新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

10月29日 その2 菅義偉内閣総理大臣と代表質問に思う

2020-10-29 15:07:39 | コラム
未だ菅首相の評価を控えたい:

昨28日は枝野幸男の代表質問を何気なくチャンネルを合わせて聞いたし、菅首相の答弁にも聞き入っていた。正直なところを言えば、私は未だに菅義偉という内閣総理大臣が「当たりなのか、外れなのかを判断するのが時期尚早だ」と思っている。その点でも、代表質問に対する菅首相の答弁の仕方には関心があったのだ。だが、評価は先送りとしたい。それは、今後執拗に続くだろう野党とマスコミ連合軍がこの件の追求が予見されるからだ。総理が如何にして「モリカケ桜化」を回避されるかだと思う。

実は、後難を恐れて言えば「野党第一党の代表の質問と、それに対する総理大臣の答弁を最初から聞く(見る?)のは87年の人生で初めての経験だった」のである。これは今に始まったことではないようだが、最初から質問が総理に提示され、予め答弁が用意されていて、大きな字で書かれた原稿を読んでおられたのも確認できた。

毎度のことなのだろうが、枝野幸男質問の内容は多岐にわたり、それを一々事細かに総理が覚えておられて、当意即妙に答えておられるのではないと承知していても、誠に味気なく素っ気ないものだと、あらためて感じただけだった。枝野の質問が何項目に渡っていたか知らないが、一つ一つを問い質して、総理がそれに対して仮令原稿を読んでも、答えていく方が即興も入る余地があって少しは迫力が出るのではないかと感じた。それはあり得ないと勿論承知である。「係の方たちが発言が修了する度にマイク等を消息する手間があるではないか」と言うのは別のことだとしてだ。

おかしな現象だと感じたのは「野党からのヤジは菅首相が日本学術会議の任命拒否問題に対する質問に答え始められた時だけだった」ということ。個々の答弁の中にはこの件よりも遙かに重要性の高い案件が多数あったにも拘わらず、野党どもはこの件が如何にも最大の問題の如くに騒ぎ立てるのは、彼等がこの件を菅内閣総理大臣と菅内閣を貶める主たる材料にしようとの意図が余りにも露骨で興醒めというか、アホらしくなった。総理も「人事の個別の案件については」など言われずに、いっその事「先刻諸君がお察しの通りの事情であって」と言えば良かったとすら思っていた。

今更そんなことを言うなと非難されそうなのを承知で言うと、永年アメリカ側の一員として我が国の大手企業の精鋭の方々との交渉の席に臨んできた経験から言えば「我が国には感情的になることを避け、腹蔵なく丁々発止と議論を展開することを得手としておられる方が少ないのではないか」と感じていた。アメリカ人は「そこまで激しい論争を展開して大丈夫か」とハラハラするほど、論旨を組み立てて相手を屈服させるまで論争するのだ。ところが、議論乃至は交渉が終われば「良い議論だった」と握手して「これから晩飯でも行くか」との展開になるのだ。

このような議論の仕方を当て嵌めれば、枝野は菅首相が「個別の内容には」と言われた時点で壇上に駆け上がって「総理、それでは全く意味不明で、説明不十分。より明快に理由をご提示願いたい」と切り返し、総理が「何を言うのか。君たちは学術会議の問題点について先刻ご承知ではないか。それをこの場で私に言えというのか。国民に君等の論理の歪みを知られても良いのか」とぴしゃりと決めつけられても良いと思える。尤も、「その議論の進め方は決算委員会の場でお願いします」という事になりそうだが

私は「このような質疑応答の進め方こそ、菅首相が提唱される悪しき前例と習慣を排除して」を適用されてもおかしくないような気がするのだ。だが、この辺りが我が国の長い年月を経た国会討論の文化であると見ているので、私の生存中には変わるまいと思っている。ここで、そういうことを離れて気が付いたことを挙げて終わろう。それは、菅義偉と言う方の語り口に柔らかさを感じさせていた要因に「ガ行がチャンと鼻音化している美しさがある点」だと思う。

今や、嘆かわしいことに民放は言うに及ばす、NHKのアナウンサーでも「ガ行の鼻音化」などは消え去ってしまった時代だ。その点では菅首相に敬意を表したい。と言うのも、私も鼻音化を守っている珍しい一人になってしまったのだから。



アメリカ大統領選挙の表と裏

2020-10-29 09:25:43 | コラム
トランプ大統領とバイデン候補の何れが勝つのか:

未だ解らないというところか:


私の知人たちの見立て:
この期に及んでアメリカの知人たちに見通しを問い合わせてみた。ある程度一致した見解は「バイデン候補が一部に噂されているように勝利することはあるかも知れない。だが、その場合に所謂『地滑り的』勝利でない限り、トランプ大統領があらゆる手段を講じてというか法廷闘争にまで持ち込んで抵抗するだろう。その際にはエイミー・バレット氏を判事に任命しておいたことが効果を発揮するかも知れない」との辺りに落ち着いた。その反対がトランプ大統領の地滑り的勝利もあるのかも知れないという見方だった。何れにせよ“Who knows?”なのだそうだ。

我が国のマスコミがいう「隠れトランプ」の投票行動がどのように出るのかが、かなりの影響を与えるのかも知れないと言っている。この点については後述する昨28日のPrime Newsに登場した、敢えてお馴染みのと言う、ケント・ギルバートが「隠れトランプ(silent voters for Trump)などはいない。特に民主党の牙城であるニューヨーク等では迂闊に“トランプが良い”と言っただけで、家に放火すると脅かされたという話まであったとか。

ギルバートは「隠れるも何も、トランプ支持などと言い出せない雰囲気だ」と指摘したのだが、この辺りを私は既にNY在住のエコノミストH氏の言を引用して紹介してあった。私の知人の中にも「本当にトランプ大統領のsilent voters等がいるのだろうか」という疑問を呈している者もいた。

28日のPrime News:
この番組はケント・ギルバート氏、上智大学前嶋教授、慶応大学中山慶応大学教授とアメリカの政治に極めて精通された権威者(専門家というよりもこの方が相応しいかと思う)がそれそれ思い切った論陣を張られて、非常に興味深い2時間だったと評価したい。彼等からも何れが勝利するかの結論めいた話は出なかったが、アメリカの政界と大統領選挙の我が国にいては到底知り得ない実態というかその在り方、仕組み、裏表をかなり余すところなく語ってくれたので、大いに勉強になった。

特に興味を惹かれた点は法律の範囲内でというか、その州乃至はcounty(州内のより小さい行政区画で「群」と訳されている)によって異なる法律というか規定をそこまでやるのかというくらい「違反すれすれまで」解釈して挑んでいく作戦には「流石アメリカだな」と痛感させられた。それを聞いて思いだしたことがあった。それは、アメリカから招いたプロのフットボールコーチが先ず教え込んだことは「『反則と判定されない限界は何処までか』を徹底的に教えられたこと」だったという話だ。彼等は、そこまでの物の考え方をする人種だと知ったという経験談だった。

昨夜の3人の権威者の意見の裏と表を読めば、「トランプ大統領は勝つ為にはあらゆる手段を講じ行くだろう。そこには法廷闘争もあれば、バレット最高裁判事の任命の強行だったあったのだ」とでもなるかと思った。即ち、「11月3日にバイデン候補は少しの差で勝ったのでは、勝利宣言をすることは許されまい」という辺りである。更に「アメリカ国民の中にはトランプ大統領さえ落とせれば、その代わりは誰でも良いと思い込んでいる者たちがいて、何もバイデンが良いから支持するのではないという意味」だったとあらためて再認識した。いやはや。