という消極的としか見えないパス回しのサッカーから一刻も早く脱却することを望みたい。彼らはサッカーは上手いのだから、もっと個性を発揮して目に物見せて欲しいのだ。大迫君にはワントップというポジションに相応しい豪快なシュートを決めて欲しいと依頼して終わる。