新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

9月27日 その2 カタカナ語排斥論者の反省

2021-09-27 08:25:31 | コラム
外来語を先ず漢字を使って表現する:

本日の産経新聞一面に載っていた黒田勝弘氏の「から(韓)くにたより」を読んで大いに反省させられた。一読した後に反省したことは「私はカタカナ語の問題点は厳しく責め立てたが、その対応策を論じていなかった点」である。

黒田氏によれば、“韓国では30年ほど前には我が国散々使われていた「セクハラ」とは何かが解らなかった。セクシャルハラスメントの短縮形と知ってからは「性戯弄」と漢字に翻訳し韓国語読みで「ソンヒロン」と称して今にいたる”のであるそうだ。そして、それよりもきつい痴漢的な「ソンチュヘン」(性醜行)という言葉も流行っているのだそうだ。

黒田氏の更なる指摘は「韓国としては漢字を拒否しながら新しい概念を漢字で表現するのは矛盾しているように思えるが、それでも日本のように安易(?)に「セクハラ」などとせず、独自に新しい漢字語を生み出したのだから、韓国語に“造語能力”も捨てたものではない」となっていた。残念ながら我が国の安易さを痛感したし、自分自身の排斥論の浅薄さを反省した。

先日も「ブースター接種」と「ブレークスルー感染」を言わば揶揄したが、何もこれらだけに限ったことではなく、気取ったのか思慮が不足しているのか、奇妙なカタカナ語だけにしていることは、あらためて問題扱いしても良いとは思う。だが、そこまでに止めずに漢字の熟語なり何なりで表現すべきであると、もっと積極的に指摘すべきだったと思う。それが出来ていれば「セキュリティ」などと言う原語に不忠実な奇っ怪なカタカナ語を創造せずに済んだはずだ。韓国とは違って漢字文化を残していることを忘れたはならないのだ。

何年前だったか、専門商社OBで海外駐在経験者との昼食会の時に、そのレストランが「CLOSE」という札を下げていたので異口同音に「CLOSED」とするのが文法的に正しいのだと指摘したことがあった。でも、言うべきだったことは「ここは日本なのだから『閉店』としたらどうですか」だった。「オープン」だの「OPEN」や、「リニューアルオープン」のように文法的に謝った札を下げることを恥じ入って「営業中」であるとか「新装開店」とする方が自然だと思う。

黒田勝弘さん、有り難う御座いました。勉強になりました。


何故大谷翔平を四球攻めするのか

2021-09-27 07:35:55 | コラム
その意図は何処にあるのだろうか:

私は如何に何でもアメリカのMLBのLAエンジェルス以外のアメリカン・リーグの球団の露骨な四球攻めは、矢張りやり過ぎだろうと言いたくもなる。シアトル・マリナーズの監督は「45本もホームランを打っている者を敬遠することは当然だ」と言ったかと思えば、昨日は5回までで1対11と大量にリードされていたので、ここでは大谷と勝負するかと思えば、全く打てないインサイドを高く外れた投球を4球続けて歩かせた。

極端な表現を用いれば「彼らの不公平(unfair)な作戦、ここに極まれり」だとなる。彼らは「fairではない」と決めつけられることを最も嫌うのだ。彼らを黙らせるには“That is not fair.”と言えば済むのだから。

私が不思議に感じていることは、報道機関のこの件の扱いである。「大谷が何回歩かせられたか」を連日伝えてくれるが、ゲレーロJr.とペレスがどのように扱われているかは一向に知らせてくれないのだ。大谷に対する扱いがどれほど不公平であるかは解るが、当面の競争相手が敬遠攻めに遭っているかどうかは一向に伝えてくれないのでは、彼への対応が不公平であるかどうかを断定できないではないか。

私は20年以上も彼らの世界というか、アメリカ人の中にあって彼らと共に働いてきた。だが、決して不公平な扱いを受けたことはなかった。だが、身分の垂直上昇などあり得ない事務職等の中には職業意識が乏しく、とても勤勉とは言えない者たちがいたので、そういう連中が私の顔が対外的に傷付けられるような失態を演じたときには、厳しく叱責したものだった。だが、彼らの上司たちからは「君の気持ちは解るか、ここは穏便に取り計らってくれ」と彼らを庇い立てて、微妙な表現になるが「彼ら仲間には優しい」のだった。

昨日のTBSでは張本勲は「良くありがちなことで、我が国でも色々とあったではないか」と、断定的な表現を避けていた。私もそういうものだということくらいは解っている。報道機関の連中だって承知していると思う。私が「大谷翔平がホームラン王を獲ることは諦めている」という背景にはこういう事情があるのだ。ではあっても、103年前のベーブ・ルースの身体能力と大谷翔平のそれとを比較せずに「新記録だ、新記録だ」と騒ぎ立てるのは合理的ではないと思う。残された希望はMLBの他球団監督がどれほどfairであるかだが、望み薄だろう。