「中国開催もロシア参加も誤りだった」:
この見出しは本日の産経新聞の一面に掲載された論説副委員長・別府育郎氏の署名記事の表題である。思うに、産経新聞だからこそこのように言えたのだろうし、内容も将にその通りだったと思っている。私はここに「IOCとその会長の無能と無節操」を加えたいと思う。
私は昨日で終了した北京の冬季オリンピックは「私から見て史上希に見る邪悪な指導者・習近平主席の指揮下にあっては、どのような事になるのかな」と、ある程度以上は酷いことになるものだろうとは予想できていた。だが、実際に起こった事は産経新聞が指摘した通りだった。各テレビ局が派遣したリポーターというのかアナウンサーなのか知らないが、バブルの中から伝えてくる情報には明らかに制約されているというか管制されていると見えた。と言うことは、彼らが語っていることの裏と表を想像すれば、実体に辿り着くかなということだろう。
習近平主席は自分が専制統治している国で開催するのであるから、その手法と同じにオリンピックを管理し、統制して構わないのだと考えたのだろうと思う。その為には去りし東京オリンピックで見せたIOCのバッハ会長の統治能力の欠如振りと、権力者に阿るだけの姿勢を見て「この男御しやすし」と読みきって懐柔したか、または何らかの手段で頭から押さえつけようと計ったのではないのかな。
IOCとバッハ会長:
その無力振りの最も解りやすい例が「バッハ会長が中国に顎で使われたのか、テニスの彭帥(ほうすい)選手とのオンライン会談や食事会をして、彼女が健在であり性的虐待も受けていなかった」と報道させられた一件だ。バッハ氏が嬉々として乗り出した背景に何があったかなどは、容易に想像出来るというもの。IOCはWHOと同様に完全に習近平主席に「自家薬籠中」のものにされていたのではないのかとあらためて疑いたくもなろうというもの。
私は「元は何らかの分野で有名選手だったからと言って、上部団体や世界的な組織の長に任命するのは宜しくない」と、繰り返し指摘して来た。その残念な事例はこれまでにオリンピックやW杯などで何度も現れてきていたではないか。今回もスキーのジャンプで高梨沙羅さんを失格とした全く不統一な着衣の検査方法があったではないか。あの時に上部団体から納得がいく説明があったのか。そういう不行き届きの団体の上に位しているのが、トーマス・バッハ氏率いるIOCなのだ。ここまで言えば十分だろう。
ロシア問題:
この件は産経新聞の別府氏の記事が十分に解説しているので、私如きが云々するまでもないだろう。だが、あのワリエワ問題などはロシアの横車にバッハ会長とIOCが屈してしまったという数多ある情けない一例に過ぎない。私は金妍児さんの指摘の通りであり正論だと思っているので引用しておいた。ロシアのあの女性コーチが15歳の少女の失敗を、言葉を極めて叱責していた辺りを見れば「もしかして、ロシアのコーチたちは成績を挙げられなかった廉で、帰国すれば厳罰に処されるので責任を少女に持たせて回避しようとしているのか」と疑いたくなった。
この件は明らかにロシア側に不当な行為があった事に起因すると思うが、そこを正当に裁ききれなかったのはIOCの不手際以外の何物でもないのではなかろうか。
IOC崇拝主義から脱却しよう:
この件は別途採り上げてみようとも考えている。だが、我が国のJOCや関連する諸団体に加えてスポーツ関連の報道機関は、もうそろそろIOC如き存在を崇め奉る考え方から脱却しても良い時に来ていると思う。私には戦後の進駐軍というのか白人の統治下にあった時に、彼らを尊敬しなければならないように仕込まれた従属的な思考体系に、未だに支配されているかのような傾向が見えるのが残念でならないのだ。
何処かで何方だったかが「外国向けの情報発信を強化する為には、英語力の強化が必須」と述べておられたかのように記憶している。それもそうだが、私は彼らとの間の文化と思考体系の相違点を十分に把握することが肝腎だと、何度も指摘した。彼らを論破して屈服させる為には、彼らの思考体系を読み切って彼らも弱点を突くような論旨を展開しないことには議論に勝てないのだ。異国の文化に自国の文化だけで立ち向かっては、すれ違いだけで「お互いに理解されざる者」となってしまうのだ。
長くなるからここまでにするが、我が国は自信を以て国際場裏に臨むべきだ。彼らを崇拝するのではなく、何者かを把握した上で、取りかかっていって貰いたいのだ。