トランプ大統領の選挙演説で英語の勉強をした:
誇張でも何でもなく1年365日を主に英語だけで過ごしていた生活から離れて26年も経つと、英語力、就中聞き取りの能力が情けないほど退化してしまう。テレビのニュースなどに流れる英語の音声の半分くらいしか聞き取れなくて、苛立つと同時に情けなくなってしまう。だが、先日のトランプ大領等の病み上がりのフロリダ州での顔を紅潮させた演説の冒頭部分(とは言うが、そこしか流されなかったのだが)は非常に言語明瞭で私の衰えた能力でも聞き取れた。書く場合にも英語での思考力の範囲が狭まってしまっているので、悲しくなるような英文しか出来なくなった。
単なる回顧談だと思ってお読み願えれば結構だが、トランプ大統領は「私は免疫である」=“I am immune.”と大声で言われたので、滅多に聞くことも使うこともなかった「免疫の」という形容詞が聞こえた。この“immune”には押しかけていた支持者が沸き立った。こんな事でもなければ聞けない単語だと思った。これを「免疫」という名詞にすると“immunity”となるのだが、これには法律的に「免責」という意味があるので、使われたのを見た記憶がある程度。
あの会場には“MAGA”と記された帽子をかぶっている連中が多かった。この4文字は他の場合にも見たことがあったか、どういう意味かなどは気にもしていなかった。だが、今回はあのわきたつ支持者(ヒスパニックとアフリカ系が多いという報道だった)の様子を見て閃いたのが、“Make America Great Again”だと気が付いた。「なるほど、そういうことか」と納得した。これらの他にトランプ大統領が相好を崩すかけ声に“Four more years.”というのがある。「もう後4年」ということで「再選しよう」と言われているのだ。嬉しそうにされる訳だ。
我が国でもマスコミはやらに言葉を縮める傾向があるが、アメリかでは頭文字を取って短縮する方式だ。だから、支持者たちは“USA”と連呼するのだ。まさか、あの場で“the United States of America”と連呼する訳にも行くまい。最近の他の短縮形(abbreviationで良いか)には“BLM”がある。これは“Black lives matter.”であって、警官によるアフリカ系の人を殺害した事件以来多用されるようになった。かく申す私も、このような短縮形に接した最初の頃には「何のことかな」と当惑したものだった。
誇張でも何でもなく1年365日を主に英語だけで過ごしていた生活から離れて26年も経つと、英語力、就中聞き取りの能力が情けないほど退化してしまう。テレビのニュースなどに流れる英語の音声の半分くらいしか聞き取れなくて、苛立つと同時に情けなくなってしまう。だが、先日のトランプ大領等の病み上がりのフロリダ州での顔を紅潮させた演説の冒頭部分(とは言うが、そこしか流されなかったのだが)は非常に言語明瞭で私の衰えた能力でも聞き取れた。書く場合にも英語での思考力の範囲が狭まってしまっているので、悲しくなるような英文しか出来なくなった。
単なる回顧談だと思ってお読み願えれば結構だが、トランプ大統領は「私は免疫である」=“I am immune.”と大声で言われたので、滅多に聞くことも使うこともなかった「免疫の」という形容詞が聞こえた。この“immune”には押しかけていた支持者が沸き立った。こんな事でもなければ聞けない単語だと思った。これを「免疫」という名詞にすると“immunity”となるのだが、これには法律的に「免責」という意味があるので、使われたのを見た記憶がある程度。
あの会場には“MAGA”と記された帽子をかぶっている連中が多かった。この4文字は他の場合にも見たことがあったか、どういう意味かなどは気にもしていなかった。だが、今回はあのわきたつ支持者(ヒスパニックとアフリカ系が多いという報道だった)の様子を見て閃いたのが、“Make America Great Again”だと気が付いた。「なるほど、そういうことか」と納得した。これらの他にトランプ大統領が相好を崩すかけ声に“Four more years.”というのがある。「もう後4年」ということで「再選しよう」と言われているのだ。嬉しそうにされる訳だ。
我が国でもマスコミはやらに言葉を縮める傾向があるが、アメリかでは頭文字を取って短縮する方式だ。だから、支持者たちは“USA”と連呼するのだ。まさか、あの場で“the United States of America”と連呼する訳にも行くまい。最近の他の短縮形(abbreviationで良いか)には“BLM”がある。これは“Black lives matter.”であって、警官によるアフリカ系の人を殺害した事件以来多用されるようになった。かく申す私も、このような短縮形に接した最初の頃には「何のことかな」と当惑したものだった。