何故アメリカ人は質問攻めをしてくるのか:
昨15日にナンシー坂本さんの名著“Polite Fictions”という金星堂が刊行した本を、一部のメル友の方々に紹介した。この本の副題は何と“Why Japanese and Americans are rude to each other?”となっていて、我が国とアメリカとの間に存在する文化(言語・風俗・習慣・思考体系を言う)の相違点を非常に解りやすい英文で表している。私もその存在を在職中に知ってから随分と勉強させて貰ったものだった。因みに、坂本さんは日本人と結婚されたアメリカの女性である。
その坂本さんが挙げられた幾つかの相違点の中で「なるほど、その通りでした」と痛感させられた具体的な例を紹介しておこうと思い立った。それは「ただ単に英語が話せるだけでは認識し難い文化と物事の考え方の相違があるものだ」という経験だった。いや、承知していても迂闊にも失念していた相違点だった。
それは、我が社の工場から来た技術者たちと某大印刷会社の関西支社を訪問した時のことだった。話し合いが終わってから購買部長さんが折角ここまで見えたのだからと「製品展示室」に案内して下さった。そこには「この会社ではこういう素晴らしい包装容器を作っているのか」と感嘆させられる製品が数多く展示されていた。そこで、一行の一人が「この斬新なパッケージはどのような素材で構成されているのですか」と質問した。部長さんは即答出来ずにその場を去られたが、間もなく恐縮しきった表情で戻られて「本日は営業担当者が不在で正確にお答え出来ませんので、後刻お知らせします」と言われた。
その後に小声で私に「ところで、ご一行は今夜は何処のホテルにお泊まりですか」と尋ねられたので、迂闊にも「妙な質問だな」と思いつつもホテル名をお知らせした。その後は特に何ら部長さんを困らせる質問も出ずに見学を終え、お礼を申し上げて退出した。ところがである、その晩の9時頃にその部長さんから私の部屋に電話があり「質問にお答えするのが遅くなって申し訳なかった。漸く営業担当者が帰社しましたのでパッケージの材料の組み合わせをお知らせします」と丁寧に知らせて下さったのだった。正直に言って、私ですらそういう質問があったことなど忘れていた。勿論、私が答えを伝達した質問者も「そんなこと尋ねたかな」という状態だった。
この件の問題点は“Polite Fictions“にも坂本さんが採り上げておられた文化の相違点の一つだったのだ。それは、「アメリカ人たちは何か第三者か誰かに好意か善意を示された場合に(この印刷会社の場合には多忙な部長さんが製品展示室にご案内頂いたことだが)何らかの感謝の意を表すべく軽い質問をする性質がある」ということなのである。私もこの手の質問をする意味が解るまでは「何故、彼らはそれほど好奇心の塊なのか」と、私自身が答えに窮する場合が多かった。特に古都・京都を案内した時などは、ほとんど答えられない質問攻めに遭って辟易となっていた。
ナンシー坂本さんは“Polite Fictions”の中でこの質問攻めの件を採り上げておられたので、私はその他の相違点の解説とともに大いに学ぶところ大であったということ。具体的にいえば、質問をする意図が解るまでは京都に彼らと共に行くのは非常に気が重かったのだった。実は、我が社は京都にも得意先の工場があったのだった。それまでは京都の観光案内などを持参して、例えば「清水寺」は築後何千年などという事実を懸命に覚えようとしていた。
ここで強調しておきたいことは「英語が思うように話せるまで上達しても、このような文化と思考体系の相違点までを把握しておかないと、夜の夜中に電話で起こされることになってしまうものである」という点だ。特にこの際言っておきたいことは、学校教育では英語だけを教えるのではなく、このような違いにまで配慮すべきではないかという文化の相違点なのである。
昨15日にナンシー坂本さんの名著“Polite Fictions”という金星堂が刊行した本を、一部のメル友の方々に紹介した。この本の副題は何と“Why Japanese and Americans are rude to each other?”となっていて、我が国とアメリカとの間に存在する文化(言語・風俗・習慣・思考体系を言う)の相違点を非常に解りやすい英文で表している。私もその存在を在職中に知ってから随分と勉強させて貰ったものだった。因みに、坂本さんは日本人と結婚されたアメリカの女性である。
その坂本さんが挙げられた幾つかの相違点の中で「なるほど、その通りでした」と痛感させられた具体的な例を紹介しておこうと思い立った。それは「ただ単に英語が話せるだけでは認識し難い文化と物事の考え方の相違があるものだ」という経験だった。いや、承知していても迂闊にも失念していた相違点だった。
それは、我が社の工場から来た技術者たちと某大印刷会社の関西支社を訪問した時のことだった。話し合いが終わってから購買部長さんが折角ここまで見えたのだからと「製品展示室」に案内して下さった。そこには「この会社ではこういう素晴らしい包装容器を作っているのか」と感嘆させられる製品が数多く展示されていた。そこで、一行の一人が「この斬新なパッケージはどのような素材で構成されているのですか」と質問した。部長さんは即答出来ずにその場を去られたが、間もなく恐縮しきった表情で戻られて「本日は営業担当者が不在で正確にお答え出来ませんので、後刻お知らせします」と言われた。
その後に小声で私に「ところで、ご一行は今夜は何処のホテルにお泊まりですか」と尋ねられたので、迂闊にも「妙な質問だな」と思いつつもホテル名をお知らせした。その後は特に何ら部長さんを困らせる質問も出ずに見学を終え、お礼を申し上げて退出した。ところがである、その晩の9時頃にその部長さんから私の部屋に電話があり「質問にお答えするのが遅くなって申し訳なかった。漸く営業担当者が帰社しましたのでパッケージの材料の組み合わせをお知らせします」と丁寧に知らせて下さったのだった。正直に言って、私ですらそういう質問があったことなど忘れていた。勿論、私が答えを伝達した質問者も「そんなこと尋ねたかな」という状態だった。
この件の問題点は“Polite Fictions“にも坂本さんが採り上げておられた文化の相違点の一つだったのだ。それは、「アメリカ人たちは何か第三者か誰かに好意か善意を示された場合に(この印刷会社の場合には多忙な部長さんが製品展示室にご案内頂いたことだが)何らかの感謝の意を表すべく軽い質問をする性質がある」ということなのである。私もこの手の質問をする意味が解るまでは「何故、彼らはそれほど好奇心の塊なのか」と、私自身が答えに窮する場合が多かった。特に古都・京都を案内した時などは、ほとんど答えられない質問攻めに遭って辟易となっていた。
ナンシー坂本さんは“Polite Fictions”の中でこの質問攻めの件を採り上げておられたので、私はその他の相違点の解説とともに大いに学ぶところ大であったということ。具体的にいえば、質問をする意図が解るまでは京都に彼らと共に行くのは非常に気が重かったのだった。実は、我が社は京都にも得意先の工場があったのだった。それまでは京都の観光案内などを持参して、例えば「清水寺」は築後何千年などという事実を懸命に覚えようとしていた。
ここで強調しておきたいことは「英語が思うように話せるまで上達しても、このような文化と思考体系の相違点までを把握しておかないと、夜の夜中に電話で起こされることになってしまうものである」という点だ。特にこの際言っておきたいことは、学校教育では英語だけを教えるのではなく、このような違いにまで配慮すべきではないかという文化の相違点なのである。