新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

そうなって欲しいこと、そうなって欲しくないこと

2021-09-16 08:23:17 | コラム
自由民主党総裁選挙に思う:

私は既に「この選挙は自由民主党所属の議員と党員・党友による選挙なので、一般のと言うか外野にいる有権者たちのものではない」のと「我々は議員、就中当選3回以下の者たちと党員他の良識を信じて、國と国民の為になる者を選んで貰えると期待しているのだ」と述べてきた。更に、「報道機関がしたり顔で続けてみせる人気投票じゃなかった世論調査の結果などに影響されないように」とも指摘した。我々は「彼らが誰を選ぶか」を見守っているだけだ。要するに、彼らにそこまでの意識と認識があるのかに懸かっているのである。

また、私は別の機会に「この世にはそうなって欲しいと思う事は、往々にしてそうは行かずに、そうなって欲しくない結果を生じるものだ、特に人事(ここでは選挙を意味するが)ではそういう事態を何度も見てきた」とも語って見せた。敢えて言うが、自由民主党総裁選挙は我々一般人のものではないが、我が国の命運を左右しかねない重大な行為である。故に「そうなって欲しい」と「そうなって欲しくない」候補者はいると思う。その考えは人それぞれだとは思うが。

という次第で、私には「誰にはなって欲しくない」という選択はあるし「誰がなれば良いのだが」との考えもある。後難を恐れて言えば「なって欲しくない」のは河野太郎である。理由は簡単明瞭で「独断専行型で思い切ったようなことは言われるが、果たして何処まで結果が伴ってきたか」なのだ。しかも、あれほど「原発ゼロ」の旗を振っていたにも拘わらず、立候補の決意を示すや「必ずしも・・・」となった変節漢は困るのだ。イージスアショア中止の決定を独断で下した辺りは、唖然とさせられただけだった。信用に値する人物と思わせられたが、俗受けはしたようだ。

その河野太郎を石破茂は立候補を見送って河野支持に回るとの意向を表明した。これはこの両名は言うなれば「自由民主党の本山に対して反旗を翻した反対勢力である」との立場を鮮明にしただけだ。私は「党内の争いの場にしていて良い時期か」と憂いて見せてある。だが、繰り返して言うと「自由民主党の中の選挙である以上、我々が口を差し挟むことは出来ない」のである。だが、彼らの良識と認識如何では「そうなって欲しくない」事態が生じる危険性が出たと認識している。

私が河野太郎を「そうなって欲しくない」に分類する根拠は上記のような言わば薄弱かも知れないものであり、感性から生じたものだと危惧している。そこに、本日の産経新聞の一面には収まりきれない長文で櫻井よしこさんが「河野氏支持が真の保守か」と題して、河野太郎批判論を展開しておられる。大袈裟に言えば「目から鱗が落ちる」ような論旨である。そこからほんの一部だけ借用してみよう。

それは「自民党に126名もいる若手議員たちは皆安倍晋三前総理・総裁の下に、その政策と信条を掲げて当選してきたのである。その者たちは同時に再当選が最も危ういのだ。だからと言って、自分の為に安倍晋三前総理・総裁や麻生太郎財務大臣に対して事を構える河野・石破連合の支持に回るのは、人気者に頼ろうという姿勢が見える」との指摘である。私はここまでで十分かとも思うが、それ以上に関心がおありの向きは「産経新聞をご一読願いたい」と申し上げておく。

私は矢張り最も重要なことは「自由民主党の議員たちと党員・党友の良識と判断力であると同時に、彼らが何処まで國と国民の為に自分たちがあるのだとの強烈な意識があるのか」ととの点だと思う。再度の当選の為だけに走られては、国民が犠牲になるだけだと承知しているかだ。敢えて言うが「彼らの選択と行動如何では、枝野幸男如きを跳梁跋扈させてしまう事態を招来しかねない」のである。