益々日本の野球選手には不向きな世界になってきたのでは:
このところ不順な天候と新型コロナウイルスの何時果てるとも知れない感染の状況による恐怖感から、外出の機会が減ったので、ついついMLBの野球(の中継)も見る機会が増えた。思い起こせば、最後にMLBの野球をシアトルで見たのは2007年の9月11日だった。13年も前のことになっていた。私はそれ以前から「MLBの野球は往年の優れた技術を見せる楽しさから離れて、身体能力ショート化してしまった」と評してきた。
その理由というか根拠は「嘗てはアフリカ系のアメリカ人が増えても、彼等アメリカ人は高校か大学を出るまでの間に三大スポーツであるベースボール、フットボール、バスケットボールの何れをも経験して、身体能力と体幹を十分に鍛えて基礎を作った上に、各競技の技術と理論を習得して、プロになる前にはどれを選ぶかと熟慮するものだから」なのである。アメリカの住宅地を歩いて(ドライブして?)みれば解ることで、大多数の家のガレージにはバスケットボールのリングが設けてあるし、街中至る所に(大袈裟か?)にバスケットボールのコートがあるのだ。
ところが、私が在職中の1990年代でも、既にMLBにはドミニカであるとかジャマイカであるとかベネズエラ等の南アメリカ勢が多数進出してきていた。キューバからの参入は当時はなかったと記憶する。彼等はアメリカのように複数の競技をこなしてから職業としてベースボールを選択したのではないようで、言うなれば野球しか知らない単能機のような存在だと私は見ている。しかも、彼らのほとんどがアフリカ系であって、大いに身体能力が優れているのだ。ドミニカなどには野球教室まで設けられていて、選手を育成しているようだ。
その野球だけを覚えてプロになった南アメリカ出身の選手たちは、その優れた身体能力を十二分に活用して今やバスケットボールやフットボールの世界にも大多数進出している。MLBを見ていて感じることは、野球の質がかなり大雑把だということ。かなり良く打つし、走るし、投手ともなれば軽々と150 km台の速球を当たり前のように投げ込んでくる。守備面でも二塁手などはセンター前に抜けそうなゴロをダッシュして捕球し飛びがりながら身体を空中で逆転させて一塁に見事な送球をしてみせる。これは野球の技術の巧拙の問題ではなく、身体能力の誇示だと思う。
打つ方でも、大なり小なり白人の選手にも見られる現象で、試合のその局面で我が国の野球で求められている「テイーム・バッテイング」などに配慮することなく「自分の成績の為」を重視してカウントの条件も忘れて振り回してしまう傾向が顕著なのだ。特に彼等は日本の投手が得意とする「落ちる球」(フォークボールというかスプリットフィンガーファストボール)に弱く、虚しく空気を切る打法を展開するのだ。見ていて虚しいものがある。それでもNPBの球団はアフリカ系南アメリカ選手を連れてくるのだ。
話をMLBに戻そう。今シーズンは新型コロナウイルスの悪影響もあってか、シーズン前の練習も不十分なままに我が国から新たにMLB入りした筒香も秋山も山口俊も皆不出来だった。特に、私は未完成でアメリカの野球には不向きではと懸念していた筒香は無残にも1割台の打率に終わり、ポストシーズンの試合にも出して貰えていなかった。何処かで報じていたが、彼は当たり前のように150 km台の速球を投げてくるMLBの投手に合わせられなかったと告白していたとか。要するに「身体能力ショーの世界」には未だ不適格だったということだと見ている。
その点では1972年に何も知らずにアメリカの会社に転じて痛感したのが「全てが彼らの身体能力と体格に基づいて設定されているので、160 cmにも満たない身長で60 kg前後の体重の体力の者が迂闊に入って行くべき世界か」ということだった。その世界に入れば頼りに出来るのは後にも先にも自分だけで、回りの誰もが自分のことだけで手一杯で他人のことまで心配している暇もなく、第一に他人の世話をする為の給与など貰っていない。アメリカに行って野球をやろうと思えば、先ずそのような「自分第一」というような何処かの大統領のことを知ってからにすべきだと言うことだ。
現実にはその他に言葉の問題もあるのだが、以前にも指摘したことは「アメリカ、しかも西海岸のカリフォルニア州に行こうと思えば、英語よりもスペイン語と韓国語を習得しておく必要がある」のだ。身体能力ショーに参加出演するだけでも大きな負担になることに加えて、仮令通訳を付けて貰えても同僚と自由に会話できないとすれば、それこそフラストレーションだけではなくストレスも加わるだろう。しかも野球では我が国では偶にしか出会わない150 kmの速球に毎日出会うのだから、負担が大きかったのだろうと察している。
折角大きな夢と希望を抱いてアメリカに渡った彼等には「来年には新型コロナウイルスが収束して、シーズン前に十分に練習が出来て、身体能力を誇示する連中に負けないようになること」を期待しよう。だが、外国に出て行くことは「予測したかあるいは予期した以上に難関が多いものだ」と一般論としても指摘しておくものだ。
このところ不順な天候と新型コロナウイルスの何時果てるとも知れない感染の状況による恐怖感から、外出の機会が減ったので、ついついMLBの野球(の中継)も見る機会が増えた。思い起こせば、最後にMLBの野球をシアトルで見たのは2007年の9月11日だった。13年も前のことになっていた。私はそれ以前から「MLBの野球は往年の優れた技術を見せる楽しさから離れて、身体能力ショート化してしまった」と評してきた。
その理由というか根拠は「嘗てはアフリカ系のアメリカ人が増えても、彼等アメリカ人は高校か大学を出るまでの間に三大スポーツであるベースボール、フットボール、バスケットボールの何れをも経験して、身体能力と体幹を十分に鍛えて基礎を作った上に、各競技の技術と理論を習得して、プロになる前にはどれを選ぶかと熟慮するものだから」なのである。アメリカの住宅地を歩いて(ドライブして?)みれば解ることで、大多数の家のガレージにはバスケットボールのリングが設けてあるし、街中至る所に(大袈裟か?)にバスケットボールのコートがあるのだ。
ところが、私が在職中の1990年代でも、既にMLBにはドミニカであるとかジャマイカであるとかベネズエラ等の南アメリカ勢が多数進出してきていた。キューバからの参入は当時はなかったと記憶する。彼等はアメリカのように複数の競技をこなしてから職業としてベースボールを選択したのではないようで、言うなれば野球しか知らない単能機のような存在だと私は見ている。しかも、彼らのほとんどがアフリカ系であって、大いに身体能力が優れているのだ。ドミニカなどには野球教室まで設けられていて、選手を育成しているようだ。
その野球だけを覚えてプロになった南アメリカ出身の選手たちは、その優れた身体能力を十二分に活用して今やバスケットボールやフットボールの世界にも大多数進出している。MLBを見ていて感じることは、野球の質がかなり大雑把だということ。かなり良く打つし、走るし、投手ともなれば軽々と150 km台の速球を当たり前のように投げ込んでくる。守備面でも二塁手などはセンター前に抜けそうなゴロをダッシュして捕球し飛びがりながら身体を空中で逆転させて一塁に見事な送球をしてみせる。これは野球の技術の巧拙の問題ではなく、身体能力の誇示だと思う。
打つ方でも、大なり小なり白人の選手にも見られる現象で、試合のその局面で我が国の野球で求められている「テイーム・バッテイング」などに配慮することなく「自分の成績の為」を重視してカウントの条件も忘れて振り回してしまう傾向が顕著なのだ。特に彼等は日本の投手が得意とする「落ちる球」(フォークボールというかスプリットフィンガーファストボール)に弱く、虚しく空気を切る打法を展開するのだ。見ていて虚しいものがある。それでもNPBの球団はアフリカ系南アメリカ選手を連れてくるのだ。
話をMLBに戻そう。今シーズンは新型コロナウイルスの悪影響もあってか、シーズン前の練習も不十分なままに我が国から新たにMLB入りした筒香も秋山も山口俊も皆不出来だった。特に、私は未完成でアメリカの野球には不向きではと懸念していた筒香は無残にも1割台の打率に終わり、ポストシーズンの試合にも出して貰えていなかった。何処かで報じていたが、彼は当たり前のように150 km台の速球を投げてくるMLBの投手に合わせられなかったと告白していたとか。要するに「身体能力ショーの世界」には未だ不適格だったということだと見ている。
その点では1972年に何も知らずにアメリカの会社に転じて痛感したのが「全てが彼らの身体能力と体格に基づいて設定されているので、160 cmにも満たない身長で60 kg前後の体重の体力の者が迂闊に入って行くべき世界か」ということだった。その世界に入れば頼りに出来るのは後にも先にも自分だけで、回りの誰もが自分のことだけで手一杯で他人のことまで心配している暇もなく、第一に他人の世話をする為の給与など貰っていない。アメリカに行って野球をやろうと思えば、先ずそのような「自分第一」というような何処かの大統領のことを知ってからにすべきだと言うことだ。
現実にはその他に言葉の問題もあるのだが、以前にも指摘したことは「アメリカ、しかも西海岸のカリフォルニア州に行こうと思えば、英語よりもスペイン語と韓国語を習得しておく必要がある」のだ。身体能力ショーに参加出演するだけでも大きな負担になることに加えて、仮令通訳を付けて貰えても同僚と自由に会話できないとすれば、それこそフラストレーションだけではなくストレスも加わるだろう。しかも野球では我が国では偶にしか出会わない150 kmの速球に毎日出会うのだから、負担が大きかったのだろうと察している。
折角大きな夢と希望を抱いてアメリカに渡った彼等には「来年には新型コロナウイルスが収束して、シーズン前に十分に練習が出来て、身体能力を誇示する連中に負けないようになること」を期待しよう。だが、外国に出て行くことは「予測したかあるいは予期した以上に難関が多いものだ」と一般論としても指摘しておくものだ。