新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

9月22日 その3 ラグビー雑感

2019-09-22 11:40:28 | コラム
私は決してラグビーのファンではない

我が国でのW杯開催の為に、暫くの間はトランプ大統領も、何処かの近隣の国のイヤらしさも、サウジアラビア(対イラン?)問題も、小泉進次郎新大臣の調子外れの発言問題も忘れて、ラグビーばかりを語っている状態になってしまったので、ここでも続けてみようと思った次第。

先ほどから、一所懸命に前回ラグビーの試合をスタンドで観戦したのが何時だったかを思い出そうとしているが、一向に出てこない。もしかすると、アメリカの会社に転進した1972年以前だったかも知れない。そんなことでラグビーを語るとか批判(しているのかな?)するとは不届きな所業かも知れないが、そこはご寛恕願いたい。

ラグビーは見ていて面白いか:
当方はかなりルールは承知しているつもりだが、あのように毎年のように変化させられては、一寸付いていくのが面倒に感じる時がある。でも解ったようなことを言うのは、私自身が同じ英連邦が発祥の地であるサッカー出身だということもある。だが、母方の叔父の1人が戦前の早稲田大学でレギュラーを張っていたので、その叔父と母親から「ラグビーとは」を子供の頃から吹き込まれていたことが、少しばかりの知識をつけられる原因になっていた。

それが湘南中学入学直後から蹴球部に入ったので、そこに集中した。そこに遠縁に当たる戦前のフットボールを知る者から、終戦直後にアメリカンフットボールの面白さを教えられて、藤沢の田舎(当時はかなりの僻地との感は否めなかった)の中学生が進駐軍に接収された明治神宮外苑競技場(アメリカ人たちは「ナイル・キニックスタジアム」と命名した)まで陸・海・空・海兵隊が争う「ライスボウル」などを観戦に行って、その面白さには十分惹かれていた。ナイル・キニックスタジアムが現在の建設中の国立競技場のこと、念の為。

そのフットボール好きはアメリカの会社に転進して増幅されたし、2人の息子たちが関東大学1部リーグの大学まで続けたので、一層のめり込んでいく結果となった。いや、サッカーやラグビーよりも面白いと惹かれていったと思う。息子たちを通じて強豪大学の監督さんたちからも本格的に「フットボールとは」を学べた。その上に本場のアメリカ人たちとともにNFLの試合を観戦したのだから、益々知識は充実し「フットボールこそが究極のスポーツ」と熱心なファンと化していた。

このような経過から言えば、観戦して最も面白いのが(アメリカン)フットボールで、第2位には突然野球が入ってきて、第3位に辛うじてサッカーが入り、ラグビーはサッカーと同率とは言えない第3.5位辺りかと思う。サッカーの評価を低くした理由は、我が国の代表のおざなりというか責任逃れのパス回しばかりか暇さえあれば「バックパス」と後陣での「パス交換」ばかりの消極性に嫌気がさしているからだ。あれは子供の頃からの育て方に問題があるのではと疑う。

ラグビーのルール:
屡々聞かれる「アメリカンフットボールも見たいとは思うが、何分にもルールが解らないので」という言い訳は大間違いだと何度か論じた。それは「得点の取り方というか試合の進行の決め事が解らない」と言っているのである。多くのフットボール系の競技でも「ルールを完璧に理解してプレーしている者などいない」と、私は見ている。現に、MLBでもNPBでも、ルールを理解できていなかった為の失敗が常にあるではないか。ラグビーの毎年のように導入される新ルールを承知して見に来ているファンがどれほどいるだろうか。

フットボールだって、ランニングバックが相手の厳しいデイフェンスを突破して長い距離を走ってタッチダウンを取る場面か、レシーバーガキ例にパスを捕って行く格好良さを楽しめば良いだけのことだ。私だってここでも常に変わって行くルールなどを承知して観戦している訳ではない。

私はサッカーにもラグビーにもどう考えても不合理だと言いたくなるルールがあると思っている。そういう矛盾点を解決して、後から言うなれば人工的に創り上げられたのがアメリカのフットボールであり、そのルールには矛盾点が少ないと思う。解りやすい点を挙げてみればサッカーもラグビーもいくら批判を浴びても審判員を3人しか置いていないので、見逃しと誤審が生じやすい。それを近頃はデイジタル的な機械を使って何とかしようとするので、屡々ゲームが中断される。それでも審判員を増やそうとしない辺りにUKの頑固さを感じるのはおかしいかな。フットボールは7人制である。

ラグビーのルールでこれだけは根本的にお変えになればと思うことがある。それはキックオフなのだ。即ち、ラグビーでは点を取られた方が試合再開の際に、得点をした有利な立場にある陣地に向かって蹴り込んでいるのだ。これでは、屡々得点をして勢いが出ている方に再び攻撃権を与えてしまう結果になる矛盾だと、私が決めつけている制度である。失点した上で再び攻撃権を相手に与えては何ともならないと思う。アメリカ的合理性はこの矛盾を解決して、得点した方がキックして相手方の攻撃になるように決めてある。ラグビー界もソロソロこの点を改正したら如何と思う。


9月22日 その2 英語に見る階層別の変化

2019-09-22 08:01:16 | コラム
“What do you doing?”はどうか?:

このような質問が渡部亮次郎氏主宰の「頂門の一針」の読者から私宛に投稿されたとお知らせ頂いた。質問者はアメリカで滞在したホストファミリーでは納得する答えが得られなかったそうで、このような文法的に怪しい表現を正す小言幸兵衛」のような存在が必要ではお考えのようだった。私は考え方にもよるが、かなり面倒な質問だと思った。そこで下記のようにお答えしたので、ご参考までにご一読願うことにした。

“難しいというか多くの要素を含んでご質問だと思います。先ず、お断りしておきたいことは「私は英語学者でも言語学者でもない」という点です。ただ単に幸運でアメリカの支配階層に通じる英語とその話し方を学べる機会が終戦直後の子供頃からあっただけだったことと、現実にアメリカの支配階層とアッパーミドルに属する人たちが中心で運営されていた会社で、我が国の英語教育では学び得ないようなEnglishの世界で過ごしてきただけでした。

その“What do you doing?”という表現には接したことがありませんでした。そこで言えることは、失礼に当たるかも知れませんが,そのホストファミリーがそのような階層にあるかが問題だと思います。あのIt's me.”について答えてくれたMaryの一家では、父親が息子が読んでいた雑誌を「一寸見せて」と言う時に“May I ~.“と言って話しかけていました。そういう人たちの家庭だったかと言うことでしょう。

私が転進した1975年のWeyerhaeuserの東京事務所では、毎月各部門の担当マネージャーたちが本部に送る“Monthly report”は先ず原稿を副社長補佐のJ氏(ワシントン大学のMBA)がチェックして赤字で訂正し、何度か書き直してからでないと完成版を送れませんでした。その理由は「もしかして、社長にまで上がるかも知れない報告書に初歩的な文法の誤りやおかしな言葉遣いか表現があってはならないから」でした。我々日本人社員は鍛え上げられました。

ご指摘のような「小言幸兵衛」の存在は必要だと思います。私は特に現在の名前があれほど読めなくなった珍妙としか言いようがない当て字ばかりだけではなく、重箱読みも横行している現象を見れば、国語教育が如何にお粗末になったかと嘆くばかりです。英語というかカタカナ語の粗製濫造を見ていれば、この分野にも誰かその奇妙さを正すか、正当な指導ができる存在が必要だと痛感しております。

What do you doing?と似たような文法的におかしな表現には、一寸異なる階層に属する者が多い場に行けば普通に出会います。例えば“How are you?”は最早死語で“How are you doing?”は一般的になってしまったとも言えるでしょうし、それに答えて“I'm doing real good. Thanks.”も普通です。このrealはreallyとしたくなってしまうのが普通だと思いますが。先日も例に挙げた“Don't say nothing."のような二重否定は肯定文として通用します。

私が転進た時の技術サービスマネージャーは部下の技師が客先でプリゼンテーションをした際に黒板に書いた文章に文法的な誤りがありと見た途端に平然として“Hey, Bill. It's pidgin. Correct it.”とお客様に聞こえるのを構わずに注意しました。我が国でもこのような厳格さは同じだと聞きましたが、一流会社(我が社は当時はトリプルAの格付け)は全アメリカで第40位の売上高があった誇り高き製造業の会社でした。

我が社の自慢をしているのではなく、言葉についてはかくあるべしだと思うと申し上げています。“


如何でしょう。ご納得頂けましたか。



ラグビーW杯開催に思う

2019-09-22 07:46:40 | コラム
ラグビーあれやこれや #2:

マスコミは騒ぎ過ぎだ:
昨21日には産経新聞が一面のトップの記事にしたのに驚いて見せたが、本心から言いたかったことは「世界のランキング10位の我が方が20位のロシアに勝つのが当然な当たり前の試合だったことをそこまで騒ぐな」だった。それは初戦で緊張しただろうが、それでも勝つのが本当に強いことを立証するのであって、産経だけではなく、多くのテレビ局も大騒ぎだ。かれらが皆そこを言わずしてもお祭り騒ぎするのは見苦しいと感じていたのだった。

世界の強豪国の試合振り:
21日にはオーストラリア対フィジーと決勝戦でも顔合わせをさせたいと言われたニュージーランド対南アフリカとの試合を興味深く観戦した。4ヶ国の代表テイームはそれぞれ作戦があってあのような真っ向から当たり合うと私には見えたゲームプランで臨んだのだろうとは思う。それ即ち、綺麗にバックスでのパス展開で行く先鋒ではなく、ボールキャリヤーは短い距離を端って敢えて相手でデイフェンスに当たりに行ってそこでモールだかラックを作っては出来る限り早い球出しをしてはまた突っ込んでいくという、素人目には単調で余り面白くない体力消耗戦のように見えた。

解説者の1人は「あのような当たり合いで相手のFWの体力の消耗を狙っているのだ」と教えてくれたが、世界最高と聞かされているニュージーランド代表(オールブラックス)でもそのプランだったようで、実力はあると見えた南アフリカをその力の差で退けていた。確かにニュージーランドは随所に世界でも著名だというBバレットのような名手の素晴らしさを見せてくれたが、当たり合いと体力消耗戦は日頃ラグビーに接する機会がないものには退屈に近い感想を持たせてくれた。

21日に勝っていたニュージーランド、南アフリカとオーストラリアは確かにラグビーでは世界的な強豪国だが、他の球技に属する競技では余り世界的な強さを発揮していない。それだけにこのラグビーのW杯には「賭けている」という印象が濃厚だと感じた。尤も、我が国やアメリカの野球にはオーストラリアの選手もいるし、我が国のサッカーでは常にオーストラリアとは厳しい試合展開となって苦しめられたとの実績はあるが、この国からは世界的なサッカーの名手は出ていないのではなかったか。

ラグビー関連の放送用語:
ラグビーの中継放送をするアナウンサーたちは「番狂わせ」のような下位のテイームが上位者に勝つことを近頃は“giant-killing”と称するようだが、私は長い間この現象を“an upset”だと思っていたので、この期に及んで英語の勉強をさせて貰えたと彼らに感謝した。だが、ラグビーでは滅多にgiant-killingは起こらないそうだ。それだからこそ、前回の大会で我が国が南アフリカに勝ったのは大事件だったと言うことだそうだ。

ここで一寸折角英語の講釈に入ったので、野球用語にも触れてみたくなった。多くの解説者たちが平気で言う「ワンバン」や「ショーバン」がある。これも実はカタカナ語を更に詰めてしまったもので、「ワン・バウンド」と「ショート・バウンド」だったのだ。アメリかでは「バウンド」は“hop”が使われていて“short hop”になっている。また、この関連では「イレギュラーバウンド」というのがあるが“bad hop”となっている。即ち、アメリかでは「バウンド」に規則的も不規則的なものはないと言っているようだ。