新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

9月20日 その2 「情報は正確に伝えるべし」をお詫びして訂正します

2021-09-20 15:14:34 | コラム
マスメディアに告げる「報道は正確にせよ」と:

私は彼らがかの小室圭氏に関して提供している「アメリカにおける大学の学費や弁護士の所得に関する情報は、説明不足であるかまたは実態を正確に伝えていない」と見ているので、敢えて私が永年のアメリカの会社勤めで得た知識から補完してみようと思う。彼らの報道の仕方では要らざる誤認識を招くと思うのから言うのだ。

先ずは学費から。アメリカでは私立大学の方が上位にある点が我が国との相違点だが、Ivy Leagueに代表されるような私立大学では、近年授業料だけでも年間に500~700万円に達していると聞いている。この他に寮費や教科書代等々を合算すれば学費は優に1,000数百万円/年に達するのだそうだ。これは我が国と比較すれば大変な金額であり、親御さんにとっても学生自身にとっても大きな負担である。私が知る限りでは小室氏が選ばれたフォーダム大学(Fordham University)は授業料が高いという評判がある。

余談だが、フォーダム大学はカトリックのイエズス会(the Society of Jesus)系であり、その中には河野太郎氏のジョージタウン大学や上智大学(Sophia University)がある。小室氏はプロテスタント系の国際基督教大学からカトリック系のフォーダム大学を選ばれたことになる。なお、アメリカの大学には通常は法学部はないと聞いている。

報道では「アメリカの大学特にLaw Schoolではと言うか大学院では勉強が大変だし、授業の欠席などあり得ない」のようになっているが、これは奇妙な言い方だ。アメリカ人の思考体系であり、カトリックの厳密な物の考え方からすれば「勉強をしに入学した以上、キチンと出席するのは当然であるし、校則を遵守するのもまた当たり前のこと」なのである。やれ膨大な宿題を課されるとかレポート提出が多いとかは、学業の過程において当然のことだ」というのが神父であり教授たちの考え方である。「授業をサボった」などと言っていられる我が国とは少し違うのだ。

私はマスメディアの連中はこれくらいのことを知らないとは思わない。だが、「アメリカの大学に行けば大変だ、大変だ。授業には全部出て宿題とレポートを消化せねばならない。我が国に大学とは非常に違うのだ」と言わなければ、面白い報道にはならないとでも思っているのではないかと疑っている。私は1951年から55年度の卒業まで在学した上智大学の教育の主義は言ってみれば「カトリック原理主義」とでもなるだろう「授業には全部出るべきであり、校則の遵守もまた当たり前過ぎる」というものだったと痛感させられた。

換言すれば「自分で学費を投じて入学したのだから、授業をチャンと聞いて、与えられた課題を消化するのは普通のことではないのか」という世界なのだ。

次は彼らマスメディアが「アメリカでLaw Schoolを出れば最高の自由業である弁護士として巨額の報酬を獲得できる」というように報道するのは誤解を招くと言いたい。例えば「小室氏はニューヨーク州で弁護士の資格を得て法律事務所に勤務すれば新人でも1,000~2,000万円という多額な年俸を得られるが仕事の量が膨大で大変だ」などと言っている。「一寸待ってくれ」なのだ。新人でも高額な年俸を得られるのは弁護士だけではないのだ。

私は彼らが比較の基準にしているのは、我が国の一向に上がらない給与所得であろうと見ている。例えば最近の厚労省の資料(だと思うが)では初任給は修士課程修了で22.6万円、大卒で19.96万円、高卒が17.0万円等々となっていた。これらと単純に比較すれば法律事務所の初任給は高額と言えるだろう。

アメリカだけではなく我が国でも近年ではMBA(経営学修士)が激増した。我が国ではいざ知らず、アメリカでは一流の私立大学のMBAはいきなり管理職の地位に迎えられるし、1,000~2,000万円の年俸になるのが珍しいことではない。彼らMBAたちは4年制の大学(Under graduateと言われている)を卒業後に、4年間の実務経験を経て初めてビジネススクールの受験資格を得られるのだ。そして2年間の自分から課題を見つけて学び、討論会形式が主体の授業で十分に準備した資料を駆使して議論を積み重ね、膨大な宿題と論文を消化してあらためて世に出てくるのだ。

Law Schoolでも同様だが、その2年間の学費は俗な表現を借りれば「半端じゃない」のである。勿論、貰いきりの奨学金という特典もあるが、それはごく例外的である。彼らは実務経験の4年間に貯金をしておくか、あるいは返還の必要がある奨学金か、学生ローンにも依存するのだ。私はLaw School在学中に学生ローンが20万ドルに達したという例を聞いている。即ち、高い年俸を得たとしても、在学中の借金の返済が待っていると言うことだ。ローンなどは返還が遅れれば、金融機関のブラックリストに載せられて、以後にローンが組めなくなるとも聞いた。

また、「法律事務所で仕事の量が多くて大変だ」との報道は笑い話の類いだ。何もアメリカ式の思考体系で考えなくとも「多額の報酬を得れば、それに見合う働きをするもは当然だ」となるのではないか。アメリカのビジネスの世界ではこれは余りにも当然の大原則である。「年俸に見合う成果を挙げられない者は、最悪の場合は解雇であり、そうでなければ次年度の年俸の減額が待っている世界」なのだ。仕事の量が非常に多くて忙しいのは、何も法律事務所の世界だけではないのだ。それなのに、彼らは如何にも法律事務所だけが超多忙のように報じているのは、おかしいと断じる。

小室氏はフォーダム大学での初年度は貰いきりの奨学金を貰っておられたかのようだが、2年目以後には何らの報道はない。もしも、返済の必要がある奨学金や学生ローンに依存されたのであれば、就職後には身を粉にして働かれねばならないのかと拝察している。「法律事務所の仕事が大変だ」と言うだけの報道は片手落ちではないのか。一般論で言えば「Law Schoolを優秀な成績で卒業して資格も得れば、その先には輝かしき未来が待ったいるのだろうが、そこには多くの経済的な容易ならざる課題も控えているのではないか」だと思う。

たったこれだけのことを言うのに、これほどの行数を費やしてしまったのかと、表現力不足を反省している。私は報道機関の連中はこれくらいのアメリカという国の実態を承知していないとは思えないのだ。だが、もしも知らなかったのであれば、多くの国民を誤解させてしまうような報道をしたことになるのではないのか。


情報は正確に伝えるべし

2021-09-20 08:52:14 | コラム
マスメディアに告げる「報道は正確にせよ」と:

私は彼らがかの小室圭氏に関して提供している「アメリカにおける大学の学費や弁護士の所得に関する情報は、説明不足であるかまたは実態を正確に伝えていない」と見ているので、敢えて私が永年のアメリカの会社勤めで得た知識から補完してみようと思う。彼らの報道の仕方では要らざる誤認識を招くと思うのから言うのだ。

先ずは学費から。アメリカでは私立大学の方が上位にある点が我が国との相違点だが、Ivy Leagueに代表されるような私立大学では、近年授業料だけでも年間に500~700万円に達していると聞いている。この他に寮費や教科書代等々を合算すれば学費は優に1,000数百万円/年に達するのだそうだ。これは我が国と比較すれば大変な金額であり、親御さんにとっても学生自身にとっても大きな負担である。私が知る限りでは小室氏が選ばれたフォーダム大学(Fordham University)は授業料が高いという評判がある。

余談だが、フォーダム大学はカトリックのイエズス会(the Society of Jesus)系であり、その中には河野太郎氏のジョージタウン大学や上智大学(Sophia University)がある。小室氏はプロテスタント系の国際基督教大学からカトリック系のフォーダム大学を選ばれたことになる。なお、アメリカの大学には法学部はないのだ。

報道では「アメリカの大学特にLaw Schoolではと言うか大学院では勉強が大変だし、授業の欠席などあり得ない」のようになっているが、これは奇妙な言い方だ。アメリカ人の思考体系であり、カトリックの厳密な物の考え方からすれば「勉強をしに入学した以上、キチンと出席するのは当然であるし、校則を遵守するのもまた当たり前のこと」なのである。やれ膨大な宿題を課されるとかレポート提出が多いとかは、学業の過程において当然のことだ」というのが神父であり教授たちの考え方である。「授業をサボった」などと言っていられる我が国とは少し違うのだ。

私はマスメディアの連中はこれくらいのことを知らないとは思わない。だが、「アメリカの大学に行けば大変だ、大変だ。授業には全部出て宿題とレポートを消化せねばならない。我が国に大学とは非常に違うのだ」と言わなければ、面白い報道にはならないとでも思っているのではないかと疑っている。私は1951年から55年度の卒業まで在学した上智大学の教育の主義は言ってみれば「カトリック原理主義」とでもなるだろう「授業には全部出るべきであり、校則の遵守もまた当たり前過ぎる」というものだったと痛感させられた。

換言すれば「自分で学費を投じて入学したのだから、授業をチャンと聞いて、与えられた課題を消化するのは普通のことではないのか」という世界なのだ。

次は彼らマスメディアが「アメリカでLaw Schoolを出れば最高の自由業である弁護士として巨額の報酬を獲得できる」というように報道するのは誤解を招くと言いたい。例えば「小室氏はニューヨーク州で弁護士の資格を得て法律事務所に勤務すれば新人でも1,000~2,000万円という多額な年俸を得られるが仕事の量が膨大で大変だ」などと言っている。「一寸待ってくれ」なのだ。新人でも高額な年俸を得られるのは弁護士だけではないのだ。

私は彼らが比較の基準にしているのは、我が国の一向に上がらない給与所得であろうと見ている。例えば最近の厚労省の資料(だと思うが)では初任給は修士課程修了で226万円、大卒で199.6万円、高卒が170万円等々となっていた。これらと単純に比較すれば法律事務所の初任給は高額と言えるだろう。

アメリカだけではなく我が国でも近年ではMBA(経営学修士)が激増した。我が国ではいざ知らず、アメリカでは一流の私立大学のMBAはいきなり管理職の地位に迎えられるし、1,000~2,000万円の年俸になるのが珍しいことではない。彼らMBAたちは4年制の大学(Under graduateと言われている)を卒業後に、4年間の実務経験を経て初めてビジネススクールの受験資格を得られるのだ。そして2年間の自分から課題を見つけて学び、討論会形式が主体の授業で十分に準備した資料を駆使して議論を積み重ね、膨大な宿題と論文を消化してあらためて世に出てくるのだ。

Law Schoolでも同様だが、その2年間の学費は俗な表現を借りれば「半端じゃない」のである。勿論、貰いきりの奨学金という特典もあるが、それはごく例外的である。彼らは実務経験の4年間に貯金をしておくか、あるいは返還の必要がある奨学金か、学生ローンにも依存するのだ。私はLaw School在学中に学生ローンが20万ドルに達したという例を聞いている。即ち、高い年俸を得たとしても、在学中の借金の返済が待っていると言うことだ。ローンなどは返還が遅れれば、金融機関のブラックリストに載せられて、以後にローンが組めなくなるとも聞いた。

また、「法律事務所で仕事の量が多くて大変だ」との報道は笑い話の類いだ。何もアメリカ式の思考体系で考えなくとも「多額の報酬を得れば、それに見合う働きをするもは当然だ」となるのではないか。アメリカのビジネスの世界ではこれは余りにも当然の大原則である。「年俸に見合う成果を挙げられない者は、最悪の場合は解雇であり、そうでなければ次年度の年俸の減額が待っている世界」なのだ。仕事の量が非常に多くて忙しいのは、何も法律事務所の世界だけではないのだ。それなのに、彼らは如何にも法律事務所だけが超多忙のように報じているのは、おかしいと断じる。

小室氏はフォーダム大学での初年度は貰いきりの奨学金を貰っておられたかのようだが、2年目以後には何らの報道はない。もしも、返済の必要がある奨学金や学生ローンに依存されたのであれば、就職後には身を粉にして働かれねばならないのかと拝察している。「法律事務所の仕事が大変だ」と言うだけの報道は片手落ちではないのか。一般論で言えば「Law Schoolを優秀な成績で卒業して資格も得れば、その先には輝かしき未来が待ったいるのだろうが、そこには多くの経済的な容易ならざる課題も控えているのではないか」だと思う。

たったこれだけのことを言うのに、これほどの行数を費やしてしまったのかと、表現力不足を反省している。私は報道機関の連中はこれくらいのアメリカという国の実態を承知していないとは思えないのだ。だが、もしも知らなかったのであれば、多くの国民を誤解させてしまうような報道をしたことになるのではないのか。