新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

9月17日 その2 9月16日のPrime News

2019-09-17 08:13:07 | コラム
私が非常に興味を感じた2点を:

16日のPrime Newsは出席者が木村太郎氏と古森義久氏だったので、大いに期待して見ていた。非常に勉強になる内容で興味深い約2時間ほどだった。詳細な内容をここで云々するのは私の本旨ではないので、特にこれだと思った点だけを採り上げておきたい。

我が国の不十分なロビーイングと広報宣伝活動:

この点はこれまでに私は何度採り上げたか解らない。兎に角、在職中にアメリカ中を飛び回っている間には、ホテルで常にテレビはCNNをつけっぱなしにしておいたのだ。だが、先ず我が国関連のニュースが出てくることはなかったし、何度か指摘したことで第一次安倍内閣の総辞職は1度だけ報じられただけだったし、USA TODAYではほんのベタ記事だった。要するに、我が国からは英語による情報発信がほとんどなく、同盟国とは言うものの我が国は「知られざる国」という印象が極めて濃厚だった。即ち、中国人と間違われる目には何度もあったが、「日本人か」と見極められるのは希だった。

そこで見出しの件だが、木村・古森の両氏は韓国の旺盛なロビーイング活動と反日本宣伝は活発だが、それに対抗すべき我が国のロビーイングも広報宣伝活動も皆無であるとアッサリと指摘されたのだった。私は先日河野防衛大臣が外相としてだったかブルームバーグに投稿された件を採り上げたが、昨夜の両氏はこの点には一切触れられなかったのは、アメリかではそれほど遍く知れ渡っていないということらしいと思って聞いた。こんな状況では極めて宜しくない。「言わずとも解って貰える」とか「神のみぞ知る」だと思っていたら大間違いではないのか。政府の大反省を求めたい。

中近東情勢とイスラム横町:

何処の誰が何故ドローンでサウジアラビアの石油施設の半分をも攻撃したか知らないが、中近東情勢は非常に難しいものがある。特にアメリカ対イランの関係悪化などは危険極まりないものがあると思う。だが、ここで私が採り上げたいことは木村太郎氏が採り上げた「サソリがワニを刺した」という寓話とでも言える、中近東の言い慣わしである。「刺さないから向こう岸まで送ってくれというサソリの言を信じたワニが半ばで刺された時に、その理由を尋ねると『これが中近東だ』と答えた」という恐ろしい話である。木村氏は「それほど中近東事情は解りにくいのだ」と解説された。

中近東というべきかイスラム教圏内というのか、この圏内にはついぞ訪れる機会もなかったし、その事情は耳学問しかない私には論じる資格もないかも知れない。だが、トランプ大統領は一時はイスラム教徒を締め出す作戦に出られたし、私の知人には「アメリカ建国の時にはイスラム教徒などいなかったので、今でも不要である」などと言って嫌って見せた。私はサッカーを通じてみた中近東勢の小汚さを何度も嘆いて見せたし「中近東の笛」と呼ばれる不公平な審判振りにも触れてきた。だからこそ欧州勢は中近東を嫌ってスポーツの面では「アジア」に押しつけたのだとも言った。

それはそれとして、昨晩木村・古森両氏が語った中近東情勢の難しさには、改めて言い知れない危機感を覚えさせられた。勿論、石油の供給問題のような大きな案件もあるが、ここ新宿区百人町には誰が名付けたか「イスラム横町」などが存在し、イスラム教徒たちが増える一方である。私は政府も東京都もこのように彼らイスラム教徒たちを好き勝手に入国させて商売をさせていて良いのかと大いに疑問に思っている。例えば、彼らの中にテロリストが潜んでいたらどうなるのかということ。そんなことまで考えさせられたPrime Newsだった。


It's me.はどうかな?

2019-09-17 07:19:10 | コラム
英語の言葉遣い:

文法的に誤りでは:

9月16日の渡部亮次郎氏主宰の「頂門の一針」誌上で私宛で下記のような質問を頂戴した。

“先日、「Me too.」という表現がmeは目的格だから文法としておかしいこと、米英の上流階級では決してそういう表現をしないことをご教示頂きありがとうございました。とはいえ、今、売り出している会話翻訳機ポケトークでは、「私もそう。」を翻訳すると「Me too.」と下等な表現をするのでいささか困っています。

それはさておき、米国映画を観ていると「It's me.」という表現がよく出てきます。このmeも目的格だから文法的におかしいと思うのですが、ならば主格の 「I」を使って「It's I」とはどうも言わないようです。

ではどういう表現をすべきなのか、文法の解説も含めてご教示頂けたら幸いです。“

という内容だった。

私からは即答は避けて、アメリカでも知識階級に属する嘗ての上司や同僚に尋ねてみた上で正式にお答えしようと,次のように「お時間を頂戴したい」とお願いした。

“アメリかでは屡々このような文法を無視したような表現に出会うものです。特に、私が言う支配階層に属さない人たちの間では、そういう言い方が頻繁に使われていたと思います。“It's me.”も聞いたことはありますが、特に気にしたことはありませんでした。

我が社の管理職の技術者でも“Don't say nothing."などと言うのを聞きました。二重否定ですが,これでも「黙っていろ」という意味です。お尋ねの“It's me.”をどのような人物が何処で言ったかにもよりますが、私は非知識階級に分類される者が使ったのではと思いました。

しかし、ここでは外国人である私が断定するのを避けて、インテリ層にある昔の上司(MBAで引退後に大学院大学の教授)と同僚(技術者)にこの文法的に誤りである表現が、一般的に認められているか否かを問い合わせましたので、暫時お待ち下さい。“


そこで,改めてお断りしておきたいことは「私は外国人として英語を学び、学校教育ではそれなりに文法も追いかけていたので、ある程度以上の知識はある。だが、もしも外国人に「日本語の文法を解説せよ」と依頼されたら即刻謝っていると思う。この点はアメリカ人たちが意外に思うほど英文法など知らないのと同じ現象だと思う。であるから、私はアメリカ人に「君は学者(scholarという言葉だった)だから、これが文法的に正しいかどうか解るだろう」と質問されたことすらあった。

確かに、私はアメリカ人たちよりも英文法を知っていた。だが、彼らと共に、やや誇張した表現を使えば、1年365日英語しか通用しない世界で過ごしていると、時には「これで文法的に正しいのかどうか」などと考えている余裕も暇もない場合があったのだった。勿論、会社内では文法的に誤りがある報告書を提出するなどは以ての外だったし、何度も述べてきたようにswearwordなどを使うのは許される訳もないのだった。

しかも、アメリカ人の中に入って過ごしてみれば「現実にビジネスの世界で使われている表現や日常の話し言葉等は,それまでに習い覚えてきた範囲内には収まり切れていなかった」のだった。我が国の学校教育の範囲外の英語を覚えていたつもりの私から見れば、native speakerたちは別世界の人たちの如きだと感じさせられたのだった。

私にとっては如何に何とか彼らを真似た英語が使いこなせるようにはなっていても、所詮は「獲得形質」であってnative speakerたち並みの感覚で使えるようにはなれないのだった。だからこそ、上記のような言い訳を並べた上で、お時間を頂戴するお願いをしたのだった。