新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

9月4日 その2 私の文化比較論

2019-09-04 16:05:55 | コラム
「謝罪の文化」は我が国独自の美風である:

ここに改めて私のW社を1994年1月末でリタイアするまでの経歴を振り返って「私が何故このような文化比較論を再三採り上げるのか」のご理解を賜ろうとして見よう。私は1955年に新卒で旧国策パルプ(現日本製紙)の内販会社に採用して頂き国内市場担当の営業部員として勤務し、1972年8月に縁あってアメリカの大手紙パルプメーカーのM社に転進し、1975年3月にW社に移籍した次第だった。即ち、全く文化も歴史も我が国の企業社会とは異なる世界に向こう見ずにも移っていったのだった。

その2社に22年半も勤務した間に遭遇した「日本とアメリカの企業社会における文化と思考体系の相違論」は今日までに何度何度も繰り返して論じてきたので、今日ここに詳細を語ろうとは思っていない。そこで今回は、今週になって採り上げた“「世界広しと雖も潔く自らの誤りなり非なりを自発的に認めて謝罪する文化」は我が国独特の歴史的な美風であって、ヨーロッパやアメリカの諸国や中国や韓国においてはあり得ないことなのである”と指摘した「謝罪の文化」を論じてみよう。

ご存じの通り、我が国では何か失態を演じた企業でも官庁でも何でも「謝罪会見」を開き、責任者全員が揃って深々とお辞儀をする習慣がある。またそれをしないと、マスコミは口を揃えて「謝罪がない」と声高に非難するし、誰もそれを不思議だとは思わない。私も「素直に詫びれば、お客様は許して下さるのが普通で、営業担当者の重大な職務の一つは詫びることだ」と教えられ、それに従ってきた。同時に、我が国では「お詫びすれば罪一等を減じられる物だ」と信じてきた。

ところが、アメリカでは企業のみならず一般社会でも、先ず如何なる場合でも「何が何でも事故乃至事件が発生した際に、冒頭から謝ってしまうことはない」どころか謝罪することなどは先ずあり得ないと知って驚愕する前に「潔く我が方の非を認めないと話が進まない」という世界で過ごしてきた身には「謝らない文化」には非常に悩まされたのだった。我が国の学校教育の英語では気安く“I am sorry.”という謝罪の意思を表す表現を教えている。だが、企業社会ではこれは「全面的に我が方の誤りを認めますと同時に如何なる金額の補償も致します」と認めたことになってしまうのだ。

W社の我が事業部は1975年には未だ我が国の市場ではアメリカのサプライヤー5社中の最下位の弱小メーカーであり、絶えず品質問題を起こしては得意先の本社や工場や末端の需要家にまで謝罪に回っていたような有様だった。ところが、本部や工場からやってくる責任者たちや技術サービス担当者(解りやすく言えば「トラブルシューター」たち)は絶対に「我が社が悪う御座いました。お詫びします(=We are sorry for what has happened.”)とは口が曲がって言わないので、私は苦境に立たされたのだった。その姿勢が悪げがあってのことではなく「誤らないのが彼らの文化であった」と理解できるまでには数年を要した。

そこで、彼らに説いたことは「“I am sorry.”と言わなくとも良い。それでなければ精一杯の謝罪を意味する“We regret that we shipped poor quality products.”くらいを言うか、さもなくば何でも良いから下俯いてボソボソと言ってくれ。それを私が心がこもった謝罪の意向の表明のように訳して置く。そうすれば、貴方方には信じにくいことだとうと思うが、我が国の得意先はその正直さに免じてこれまでの厳しさから転じ、優しい姿勢で補償問題の交渉に応じてくれると保証する」だった。

これでも彼らは簡単には謝罪をしようと言うか、“regret”程度にまで踏み切るのに時間をかけた。だが、その程度のつぶやきのような言い方でも得意先の態度が軟化すると確認出来た後は、躊躇することなく「こんな不良品を出荷して申し訳ありませんでした。今後は技術部や研究所とも協調して品質改善に努力するとともに、工場の労働組合側にも厳重に注意して品質の改善あってこそお客様に信頼されるのだと言い聞かせます」と言えるようになった。

ここまででお解り願いたいことは「アメリカ人の心の中では謝ってしまうことの恐怖感があって大変なことなのだ」という、我が国の謝罪の文化の中で育ってきた方々には容易に理解出来ないだろう相違点があることなのだ。アメリカ人が重大な決意の下に謝罪したことが、我が国の得意先にそれほど評価されて信頼を勝ち得るとは彼らは想像も出来なかったのだった。同時に、我が国の客先でも、アメリカの同業他社の時には傲慢であるかのように見える自社の過ちを認めようとせず謝罪を拒否する態度に手を焼いていたので、相対的に我が社の信用度が上がっていったのだった。

とは言ったが、我が社と雖も最初から謝ってしまうのではなく、得意先の技術陣とは「もしかして御社側の印刷加工の工程に不備ありませんでしたか。当社の製品の特徴は此れ此れ然々ですから、その点に配慮されましたか」くらいの議論をはした。それは冒頭に非を認める姿勢を示したので、先鋒も胸襟を開いて率直に意見交換に応じてくれるような親密さが出来ていたからだった。私が転進してからの2人目の技術サービスマネージャーは文化の違いを認識して、工場側に言い分を(聞き辛いことだったが)十分に聞く姿勢に徹したことが信頼感を獲得する重要な要素になった。

々と述べてきたが、決して自慢話をしているのではない。私の好む分野である文化比較論の中の一項目に過ぎない。それがアメリカにはない「謝罪の文化」というか「難しい品質問題の補償の交渉には先ず我が方がその非を認めるべき場合は率直に認めれば交渉が滑らかに進む」という認識が本部にも出来るようになったのだ。だが、そこまでに到着するには4~5年は要したと記憶する。敢えて言えば、問題は如何にしてアメリカ人に文化の相違である「謝罪したとしても、全面的に無条件で補償するという意思表示にはならない」という点を理解させねばならなかったと言うこと。

同盟国であるアメリカにもこの点を理解させ、謝罪が出来るようになるまでに苦労もしたのだ。そのような次第であるから、韓国があれほど頑迷に自国の非を認めようとしないのは同じ文化圏内にあるようでも、我が国と異なる姿勢であるのも不可思議である。彼らとの交渉に当たっては、政府と管轄する官庁にもその相違点を十分に認識して当たって頂きたいし、二度と河野や村山談話の如き謝罪の意を表すような姿勢を見せるべきではないと考えている。「遺憾に存ずる」辺りが限度だろう。彼らは我が国の美風に付け込む隙を見出させてはならないのだ。


対外国交渉の難しさ

2019-09-04 08:32:54 | コラム
3日のPrime Newsに緊急出場した河村建夫議員に思う:

冒頭に登場した河村建夫元官房長官(74歳、慶大商学部卒)はソウルを訪れて知日派とされている李洛淵(イ・ナギョン)国務総理(=首相)との懇談の結果を語っておられた。私の結論から申し上げれば「河村建夫氏のように議員経験が長く党内でも重きをなしておられる方でも、現在のようにねじれ切った対韓国関係の修復というか改善の為の交渉役には適材だったとは思えない」のである。確かに「戦中の半島出身労務者問題の解決」こそが我が国の最優先である事を強調されてきた由だったが,その代替に「1+1+α」という訳が解らない提案をされそれを総理にも報告したそうだった。

永年アメリカ側の一員として精神的にも厳しい負担となる重要且つ難しい対日輸出交渉に従事して経験から言わせて貰えば「この一線を譲ること」即ち「妥協点や落とし所を探る」であるとか「先方の主張を聞き入れようとする」ような姿勢を採ることなどあり得ないのだ。感情を一切排して、時には「論争と対立を恐れず」に自社の主張を通りとなるように説得するのが、ごく普通の交渉術なのである。更には「これを言うことで失うものはない」という、我が国から見れば高飛車の姿勢で臨む戦法に出る同業他社もあると聞いていた。

自慢話として受け止められても結構だが、私は本部から日本に交渉にやってくる者たちに言ったことは「“Be a good listener.”であって、一方的に会社の意向の代弁者にならずに得意先の主張も聞くようにしよう」だった。これは既に指摘したことで、対日交渉では「先方の主張を聞くことが良い結果をもたらすことになる」からである。だが、韓国の主張を聞くのはこれとは別個のことであろう。

上記を換言すれば「アメリカ式交渉術は概ね先手必勝方式」であって、先ず自社にとって最も有利な条件を提示してから先方か取引先とのnegotiationと言うか交渉に入っていくのだ。交渉役として派遣されてきた者が事業部の責任者でない場合には「譲歩」や「妥協」などの権限は元から与えられておらず、不調に終われば「残念でした。また会いましょう」という次第で物別れに終わってしまうのだ。こういう交渉を感情的(emotional)にならずに出来るのは、国民性と恐らく学校教育でdebateを学んできた結果だろうと思って見てきた。韓国の交渉術にはかなりアメリカ式に類似した点があると思う。

そういう点から昨夜の河村建夫氏の穏やかな口調の帰朝報告を聞いていて感じたことは「ごく一般的な国会議員の姿勢として、一切のアメリカ式先手必勝の議論を排して自国の主張も十分且つ日本的で礼儀正しく控え目に主張されただけではなく、李洛淵氏の主張をも誠意を以て聞かれたのだろうと察している。私は敢えてこの礼儀正しい交渉術を批判する気はないが、少なくとも韓国側に我が国の正当性と彼らの数々の国際法違反を如何なる口調かは別にして、真っ向から順々説き聞かせて,妥協を求めるような提案など受け付けて欲しくはなかった。

私が危惧する点は「1+1+α」を持ち帰ったと韓国側が知った時点で「日本は未だ与し易し」と判断しただろうことなのだ。私がヤンワリと国会か政府を批判することをお許し願えば、河村建夫氏のような対外国との(私が在職中に屡々友人や知己に語った「命の遣り取りのように感じた」)国際的な交渉不慣れだとしか思えない方をあの場に送り込んだことが適切だったのか)という点である。更に後難を恐れていえば「長期の議員経験と国際的交渉能力とは同じではない」と指摘したくなるのだ。

終わりに、一般論をも兼ねて言えば「その場に臨むことで背負う責任の重大さを感じる時に、思い切ったことを言い出して万一にも不発に終わった場合の怖さを味わっていない人物に委任すべきではなかったのでないのか」なのである。私は20年以上も経験したが,その場に臨む時の並々ならぬ緊張感を思い出しながら、河村建夫氏の報告を聞いていた。「河村様、ご苦労様でした」で締め括って終わる。