信仰上の理由で接種を拒否する者がいるのだ:
海外から「カナダやフランスでCOVID対策のワクチン接種を拒否する者たちが抵抗して、騒ぎを起こしている」とのニュースがある。私はこれを聞いて「そういうこともあるのか」程度にしか受け止めていなかった。だが、その抵抗運動が簡単には終わらないようなのを見せられて、思い出したことがあった。
それは、アメリカの元の同僚が「アメリカでは信仰上の理由で接種を拒否する者たちがいる為に、接種の比率が上がらず感染者が増える原因になっている」と伝えてくれていたことだった。
すると、週刊文春だったかで、池上彰氏がそのコラムで「なぜ接種を嫌うのか」を解説していた。同氏は“宗教的信念からです。ワクチンを接種するのは「神の御心」に反すると考えるキリスト教保守派の人たちです。”と指摘していたのを知った。これで、上智大学での教養課程で必須であり苦手だった宗教学の教えを思い出したのだった。因みに1951年のことだったが、当時は1年の課程で宗教学を落とすと嫌も応もなく落第だったのだ。
普通に我が国のように(仏教や神道に基づく日常的な行事が非常に多いにも拘わらず)無宗教と誤解しておられる方が多い状況下で育ってきた者たちが、いきなり外国人のカトリック教の神父様の教授が過半数を占めていた当時の上智大学に入ってきて、馴染みが薄かった宗教学を厳格に教え込まれても、容易についていけなかったと思う。しかも、その世界の三大宗教等を全般的に取り上げて教えられる中で、キリスト教の神観念などを教えられても、理解するのは簡単なことではなかった。
その核心の一つは確か「人の命を決める事が出来るのは神(God)のみ旨だけであり、人が勝手に自殺などをすることは許されていない」だった。従って「妊娠中絶」などはこのみ旨に従えば許されざる行為なので、アメリカでは「妊娠中絶」(=abortion)を巡って激しい対立があるのだ。池上氏は「神の御心」と表現しておられたが、私はより厳格に解釈して「神のみが人の生死を司っておられるのだ」と解釈してきた。故に、キリスト教の信者の中ではワクチンで神のみ旨に反して勝手に命を守ろうとするのを認めないのだろうと考えている。
我々は「神は存在すると思うか」と訊かれても、直ちに「はい、存在しておられます」などと答えられないだろう。私が永年親しくしてきたある博識の編集者は「神の存在を云々しようとしたりすること自体が誤りであり、彼らに接する時には、存在しておられることしかあり得ないと思っていないと」と喝破された。しかも、一神教の信者たちは皆と言って良いほど二進法的にしか物事を考えないのだから、ワクチン接種がみ旨に反するか否かで考えれば「反するのだから接種しない」と割り切っていくのだろうと思っている。
現在、アメリカやカナダやフランスで起こっている反対運動というのか反対論者の存在は、上述のような理由から一朝一夕には終わらないだろうと考えている。私はこの程度の理解は示すが、自分の命が大事なので、嬉々として第3回目の接種を去る4日に受けた。今ではワクチンの効果十分に発揮されるだろう18日の到来を楽しみに待っている。
なお、念の為にお断りしておくと、上智大学は所謂「ミッションスクール」(正しい表現はmissionary schoolだが)ではなく、河野太郎元大臣の出身校であるGeorge town Universityなどと同じカトリックのイエズス会が運営する大学である。私はカトリックの信者でもなく、在学中の4年間に一度だけ往年の木造建築だったイグナチオ教会の中に入ったことがあっただけだった。