新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

10月4日 その2 あらためて英語を母国語とする者たちの思考体系を考える

2020-10-04 16:47:50 | コラム
彼等は断定的に物を言うのだ:

先日、デイビッド・アトキンソン氏の発言を採り上げて考察したので、ここでは英語を母国語とする者たちの思考体系をあらためて考えて見ようと思う次第。但し、ヨーロッパの諸国の人たちの思考体系まで語るつもりはありません

英語という言語の特徴であると同時に、二進法的な思考体系であるアメリカ人と英連邦王国系統の者たちは、思考体系のせいがあって常に断定的に物を言うのです。私も長い間彼等の中で彼らの一員として過ごしておりましたのでしたので、どうしても彼らの思考体系に合わせて二進法的な思考体系に引き摺られました。そして知らぬ間に、断定的に物を言うようになって行きました。ビジネスの場に於いても常に「イエスかノーか」、「白か黒か」等を即座に断定的に言わないこ音には仕事が捗りませんし、会議等での議事が進みません。

アメリカの会社に転じてから数年後に、以前の日本の会社の仲間たちと語り合った時に「君は何時から良くそれほど断定的に物が言えるようになったのか」と切り返されたことがありました。自分では全くその意識がなかったので、寧ろ唖然として答えられませんでした。即ち、日本語で話している場合でも、彼等の思想信条に引っ張られていたのでした。だが、断定的な発言をする方が迫力が出るようで、聞き手を惹き付けることが出来るようになったと感じていました。

アトキンソン氏は巧みに日本語で語りますが、内容な極めて断定的で「中小企業は生産性が低いから整理すべきだ」と指摘するのです。聞き手はオックスフォード大の出身でゴールドマンサックスで有能なアナリストだったと聞けば、有り難いお経を聞いたような感じで捉えているのだろうと思います。私は英語の世界を離れて26年も経ちますと、日本語で書いている場合には日本語の感覚になっていると思っておりますが、一度英語になると矢張り決めつけるような文章構成になっていると思います。しかも、英語は主語の後に直ぐ動詞が出てくるので、分かりやすいのだと思います。

英語を母国語とする者たちとの話し合いや交渉事では、この点に留意して聞いていないと、ついつい彼らの断定的話法に引き回されることになるのです。故にと言うべきか何と言うべきか、日本式思考体系の「足して2で割る」とか「最初から妥協点か落とし所を探る」ような表現の仕方は彼等には通じないのです。彼等は「当方の主張を受け入れるのか否か」しか脳裏にありません。その辺りを“Take it or leave it.”という姿勢で臨んでくるので、「折角ここまでお出でになったのだから顔を立ててあげないと」と考えるのが日本式奥床しさです。彼等はそれを多としません。


危険な賭にならねば良いが

2020-10-04 11:08:53 | コラム
「経済を回そう」という政府の努力:

「Go to トラベル」が東京都を加えて、どうやら本格的に始動したようである。テレビの報道で見る限り方々の観光地や温泉に多くの旅行者が集まり、新幹線の駅も空港にも賑わいが戻ってきたようだ。観光地の商店街も土産物屋さんも期待しているようだ。結構なことだろう。甲子園球場にも1万4~5千人もの観客を入れたそうだが、画面で見た限りでは所謂ソーシャルデイスタンスもなにもない混雑のように見えた。私には安倍内閣から引き継いだ菅政権の「経済を活性化しよう」との努力が明らかに見えて来た良い傾向だと受けとめた。

だが、正直に言って政府の方針は兎も角、出て行く我々の方が余程十分な警戒態勢を整えておかないことには、折角の政府の施策が「危険な賭」に終わってしまう危険性が幾らかでも残っているように思えてならない。未だ9月中の4連休間の多くの方々の行動の結果の感染者者数が出てきている訳ではないが、東京都の感染者数は一向に減少傾向が安定していない。私はこの辺りに未だに危機感を覚えて、日頃の行動範囲から逸脱しないようにひたすら安全第一を心掛けている。

そこに感染の状態も何も全て異なるアメリかでは、トランプ大統領が陽性となって隔離され入院された。報道によれば、アメリかではホワイトハウスに集団感染が発生したとされている。このことだけを考えても、未だ未だ新型コロナウイルスに対する警戒態勢を緩めてはならない時期だと思っている。先ほど、TBSの張本勲の「喝」の番組に登場した元巨人というかMLBで大活躍した上原浩治がアメリカから帰国して、成田で陽性反応が出て隔離されたと語っていた。私はこの一事を採っても、外国からの入国の基準を緩和するのは危険ではないかと恐れている。

2~3週間ほど前の北野武の「何時になったらマスクもしないで、他人との距離に気を遣わないで外を歩ける日が来るのか」と言ったのをあらためて思い出した。私は政府の方針に異を唱えるつもりなど更々ない。だが、私はウイルスを制圧できるか否かは、我々一般人の自覚と警戒心に大きく依存するものではないかと考えている。