すは百人町の再活性化か:
我が故中曽根首相が計画された「民活」で元はと言えば戸山練兵場だった跡地アメリカ軍キャンプを国が買い上げて、25階建てのアパート3棟が完成して入居が開始されたが1988年4月だった。この地域は建ぺい率か容積率か高さの制限か知らないが、通常は11~12階建てしか認められていないのに、半官半民の事業で25階を建てられたと知らされていた。その後暫くは大久保通りから600 mほど離れたこの地区は、静かで穏やかな住宅地帯だった。Koreatownもイスラム横丁など影も形もなかった。
それでも、気が付けば我が家から10分弱ほど歩けば道幅が広い静かな道路が南北に走っていて、そこにはクレハの研究所や日本マクドナルドの分室等が入った低層ビルもあるし、その反対側には大型の東京都衛生健康研究所だったかもある。また昨年春にはそれに並んでいたなんやら博物館の跡地に、桜美林大学の経済学群のキャンパスが出来た。幸か不幸か、大学には大勢の学生が登校する前にオンライン講義となったようで、全く学生群に出会ったことはないのだ。その為か、静かな環境にさほど変化はなかった。
ところがである。前記のクレハの建物が解体され始め白い囲いで隔離されてしまった。私は勝手に同社が建て直すのだと推察して、特に気にはしていなかった。その場所を本日午前中のバス待ちの時間にふらりと訪れてみた。すると、通行口に2~3名が脚立を立てて何かの看板を貼り付けていた。見ると「長谷工」とあった。そこで、これはクレハの建て直しではあるまい感じて、警備員に「クレハじゃなくてアパートですか」と尋ねるとキッパリと「アパートじゃありません。マンションです」と告げられた。なるほど、三井不動産レジデンシャルの掲示も出ていた。
そこに建設される「マンション」の詳細は掲示されていなかったが、あれほどの面積の土地に仮に12階しか建たないとしても、少なくとも2棟は建つだろう。これは大変なことになると思わざるを得なかった。それは、この辺りはそもそも住宅地であり、その長谷工の建築中の場所からは新大久保駅でも高田馬場駅でも徒歩10分以上は要するし、その間にスーパーマーケットもなければ、ちゃんとした食事会も出来るようなレストランも食堂も、サンパークホテル2階の楠とGALOIS HOTELのGAZEBOだけしかないのだ。
新大久保駅に出ようと思えば否が応でもイスラム横丁を通過する道しかない。高田馬場駅では戸山口が最寄りであり、駅舎に行くには更に数分歩かねばならない。優れた点はある。それは東京山でメデイカルセンター、大久保病院、国立国際医療研究センター病院、東京女子医大病院等が近いし、区内には他に慶応大学病院、東京医大病院棟の大病院が揃っている辺りだ。長谷工は何処まで近隣の事情を調査したのだろう。
しかも、マンションが出来れば駐車場も出来て車の往来も増えるだろう。一寸憂うつになる。今でも、近くにある大規模な区営住宅群の方角から、何故か白人ではない外国人が数多く歩いてくるようになってしまっている。我がアパート群にも時々異邦人が出入りする様を見かける。何年先のことか知らないが、この地区には買い物難民と外食難民で溢れかえるかも知れないのだ。その時まで生存できるように精々NCGMの主治医に褒めて頂いた「ストイックな生活態度を維持して長生きてこの地区の将来を見届けよう」と決意を新たにしたのだった。
我が故中曽根首相が計画された「民活」で元はと言えば戸山練兵場だった跡地アメリカ軍キャンプを国が買い上げて、25階建てのアパート3棟が完成して入居が開始されたが1988年4月だった。この地域は建ぺい率か容積率か高さの制限か知らないが、通常は11~12階建てしか認められていないのに、半官半民の事業で25階を建てられたと知らされていた。その後暫くは大久保通りから600 mほど離れたこの地区は、静かで穏やかな住宅地帯だった。Koreatownもイスラム横丁など影も形もなかった。
それでも、気が付けば我が家から10分弱ほど歩けば道幅が広い静かな道路が南北に走っていて、そこにはクレハの研究所や日本マクドナルドの分室等が入った低層ビルもあるし、その反対側には大型の東京都衛生健康研究所だったかもある。また昨年春にはそれに並んでいたなんやら博物館の跡地に、桜美林大学の経済学群のキャンパスが出来た。幸か不幸か、大学には大勢の学生が登校する前にオンライン講義となったようで、全く学生群に出会ったことはないのだ。その為か、静かな環境にさほど変化はなかった。
ところがである。前記のクレハの建物が解体され始め白い囲いで隔離されてしまった。私は勝手に同社が建て直すのだと推察して、特に気にはしていなかった。その場所を本日午前中のバス待ちの時間にふらりと訪れてみた。すると、通行口に2~3名が脚立を立てて何かの看板を貼り付けていた。見ると「長谷工」とあった。そこで、これはクレハの建て直しではあるまい感じて、警備員に「クレハじゃなくてアパートですか」と尋ねるとキッパリと「アパートじゃありません。マンションです」と告げられた。なるほど、三井不動産レジデンシャルの掲示も出ていた。
そこに建設される「マンション」の詳細は掲示されていなかったが、あれほどの面積の土地に仮に12階しか建たないとしても、少なくとも2棟は建つだろう。これは大変なことになると思わざるを得なかった。それは、この辺りはそもそも住宅地であり、その長谷工の建築中の場所からは新大久保駅でも高田馬場駅でも徒歩10分以上は要するし、その間にスーパーマーケットもなければ、ちゃんとした食事会も出来るようなレストランも食堂も、サンパークホテル2階の楠とGALOIS HOTELのGAZEBOだけしかないのだ。
新大久保駅に出ようと思えば否が応でもイスラム横丁を通過する道しかない。高田馬場駅では戸山口が最寄りであり、駅舎に行くには更に数分歩かねばならない。優れた点はある。それは東京山でメデイカルセンター、大久保病院、国立国際医療研究センター病院、東京女子医大病院等が近いし、区内には他に慶応大学病院、東京医大病院棟の大病院が揃っている辺りだ。長谷工は何処まで近隣の事情を調査したのだろう。
しかも、マンションが出来れば駐車場も出来て車の往来も増えるだろう。一寸憂うつになる。今でも、近くにある大規模な区営住宅群の方角から、何故か白人ではない外国人が数多く歩いてくるようになってしまっている。我がアパート群にも時々異邦人が出入りする様を見かける。何年先のことか知らないが、この地区には買い物難民と外食難民で溢れかえるかも知れないのだ。その時まで生存できるように精々NCGMの主治医に褒めて頂いた「ストイックな生活態度を維持して長生きてこの地区の将来を見届けよう」と決意を新たにしたのだった。