彼等は断定的に物を言うのだ:
先日、デイビッド・アトキンソン氏の発言を採り上げて考察したので、ここでは英語を母国語とする者たちの思考体系をあらためて考えて見ようと思う次第。但し、ヨーロッパの諸国の人たちの思考体系まで語るつもりはありません
英語という言語の特徴であると同時に、二進法的な思考体系であるアメリカ人と英連邦王国系統の者たちは、思考体系のせいがあって常に断定的に物を言うのです。私も長い間彼等の中で彼らの一員として過ごしておりましたのでしたので、どうしても彼らの思考体系に合わせて二進法的な思考体系に引き摺られました。そして知らぬ間に、断定的に物を言うようになって行きました。ビジネスの場に於いても常に「イエスかノーか」、「白か黒か」等を即座に断定的に言わないこ音には仕事が捗りませんし、会議等での議事が進みません。
アメリカの会社に転じてから数年後に、以前の日本の会社の仲間たちと語り合った時に「君は何時から良くそれほど断定的に物が言えるようになったのか」と切り返されたことがありました。自分では全くその意識がなかったので、寧ろ唖然として答えられませんでした。即ち、日本語で話している場合でも、彼等の思想信条に引っ張られていたのでした。だが、断定的な発言をする方が迫力が出るようで、聞き手を惹き付けることが出来るようになったと感じていました。
アトキンソン氏は巧みに日本語で語りますが、内容な極めて断定的で「中小企業は生産性が低いから整理すべきだ」と指摘するのです。聞き手はオックスフォード大の出身でゴールドマンサックスで有能なアナリストだったと聞けば、有り難いお経を聞いたような感じで捉えているのだろうと思います。私は英語の世界を離れて26年も経ちますと、日本語で書いている場合には日本語の感覚になっていると思っておりますが、一度英語になると矢張り決めつけるような文章構成になっていると思います。しかも、英語は主語の後に直ぐ動詞が出てくるので、分かりやすいのだと思います。
英語を母国語とする者たちとの話し合いや交渉事では、この点に留意して聞いていないと、ついつい彼らの断定的話法に引き回されることになるのです。故にと言うべきか何と言うべきか、日本式思考体系の「足して2で割る」とか「最初から妥協点か落とし所を探る」ような表現の仕方は彼等には通じないのです。彼等は「当方の主張を受け入れるのか否か」しか脳裏にありません。その辺りを“Take it or leave it.”という姿勢で臨んでくるので、「折角ここまでお出でになったのだから顔を立ててあげないと」と考えるのが日本式奥床しさです。彼等はそれを多としません。
先日、デイビッド・アトキンソン氏の発言を採り上げて考察したので、ここでは英語を母国語とする者たちの思考体系をあらためて考えて見ようと思う次第。但し、ヨーロッパの諸国の人たちの思考体系まで語るつもりはありません
英語という言語の特徴であると同時に、二進法的な思考体系であるアメリカ人と英連邦王国系統の者たちは、思考体系のせいがあって常に断定的に物を言うのです。私も長い間彼等の中で彼らの一員として過ごしておりましたのでしたので、どうしても彼らの思考体系に合わせて二進法的な思考体系に引き摺られました。そして知らぬ間に、断定的に物を言うようになって行きました。ビジネスの場に於いても常に「イエスかノーか」、「白か黒か」等を即座に断定的に言わないこ音には仕事が捗りませんし、会議等での議事が進みません。
アメリカの会社に転じてから数年後に、以前の日本の会社の仲間たちと語り合った時に「君は何時から良くそれほど断定的に物が言えるようになったのか」と切り返されたことがありました。自分では全くその意識がなかったので、寧ろ唖然として答えられませんでした。即ち、日本語で話している場合でも、彼等の思想信条に引っ張られていたのでした。だが、断定的な発言をする方が迫力が出るようで、聞き手を惹き付けることが出来るようになったと感じていました。
アトキンソン氏は巧みに日本語で語りますが、内容な極めて断定的で「中小企業は生産性が低いから整理すべきだ」と指摘するのです。聞き手はオックスフォード大の出身でゴールドマンサックスで有能なアナリストだったと聞けば、有り難いお経を聞いたような感じで捉えているのだろうと思います。私は英語の世界を離れて26年も経ちますと、日本語で書いている場合には日本語の感覚になっていると思っておりますが、一度英語になると矢張り決めつけるような文章構成になっていると思います。しかも、英語は主語の後に直ぐ動詞が出てくるので、分かりやすいのだと思います。
英語を母国語とする者たちとの話し合いや交渉事では、この点に留意して聞いていないと、ついつい彼らの断定的話法に引き回されることになるのです。故にと言うべきか何と言うべきか、日本式思考体系の「足して2で割る」とか「最初から妥協点か落とし所を探る」ような表現の仕方は彼等には通じないのです。彼等は「当方の主張を受け入れるのか否か」しか脳裏にありません。その辺りを“Take it or leave it.”という姿勢で臨んでくるので、「折角ここまでお出でになったのだから顔を立ててあげないと」と考えるのが日本式奥床しさです。彼等はそれを多としません。