実は要注意な点がある:
先ほど掲載したアメリカの婦人(仮にMaryとでもして置く)の説明は「自分の国の言葉をあそこまで平易に文法的に解説されたのには流石と感心するだけ」だった。私にはとても日本語の文法をあれほど誰にもで解るように分析出来るとは到底思えないのだ。「なるほど、It’s me.ではいけないというのはこのような事だったのか」と納得して感心された方もおられるかと思う。だが、正直に言えば,私はこの辺りに落とし穴が潜んでいると思っている。
それは、「Maryの分析は丁度我が国の学校教育における英語の教え方、就中文法の教え方にも似ているか」と思うのだから。即ち、「英語を理論的に考えようとする余りに『be動詞』の次に目的語が来る場合には代名詞の目的格ではなく、主格を持ってこなければいけないと理解し認識していると、”It is“と来たから次は meではいけなくて Iにしなければならないのだ」のような思考にとらわれてしまうのではないかと危惧するのだ。これでは中々滑らかに英語を話す事が難しくなるだろうという意味。
そこに登場するのが私が永年繰り返し繰り返し主張し強調して来た「音読・暗記・暗唱」なのである。より具体的に言えば、“It’s I.”のような文法的に正しい文章を徹底的に音読して暗記しておけば咄嗟の場面で文法的に誤りである“It’s me.”は出てこなくなるものなのである。この点は高校3年の時の英語の担任だった故鈴木忠夫先生は「重要な点は口から文法的に誤りである言葉の使い方や文章が出てこないように覚え込んでしまう事」と明確に言われた。もっと言えば「理屈は忘れて音読を通じて覚え込んでしまえ」という主張なのだ。解説などは後から付いてくれば良いこと。
更に具体的に指摘すれば、私はこのようにして文法的に正しい言葉遣いと文章を徹底的に暗記して暗唱出来るようにして見たのである。その意味は「単語をバラバラに覚えるのではなく、飽くまでも流れの中でどのように使うのが正しく且つ文法的に正確か」を音読・暗記・暗唱方式で覚えてきたという事。この方式に対しては「そんなやり方で英語が出来るようになるのか」との疑問を呈された方は諸賢のご想像通りに多かった。だが、何度も述べてきた事で「この方式では学校教育方式で学ばれた方たちよりも、実践的な効果が挙がった例が何件もあった」のである。
これも何度か述べてきたことで「私は文法などは後から理論付けしたものであると思っている。その理論に生き物である言葉を無理矢理にはめ込んでいくのは本末転倒ではないのか」なのである。故に“It’s me.”や“Me, too.”のような表現は覚えないようにしなければならないのだ、仮令それが通俗的には受け入れられ一部の階層では使われていても。
念の為に補足しておくと、MBAであるMaryの長男はハーバートでMBAを取得してIntelのdirectorであり、長女はIvy League のBrown Universityを経て一旦Intelに勤務した後でUCのバークレーで文学のマスターを取って大学教授であるという、絵に描いたようなインテリの一家である。余談だが、Maryは我が国では普通に「メアリー」とカタカナ表記されるが、事がGaryとなると何故か「ゲーリー」か「ギャリー」となってしまう。カタカナ語製造業者は何をやっているのかと何時も奇異に感じている。これは「ゲアリー」が正しいのだ。
先ほど掲載したアメリカの婦人(仮にMaryとでもして置く)の説明は「自分の国の言葉をあそこまで平易に文法的に解説されたのには流石と感心するだけ」だった。私にはとても日本語の文法をあれほど誰にもで解るように分析出来るとは到底思えないのだ。「なるほど、It’s me.ではいけないというのはこのような事だったのか」と納得して感心された方もおられるかと思う。だが、正直に言えば,私はこの辺りに落とし穴が潜んでいると思っている。
それは、「Maryの分析は丁度我が国の学校教育における英語の教え方、就中文法の教え方にも似ているか」と思うのだから。即ち、「英語を理論的に考えようとする余りに『be動詞』の次に目的語が来る場合には代名詞の目的格ではなく、主格を持ってこなければいけないと理解し認識していると、”It is“と来たから次は meではいけなくて Iにしなければならないのだ」のような思考にとらわれてしまうのではないかと危惧するのだ。これでは中々滑らかに英語を話す事が難しくなるだろうという意味。
そこに登場するのが私が永年繰り返し繰り返し主張し強調して来た「音読・暗記・暗唱」なのである。より具体的に言えば、“It’s I.”のような文法的に正しい文章を徹底的に音読して暗記しておけば咄嗟の場面で文法的に誤りである“It’s me.”は出てこなくなるものなのである。この点は高校3年の時の英語の担任だった故鈴木忠夫先生は「重要な点は口から文法的に誤りである言葉の使い方や文章が出てこないように覚え込んでしまう事」と明確に言われた。もっと言えば「理屈は忘れて音読を通じて覚え込んでしまえ」という主張なのだ。解説などは後から付いてくれば良いこと。
更に具体的に指摘すれば、私はこのようにして文法的に正しい言葉遣いと文章を徹底的に暗記して暗唱出来るようにして見たのである。その意味は「単語をバラバラに覚えるのではなく、飽くまでも流れの中でどのように使うのが正しく且つ文法的に正確か」を音読・暗記・暗唱方式で覚えてきたという事。この方式に対しては「そんなやり方で英語が出来るようになるのか」との疑問を呈された方は諸賢のご想像通りに多かった。だが、何度も述べてきた事で「この方式では学校教育方式で学ばれた方たちよりも、実践的な効果が挙がった例が何件もあった」のである。
これも何度か述べてきたことで「私は文法などは後から理論付けしたものであると思っている。その理論に生き物である言葉を無理矢理にはめ込んでいくのは本末転倒ではないのか」なのである。故に“It’s me.”や“Me, too.”のような表現は覚えないようにしなければならないのだ、仮令それが通俗的には受け入れられ一部の階層では使われていても。
念の為に補足しておくと、MBAであるMaryの長男はハーバートでMBAを取得してIntelのdirectorであり、長女はIvy League のBrown Universityを経て一旦Intelに勤務した後でUCのバークレーで文学のマスターを取って大学教授であるという、絵に描いたようなインテリの一家である。余談だが、Maryは我が国では普通に「メアリー」とカタカナ表記されるが、事がGaryとなると何故か「ゲーリー」か「ギャリー」となってしまう。カタカナ語製造業者は何をやっているのかと何時も奇異に感じている。これは「ゲアリー」が正しいのだ。