新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

9月7日 その2 対韓国関係を考える

2019-09-07 10:50:10 | コラム
曽国氏問題を騒ぎ立てているべき時期ではない:

英語に“Situation turned to be from bad to worse.”という表現がある。私流にこの言い方を現在の韓国との関係に当て嵌めてみれば、“from worse to the worst”であって、最早これ以上悪くなり得ない限界に限りなく近付いてきたと思って見ている。テレビのニュースショーを見ていれば、何処もここも言わば面白おかしく文大統領が曽国氏を法務部長官を中央尾突破で任命するかどうかばかりを取り上げている。私はこの件は面白くもおかしくもなく、我が国にとっては非常に深刻な問題となっていくと恐れている。

言うまでもないことで、進歩派というのか左派というのか知らないが、その一派の期待を担って登場したのが文在寅大統領であり、その施政方針は飽くまでもDPRKとの統合であり、その大目的の為には何事も彼の行く手を遮ってはならないように画策している。更に、その為には彼の後継大統領も同じ一派から出てこなければならないのだ。文大統領がその後継者の筆頭に位置づけているのが曽国氏なのである。文大統領はこの大目的の為には「抗日と反日」は大前提であり、その強行派である曽国氏は何が何でも庇い立てねばならないのだと、私は理解している。

その大目的の為に、文大統領が就任以来手がけてきた主な事柄は「慰安婦問題の不可逆的合意をチャラにすること」、「戦中の半島出身労務者の大法院の判決」(=1965年の日韓協定の無視)、「GSOMIAの破棄」等々があった。だが、彼の政治的な不安定さが露呈されるや、ソウルと釜山の2都市で「日本の戦犯企業の製品不買条令」という新たな手を打ってきた。また先日訪韓した河村建夫元官房長官には李首相に「ホワイト国除外を撤廃すればGSOMIAを破棄しない」と言わせたかと思えば「1+1+α」のような我が国が受ける訳がない提案をさせる始末だ。受けないとは百も承知だろうし、後で「受けない日本が悪い」という準備を整えてあっただろうことは明白だ。

話は一寸変わったかも知れないが、テレビ局が徴用する所謂専門家の先生方は「トランプ大統領が続々と講じてこられる新手の政策やデイールは、全て来年の選挙対策である」との明快な論評をされている。この「選挙対策論」はそっくりそのまま現在までの文在寅大統領がやって来たことに通じると思って見ている。その為には如何なる困難も悪条件をも顧みずに「反日と抗日」を強力に推進し続けるのは当然の策だろうと思う。そうである以上、我が国のテレビ局は曽国氏問題を恰も芸能ネタの如くに扱っている時ではないのだ。

私流に率直に言えば「文在寅政権が後2年ほど続く限り、余程のことがない限り、我が国と韓国の劇的な関係の改善はあり得ない」と認識していなければならない時期に入ってしまったのだ。文政権はあらゆる手段を講じてでも、我が国を追い込んでいるのだという姿勢を40%とか世論調査が示している彼の支持層に訴え続けねばならないのだ。そこを知らずして無視してか知らないが、曽国氏問題を連日連夜ネタにしているのは国民を欺くマスコミの不当な行為であると断じておく。

安倍総理は今日まで文在寅政権の不当な言いがかりや挑戦に対して「静かな無視」というかフェアーで綺麗な姿勢で対峙してこられた。だが、私は事ここに至れば、もうそろそろ総理に立ち上がって頂いても良いだろう時期が迫ったと見ている。だが、その為には先ずは水面下での動きから始めねばなるまい。そこには韓国側との対話の道筋を付けられる人物の存在が絶対的に必要だろう。これ以外にも「韓国の不当な言いがかり」を広く世界の諸国に対して広報宣伝活動も忘れてはならない。政府はそういう準備が着々と整えられているだろうと、私は密かに期待しているのだ。


Uー18の野球観戦記

2019-09-07 07:58:09 | コラム
我が代表は韓国に負けた:

この時期に韓国で開催され、しかも昨6日には我が国の代表は負ければ決勝戦に残れないという瀬戸際に立たされている韓国代表と戦うことになった。色々な意味で如何なる試合展開になるかとの興味も関心もあったので、最初から終わりまで見ていた。だが、試合開始前の先発の佐々木朗希の表情を見た途端に「これは負けてしまう」という不吉な閃きがあったのだ。勿論、当たって欲しくないと願いつつ観戦した。

試合の経過や結果をここに私が触れる必要はないと思う。そこで、何故あのような負け方になったかを考えて見ようと思う。当然ながら韓国の釜山の近郊で開催された以上、所謂「アウエー状態」それも極端なアウエー状態での試合だっただろうとは承知していた。だが、私の閃きにはそういう要素は一切入っておらず、画面から出てきた雰囲気が「芳しくないな」と思わせてくれたのだった。

第一に感じたことは、監督とコーチ陣の作戦があれで良かったのかという問題だった。即ち、「ずっと本格的な試合から遠ざかっている佐々木君をこの試合に使うべきだったのか」との疑問だ。私は比較的楽だったはずの前日のカナダ戦に奥川君を使うのではなく、韓国戦に振り向けるべきではなかったと考えていた。いや、極論を言えば「甲子園にも出ていなかった大試合の経験不足の佐々木君は、連れてこない方が良かったのではなかったか」と言いたい。素材として優れていても経験不足の彼には韓国を相手にするのは、過剰負担だという意味。今更言っても仕方がないことだが。

この試合の解説者には花咲徳栄の岩井監督が出ておられたが、その内容な非常に適確で「これなら良いな」と評価して聞いていた。特に、7回に我が方が韓国の素晴らしい好投をしていたプロ入りが決まっている投手から、0対0の均衡を破って2点を取った時に「ここまでは良かったが、問題はどのようにして3点目を取るかが重要だ」と繰り返して指摘しておられたのが印象的だった。現に3点目が取れそうな満塁の好機に所謂キャッチャーゴロで追加点を逃したのが結果的には悪い方に出てしまった。

私は高校生たちは良くやったとは評価して挙げたいと思っている。だが、結果論だが、ここぞという時に打つ方では貢献していた石川が一塁に悪送球をしたし、一塁手も捕球する方に懸命で結果的には後ろに逸らしてしまったので、打者走者に2塁まで行かれてしまった。これは一塁が本来の守備位置ではなかった為だと思う。それに延長戦のタイブレークに入って出てきた林投手がバントを捕り損なっただけではなく一塁に悪送球をしてしまった。アウエー状態であったことを勘案しても、野村克也氏が言う「負けに不思議なし」かと、高校生たちが気の毒だったと痛感していった。

見方によっては緊迫した手に汗握る好試合だったと言えるかも知れない。だが、流石の冷静なる評論家も余りにも残念すぎる結末で些か感情を抑えきれず,後味が悪い敗戦だったと思っていた。それかあらぬか、直後の夢の中で試合が再現されて悔しがっていたのには,我ながら「こういうこともあるものか」と驚いていた次第だ。この成り行きでは決勝戦に残るのは難しいだろうが、本日のオーストラリア戦には勝って最後を飾って貰いたいと願っている。君たちは良くやった。でも勝てばもっと良かった。