デジタル化って具体的にどういう事?:
昨日、国立国際医療研究センター病院の地下のセブンイレブンで、何年振りかで週刊現代を買ってみた。その訳は「その時刻から実際に外来で呼ばれるまでに、少なくとも1時間は待つ見込みだったから」だ。価格が¥530と言うのにも驚かされたが、レジスターではもう一寸驚かされた。係員はUPC(バーコードのこと)を読み取るだけで、後は「機械にお札と硬貨を入れてディスプレーのOKに触れなさい」と指示するだけだった。「凄いな。我が国最大のコンビニエンスストアだけあって、デジタル化が進んでいるな」と感心させられた。
今年の初めの、未だCOVID-19の感染の勢いが恐怖だった頃に止むを得ぬ用事で、覚悟を決めて人流が盛んな新宿駅西口に出掛けた。その際に用事を済ませた後で、折角ここまで来たのだからとユニクロで下着の在庫積み増しを図った。品物を選んでから支払いへと向かった。
会計機の所には女性が一人張り番をしていて、訳が解っていない高齢者に支払い方法を指導していた。そこでは機械に商品を置くと全てを読み取って「袋が要るか」と尋ねてくる。それを「ノー」にして指示された現金を置けば、決済完了でレシートが出てくる仕組みだった。勿論「何とかペイ」は受け付けて下さるようだった。「流石に世界のユニクロである。デジタル化をここまで進化させていたのか、長生きはするもので自分は世の中から取り残されている」と痛感させられた貴重な経験だった。
次なるデジタル化の経験はテレビのCMに誘われて、くら寿司とスシローに出掛けたときのことだった。デジタル化が進んでいて、席選びから支払いまで全て流れが出来ていたし、注文はタブレットでとなっていた。家内は「この儘にデジタル化が進めば、遠からぬ将来に単独では外食は出来なくなりそうだ」と恐怖感を露わにした。先日も紹介した新大久保駅前の中国人経営の四川料理店は流石に華為のタブレットで注文するようになっていた。
上記の一連のデジタル化(なのかな?)は、私には人件費の節約と注文を間違えた場合にはお客の責任に持って行けるような安全策としか見えなかった。スシローでは支払い方法を教えてくれた若い女性も「実は、初めて来ました。便利のようで面倒なのですが、その便利さは店側にとってのことと感じました」と、帰りのエレベーターの中で聞かせてくれた。
このように菅首相の優先度が極めて高いデジタル化政策は末端にまで浸透しているようだと、一向に感じてはいない。デジタル化先進国の韓国では「役所に引っ越しの申請をスマートフォンででもすれば、それに伴う全ての手続き(例えば電気やガスや水道の切り替え等々)は一瞬にして完了するシステムが構築されていて、引っ越しと同時に全てが運転開始」という記事を読んだ気がする。世界的な基準では、どうやらデジタル化とはこういうことを指しているようだと感じた。
そこで、我が国のデジタル庁である。私は先ずdigitalという英語を「デジタル」と表記してしまったことから「如何なものか」と思っている。如何なる辞書を見ても、発音記号通りにすれば「デイジトウル」がかなり近いのだ。故に、私はこれまで「デイジタル」と表記してきた。誰が最初に「デジタル」にしようと発議したのか知らないが、不正確だと感じている。似たような例に「マイケル」がある。Michaelの発音記号は「マイクル」なのだ。
President誌の10月15日号で大前研一誌がかなり手厳しくデジタル庁等を批判している。曰く“「トップのデジタル監には結局一橋大学名誉教授(経営学)石倉洋子氏が就任した。発足式で石倉氏は「私はデジタルの専門家でもエンジニアでもない。Pythonにもチャレンジしたが、今のところ挫折している状況だ」と発言し話題になった。デジタル庁のトップがデジタルについて理解していないのも問題だが、それ以上に問題なのは自分の役割を理解していないことだ”と指摘された。
大前氏は平井大臣についてもかなりきついことを言われていた。だが、私が気になった点は「大学の工学部でプログラミング教育を受けても(中略)米中印のようなスーパースターのような構想力を持ったエンジニアはなれず、日本独特の年功序列制度の端末に入ることになる」と批判されている点だった。こういう仕組みは徐々に改善され中途入社が増えてきたとは見えるが、アメリカ、インド、中国、台湾、韓国に後れている事実を見ると、年功序列制の弊害はあると思う。平井大臣、石倉デジタル監はこの辺りから改革される構想があるのだろうか。あって当然だろう。
昨日、国立国際医療研究センター病院の地下のセブンイレブンで、何年振りかで週刊現代を買ってみた。その訳は「その時刻から実際に外来で呼ばれるまでに、少なくとも1時間は待つ見込みだったから」だ。価格が¥530と言うのにも驚かされたが、レジスターではもう一寸驚かされた。係員はUPC(バーコードのこと)を読み取るだけで、後は「機械にお札と硬貨を入れてディスプレーのOKに触れなさい」と指示するだけだった。「凄いな。我が国最大のコンビニエンスストアだけあって、デジタル化が進んでいるな」と感心させられた。
今年の初めの、未だCOVID-19の感染の勢いが恐怖だった頃に止むを得ぬ用事で、覚悟を決めて人流が盛んな新宿駅西口に出掛けた。その際に用事を済ませた後で、折角ここまで来たのだからとユニクロで下着の在庫積み増しを図った。品物を選んでから支払いへと向かった。
会計機の所には女性が一人張り番をしていて、訳が解っていない高齢者に支払い方法を指導していた。そこでは機械に商品を置くと全てを読み取って「袋が要るか」と尋ねてくる。それを「ノー」にして指示された現金を置けば、決済完了でレシートが出てくる仕組みだった。勿論「何とかペイ」は受け付けて下さるようだった。「流石に世界のユニクロである。デジタル化をここまで進化させていたのか、長生きはするもので自分は世の中から取り残されている」と痛感させられた貴重な経験だった。
次なるデジタル化の経験はテレビのCMに誘われて、くら寿司とスシローに出掛けたときのことだった。デジタル化が進んでいて、席選びから支払いまで全て流れが出来ていたし、注文はタブレットでとなっていた。家内は「この儘にデジタル化が進めば、遠からぬ将来に単独では外食は出来なくなりそうだ」と恐怖感を露わにした。先日も紹介した新大久保駅前の中国人経営の四川料理店は流石に華為のタブレットで注文するようになっていた。
上記の一連のデジタル化(なのかな?)は、私には人件費の節約と注文を間違えた場合にはお客の責任に持って行けるような安全策としか見えなかった。スシローでは支払い方法を教えてくれた若い女性も「実は、初めて来ました。便利のようで面倒なのですが、その便利さは店側にとってのことと感じました」と、帰りのエレベーターの中で聞かせてくれた。
このように菅首相の優先度が極めて高いデジタル化政策は末端にまで浸透しているようだと、一向に感じてはいない。デジタル化先進国の韓国では「役所に引っ越しの申請をスマートフォンででもすれば、それに伴う全ての手続き(例えば電気やガスや水道の切り替え等々)は一瞬にして完了するシステムが構築されていて、引っ越しと同時に全てが運転開始」という記事を読んだ気がする。世界的な基準では、どうやらデジタル化とはこういうことを指しているようだと感じた。
そこで、我が国のデジタル庁である。私は先ずdigitalという英語を「デジタル」と表記してしまったことから「如何なものか」と思っている。如何なる辞書を見ても、発音記号通りにすれば「デイジトウル」がかなり近いのだ。故に、私はこれまで「デイジタル」と表記してきた。誰が最初に「デジタル」にしようと発議したのか知らないが、不正確だと感じている。似たような例に「マイケル」がある。Michaelの発音記号は「マイクル」なのだ。
President誌の10月15日号で大前研一誌がかなり手厳しくデジタル庁等を批判している。曰く“「トップのデジタル監には結局一橋大学名誉教授(経営学)石倉洋子氏が就任した。発足式で石倉氏は「私はデジタルの専門家でもエンジニアでもない。Pythonにもチャレンジしたが、今のところ挫折している状況だ」と発言し話題になった。デジタル庁のトップがデジタルについて理解していないのも問題だが、それ以上に問題なのは自分の役割を理解していないことだ”と指摘された。
大前氏は平井大臣についてもかなりきついことを言われていた。だが、私が気になった点は「大学の工学部でプログラミング教育を受けても(中略)米中印のようなスーパースターのような構想力を持ったエンジニアはなれず、日本独特の年功序列制度の端末に入ることになる」と批判されている点だった。こういう仕組みは徐々に改善され中途入社が増えてきたとは見えるが、アメリカ、インド、中国、台湾、韓国に後れている事実を見ると、年功序列制の弊害はあると思う。平井大臣、石倉デジタル監はこの辺りから改革される構想があるのだろうか。あって当然だろう。