新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

9月10日 その2 文在寅政権を批判する虚しさ

2019-09-10 10:25:22 | コラム
菅官房長官は「曽国氏を法務部長官任命への言及は控える」と:

10日朝にも複数のテレビ局で曽国氏の件を採り上げていた。専門家の解説を聞いていれば「なるほど」と思わせてくれる点は多々あるかと思う。だが、私は何か虚しいものを感じるのだ。それは如何にこちらで文在寅大統領の手法を批判し非難しても、あの政権が何かを変化させてくることはないとしか思えないからだ。私は文在寅大統領は確かに専門家が言われるように来年の4月の選挙での勝利を目指して色々な手を打ってきていると思っているし、現に私は既に「憲法を改正して任期を4年にして再選を認めることを企んでいるのではないか」とも述べた。

9日のPrime Newsで櫻井よしこさんは「文在寅大統領は反大韓民国であり、韓国をDPRKと合体させて社会主義国化しようとしているのだ」と指摘されていた。南北統一の可能性は兎も角、私は文在寅大統領はあらゆる手段を講じて彼が目指してきた左傾した体制の国を確立しようとしているのは間違いないと思って見ている。曽国氏を法務部長官任命もその一環として考えれば、やれ反対のデモが起きるだろうとか,野党が反撃の攻勢に出るだろうなどと騒いでも、権力を握っているのが文大統領である限り、何らかの方針転換を期待しても無駄ではないかと思うのだ。

確かに「静かな無視」を再考すべき時は極めて近くなってきたと思う。安倍総理が首脳会談に向けて始動して頂きたい時期にも来ていると思う。だが、そういう積極的な行動を起こして頂き、会談が実現しても相手は「一度合意すれば全てが消える訳ではない」というような演説をしているのだ。65年の国際的な条約違反であると説き聞かせても、文大統領が聞く耳を持っているのだろうか。そのような相手が大統領である国をいくら批判して説き聞かせても「悲しからずや道を説く君」に終わってしまいそうな気がしてならないのだ。

即ち、海を隔てた我が国でいくら文政権を批判してみても、彼が方針転換をする可能性はほぼゼロに近いと危惧するのだ。文在寅大統領は尊敬していた故盧武鉉大統領の意志を継承して韓国を変えていこうと強力に推進しているのだ。その大目的の為に内閣にと大法院の裁判長と判事に腹心を揃え、検察総長にも腹心だと思ったユン氏を抜擢したし、曽国氏を法務部長官に任命したのだろう。そこまで体制を大韓民国の変換に向かって整えたのである以上、最短でも後3年の反日と抗日の姿勢は変わらないと見通したくなるのだ。

櫻井よしこさんもGSOMIAの破棄は金正恩委員長を喜ばせただろうと言われた。日本製品の不買も推進し続けるだろう。だが、あの戦犯企業として決めた280数社のリストは文政権で作られたのではなく保守派政権の李明博大統領時代に定められたと、辺真一氏は指摘していた。であれば、韓国の反日の姿勢は進歩派であろうと保守派政権であろうと変わらないということになってしまう。櫻井よしこさんは「この状態を打破する方法は」と訊かれ、苦笑されながら「知らない」と言われた。安倍総理、是非とも明快な答えをお出し下さい。お願いします。


台風15号に思う

2019-09-10 08:26:55 | コラム
如何に何でも「社畜」はないだろう:

毎度、台風等の自然災害に襲われた際に我が国の会社員の方々は何としても「出勤しよう」か「遅刻しないようにしよう」と懸命の努力をされて、鉄道等の公共交通機関の駅などに向かわれる。今回の何年振りかで首都圏を襲った15号台風でも,大多数の方は鉄道が早期に動くことを期待して駅に向かわれて何時間も列を作ってジッと待っておられた。何処の局だったかはその光景を外国人に見せて「我が国だったら会社に行こうなどとはしない」と言わせていた。実に無意味なことを言わせていたものだと思う。

こういうことを言わせたかったら「我が国と欧米の諸国では、会社というものについての社員の考え方か認識が全く異なっている」という「企業社会における文化の違い」から説き起こさないことには単なる嫌みに終わってしまうと思う。第一に,何のかのと言っている外国人の旅行者が「文化比較論」に通暁しているとは到底思えないのだ。ましてや「社畜状態」という報道の仕方も全く不当であると言っておきたい。

私はこれまでに何度か「あるアメリカの女性社長が朝の浅草駅で東武線から地下鉄に向かって疾走する通勤客を見て『何の為の猛ダッシュか』と尋ねられたので、我が国には遅刻という制度があって規定の出勤時刻に間に合わないと(20世紀でのことだが)場合によっては有給休暇を減らされるという罰則すらあると説明して,その社長さんを驚倒させた」ということを語って来た。彼女が驚いた理由は、アメリカにはそういう制度はなく「“朝は全員が揃ってから仕事を始めよう”などいう制度も思想もないのだから」である。

我が国には屡々スポーツの選手たちが言う「皆で一丸となって」という「みんなで共にやっていこう」という伝統的な我が国独特の考え方があるし、誰もその行き方を否定しないのが普通だ。だが、これも再三述べてきたことで「アメリカ人(ヨーロッパ人でもそう変わらないと思うが)には一丸となろうなどと考えている者はいないと思う。社員はそれぞれに与えられた「職務内容記述書」(=job description)に従って仕事を進めているのであって、同じ部に所属していても業務の内容が他人と重複していることはない。同僚の仕事を手伝うなどと考えている者などいない。

社員の一人ひとりがその事業本部長から与えられた課題を間違いなくやり遂げて、次年度の昇給と職の安定(job security)の為に身を粉にして、極端な表現を用いれば昼夜を分かたずに働く者がいるのである。上司からは仕事の進め方について細かい指示など来ないのが普通である。それは「そういう必要がない即戦力を雇ったのだから無駄な介入はしない」ということだ。そうであれば「誰が朝何時に出勤し夕方は何時に帰宅しようと、当人の勝手だ」という世界なのだ。であれば、休暇を取るのも各人の裁量であって「実績さえ上がっていればそれで結構」という世界だ。

そういう世界に「チームワークを尊重し、皆で一丸となって、皆で一緒に9時から働き始めよう」という我が国の文化を離れて、その違いも知らずに入って行ってしまった私は、当初は非常に当惑した。例えば,本部の言わば直属の上司に当たるマネージャーは他の部員たちが一応の規定になっている8時に出勤してくることがなかったのだった。ではあっても副社長兼事業部部長は咎め立てしなかった。

彼の秘書さんは午後3時に「本日は閉店」と宣言して早退してしまった。そうかと思えば、早朝6時から出勤しているものもいた。全員が与えられた課題を自分の都合というか進捗状況に従ってこなしている世界だった。ましてや車社会であるから「どうだ。今夜軽く一杯やるか」ということは先ずあり得ないのだった。それだけではない、同僚というか他の部員の都合と合わせることは現実としてあり得ないのだ。ワシントン州は滅多に雪が降らないので、大雪の日には4WDの車を持っている者を除いてほとんどの者が当然のように出勤してこなかった。

であるから、台風が来ても出勤しようと努力する日本の会社員は不思議だという外国人がいるのは当たり前のことではないのか。「マスコミは文化の違いを弁えてから言え」と言ってやりたくなる。私は当初は「えらいところに来てしまった」と文化の相違に戸惑っていた。だが、ある程度その違いに馴れて「与えられた課題以上のことが出来ないと評価の対象にならない世界に自分がいる」ということと「職の安定と確保」を考えれば、最善の結果を出す為にはどうすれば良いかだけを考えるようになった。即ち、体調が悪ければ遠慮なく午後から出勤するとか早退してしまうという選択が出来るようになった。

藤沢から新宿区に引っ越したのも通勤時間の短縮という狙いもあったが、職の安全の為には体力の消耗が激しい長時間の通勤は避けようという目的もあった次第だ。25年より以前にはICT化は進んでおらず、時差が17時間もあるワシントン州の本部からは一日中何時電話で指令が来るか見通しが立たないので、夜になって2時間近くも費やして青山一丁目から藤沢まで帰っている訳には行かないほど多忙にもなっていたのだった。

ここまでで我が国とアメリカのビジネスの世界での文化の相違を論じたが、誤解なきよう申し上げておくと「これは彼我の優劣を論じているのではなく、飽くまでも相違点を述べてきただけだ」なのである。但し、人はそれぞれに個性があるのだから、何れの会社組織が向いているかという問題はあると思う。私の日本の会社に17年、アメリカの会社に22年という経験から言えることは「自分にはアメリカ式の方が合っていた」のである。即ち、台風に襲われたら自宅に止まって、会社とも得意先とも電話ででも何でも連絡していれば良いだろうと考えているのだ。