新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

9月10日 その2 高市早苗元総務大臣論

2021-09-10 14:41:04 | コラム
自民党内で最も硬派の部類だと聞いたが:

先ほどテレ朝だったかに高市早苗さんが出られて、政見(というのかな)を語っておられたのを細切れで見ていた。高市さんの語りをゆっくりと聞くのは初めてだったと思うが、端倪すべからざる点があり、安倍晋三前総理が支持すると言われた辺りを理解できる気がした。

高市さんは気負うことなく淡々と「極めて真面なことを語っておられただけ」という印象を受けた。中でも「靖国神社参拝を外交問題にしても、されても良くない。国の為に亡くなった方々を慰霊するのは当たり前」と語られたのは立派であると感じていた。正直な感想を言えば、当然のことを言われただけなのだが、それをしようともしない大臣や国会議員ばかりなのが普通ではないのだと思う。それにしても、高市早苗さんがそう言われたのを聞いて感動している私も困ったことかも知れない。

少し女性論に触れてみよう。私は4歳で父を失って、母が厳しくせざる(ならざる)を得ない育て方をしてきたし、中学1年の後半からGHQの秘書の方に“ladies first”(断固として「レデイーファースト」ではない)で仕付けられたので、女性の能力と尊厳と偉さと怖さは人並み以上に承知している積リだ。但し、余計な話かも知れないが、アメリカにおける「レデイファースト」の扱い方や、女性優先や男女同権等は我が国では多少以上に認識不足で誤解されている気がする。

そのような環境の下に育ってきた上に、最初に転進したMeadでは超一流の秘書さんに出会うという幸運に恵まれた。彼女は1934年生まれの青学大出身で、某有名医師の一族の奥方だったそうだったが、不幸にも離婚されてから秘書の仕事を覚えられ、イタリアとアメリカで経験を積んでこられた方だった。「秘書とは」を心得られた真のプロの秘書さんで、至らざるボスとして教えられたことが本当に多かった。彼女は俗に言う「女手一つ」で息子さんを育てておられ、立派に大手商社に入社させられた。彼女からも女性の「尊厳」と「能力」を2年間学ばせて貰えた。

Weyerhaeuserの19年間では、秘書さんには12年間仕えた。彼女は最初は単なる今時の女の子だと見ていた。だが、目覚ましく成長して、私のような気が付かない(気が利かない)男にはない面を十二分に補ってくれて、彼女なくして私は19年半も務められないと思い知る存在に成長した。現に私がリタイアするときに他の秘書さんたちに「貴方はこれから先に彼女無しで暮らせますか」と揶揄されたほど、あらゆる点で補助しあるいは指導してくれていたのだった。

高市さんはそういう秘書型ではなく、全く別の型の女性であると見た。それは人の上に立って、組織を動かせるのではないかと思って見いていた。そのような堂々とした見識と政権を持つ議員かと思って聞いていた。女性は「物事の本質というか剥き出しの面を見る能力があるのだし、男のような小細工を弄することもなく、思った通りのことを直感で言うのが特徴であり、その点が時と場合では怖いものなのだ。高市さんの靖国神社参拝論や原発容認論は聞くべき点がある。未だに菅直人の反原発に引き摺られたようなことを言っていては困る候補もいるのだが。

これから先にEVの時代となり、大型のデータセンターや(富岳も入るのか)AI等々のように多くの電力を必要とする施設が急増する時が来そうなのに、原発反対を唱えるのはポピュリズムよりも質が悪いのではないのか。その点は高市さんは立派なのか、当たり前のことを当たり前に言っているだけかも知れない。アホかと思ったのが元NHKの何とか言う御仁。「貴女は一般的に顔と名前が売れていないのでは」と切り込んで「党内の選挙ですから、そういう問題では・・・」と笑って切り返されてしまった。

私は「党の中の選挙」であるから、何か論評するよりも、外で成り行きを見ているだけしか出来ないと思っている。だが、週刊新潮だったかに影響されて段々に「河野太郎さんは不味いのかな」と思うようになってきた。では「岸田さんが良いのか」と突っ込まれれば「外野は黙って見ているだけにしよう」と答えるしかないと思うのだ。


新型コロナウイルスの時代を回顧すれば

2021-09-10 09:39:01 | コラム
菅義偉内閣総理はその対策に専念すると言われたのか専任だったのか:

菅首相はその在任1年間で最大の課題だったのが新型コロナウイルス(私は「コロナ」などと言う奇怪な略語を採る気などない)の対応に費やしたと回顧された。私はその成果は堅実に挙がっていると思っているが、反抗的な報道機関と野党は不十分だと唱えているし、世論調査をして「対策を支持しない」を過半数にさせてしまう。私は発生以来2年近くを経てもなお、受け入れ態勢を整えない多くの私立(というか公立ではない)病院があるのは、政権の対策だけの責任ではないと思っている。

自宅療養者が2名亡くなられた:
昨日からこの千葉県での不幸な事例が取り上げられ、関係の役所の担当者が「誠に申し訳ありませんでした」と例によって例の如き記者会見で謝罪していた。この種の報道の仕方は我々に対しては十分すぎるほどの警戒アラート(小池都知事が言い出した珍妙な合成語である。“alert”そのものが警戒警報の意味だ)になっていると思う。報道機関はこれまでも政府の対応の不備だと言いたいようだが、私には一部のジャーナリストが指摘されるように、医師会のエゴだと思えてならない。

心ある専門家や一部のジャーナリストが指摘されたことで、我が国における感染者は世界最大のアメリカと較べれば10%以下であるし、不幸にも亡くなった方も同様だ。それでも報道機関は「菅内閣の対策を支持しない」と一般大衆を誘導する調査をしていると思う。それは、確かに尾身茂分科会長が最上の人選か否かは疑問かも知れないし、西村康稔大臣のような決断力不足で責任回避の名手が担当しても、実績は積み上げられているのだ。不思議な現象だと思っている。

変異株の出現:
各種報道機関は「デルタ」だの「ミュー」だのと言って騒ぎ立てて、罪なき一般大衆の恐怖心を煽り立てている。警戒警報としては有効かも知れないが、今やこの街では投げ売りまでされている不織布マスクを二重にして、他者との距離を置いて歩き回っても、目には見えないウイルスから逃れることは不可能だろう。現に、主として車で移動しリモートとやらに依存して来た仕事をしていた愚息2名とも感染したという実績がある。うち1名とは濃厚接触者だった我が夫婦はPCR検査で陰性だった。

ウイルスとはそういうものなのらしい。それならそれで、水際作戦など現住且つ精密にやってくれていると思えば、ミューとやらは空港の検疫で発見されたとシレッとして報じられた。「何だよ。未だに疑わしい外国からも入国させているのかよ」と落胆させられた。報道機関はそっちは責めないで、今やテレビ局御用達の如くになって専門の医師の方に「如何に恐怖であり、ワクチン接種の効果が何パーセント減殺されるか」などという、脅迫じゃなかった警戒警報を発信している。どれが在来株でどれがデルタやミューかを選んで感染しろとでも言うのか。

外飲食業界への対応:
一寸外国、主にアメリカやヨーロッパを歩いて見れば解ることで、我が国ほど飲み屋と小規模の料理屋が軒を連ねている都市がある国はないのだ。しかも、車社会ではなく公共交通機関での通勤者が圧倒的なので「一寸一杯」や「家に帰って飲むよりは」を選択する勤め人が多いのだ。私はあれほど頻繁にアメリカ人の世界に滞在していたが「一寸帰りに一杯」と誘われたことなど皆無だった。「一寸一杯」は出張先で同じホテルに泊まった際に、“Let’s sit down to have a chat.”などと言われて、晩飯前にバーに入ったことがあった程度だ。

私は「一寸一杯」は我が国固有の文化であって、それを制限したり制約することは不可能に近いことだし、それで永年生計を立ててきた人たちが無数にいるのだから、あの業種が諸悪の根源であるが如くに扱うのが「感染拡大防止」の最善の策であるか否かは疑問のように思えてならない。思うに、西村康稔氏や尾身茂氏はそのような世界に身を置かれた経験がおなりではないので、冷たく当たられるのかななどと考えている。私のようにアルコールを受け付けない体質であれば痛痒を感じないが、そうでない方々や業者への何らかの配慮が必要かも知れない気がする。

近頃時たま敢えて外食に出てみて感じることがある。それは「対面して座るお客の間に、立派なアクリル板が立っている店が増えた点」だ。「違うんじゃないのか」と思ってしまう。それをするならば、テレビでゲストコメンテーター、芸人たちの席の間に身長を超えるようなアクリル板が立ててあるように、テーブルとテーブルの間を仕切るのが本筋ではないのかなと感じている。先日も新型コロナウイルスの流行以来敬遠していた大久保通りの回転寿司に「意を決して」入って見た。そこには客と客の間にアクリル板が立てられ、明らかにお客の数を減らす形になっていた。

ブースター接種:
「3回目のワクチン接種のことだ」と、先ほど有り難いことにアナウンサーが解説してくれた。私はそれ自体は大変結構なことだとは思っている。だが、既に述べたと思うが「これから先はCOVID-19用のワクチンはインフルエンザのワクチンと同様に、毎年定期的に接種するべき性質ではないのか」と考えている。その根拠は中国が起源かどうかは知らないが、このウイルスの感染は現在のように多くの変異株が出てくる事態に至っていれば、回数の問題ではなく毎年かどうかを検討すべき相手ではないのかと思うのだ。

思い起こせば、昨年2月に60有余年の親友で世界的の某S社の元副社長と語り合った時に、彼は「このウイルスは年内には収束しないだろう」と静かに語ったのだった。その頃ではかなり悲観的に先を見通したことを言っていると思って聞いた。私はその後に別途「恐らく87歳の私に残された短い人生をマスクを離すことなく、日頃の行動範囲を逸脱しないように細心の注意を払って生活していかねばなるまい」と予測したのだ。残念ながら、それは正確な見通しになりつつあるようだ。

重ねて言うが「それは菅内閣の責任ではない」のだ。何かを要請された国民人一人の遵守への意識は絶対に肝要なのだ。その菅義偉内閣総理大臣の専念期間もなくなく終了する。