新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

2月13日 その2 今日は雑談を

2022-02-13 11:28:25 | コラム
思いつくままの話題を:

*木原誠二官房副長官の変貌:
政界や自民党の人たちのことに疎いので、木原誠二氏が岸田内閣誕生後に総理の懐刀とか言われていた事など全く知らなかった。その木原氏が何ヶ月前だったかに、確かPrime Newsに少し鳴り物が入って登場された時の印象では「何と傲慢な感じを与える人か」と「偉そうな顔付きの人だが、如何なる経歴なのか」と思って、Wikipediaに訊いてみた。

すると、言わば帰国子女であり、岸田派に所属される総理の懐刀だそうで。経歴は武蔵高校から東大を経て大蔵省であり、海外の大学の留学経験もおありだと知り得た。私はこれまでの89年にも及ぶ人生では、武蔵高校から東大の出身という方は一人しか語り合ったことがなかった。尤も、元総理の故宮沢喜一氏は94年に拝聴に行ったパネルディスカションでのご高説を承ったが、旧制の武蔵高等学校から東京帝国大学という学歴だった。

その語り合った方は遠いとおい血縁ではない親類だった。彼は非常に物柔らかい洗練された知性的な紳士で、某重電機会社の秘書室長だった。「なるほど。それだけのことがある人だ」という印象で、暫く語り合ったのだった。丁度その頃、日本興業銀行の頭取だった故西村正雄君の公の席での失言というか放言が非難されていた。

その件に関して、この方は「それは興銀の秘書室に問題があると言わざるを得ない。頭取の発言に原稿を纏めるのが秘書室の担当であり、あのような発言がないように秘書室は常に万全の注意を払っていなければならない」と穏やかに言われた。私は非常に印象的な意見だと受け止めていた。その経験と比較すれば、木原氏は「粗野だな」との感を禁じ得なかった。

その木原官房副長官が今朝のThe Primeに出ておられた。しかし、不運にも当方の体調の不備で、ご尊顔を拝したのは僅かの時間だけに止まった。しかし、非常に驚いたのが木原氏の変貌振りだった。表情は穏やかになっていたし、語り口も前回よりは丁寧になっていたのだった。想像を逞しゅうすれば「岸田総理の煮え切らなさと、何もオミクロン株対策だけのことではなく、岸田内閣を取り囲む全般の情勢が芳しいとは言えないので、ご苦労されたので変わらざるを得なかったのか」なのだ。もしかして「艱難汝を玉にす」では言い過ぎかな。

*ノーマルヒルって?:
これを英語で書けば“normal hill”になる。屁理屈を言えば「では、abnormal hillってあるのかな」となってしまう。これは、小林陵侑君が制覇したオリンピックの種目の名称である。“normal”とは「正常な、正規の、普通の」という意味だ。では、次なる目標は「アブノーマルヒル」(=abnormal hill)か、と思えば「ラージヒル」(=large hill)なので「異常なヒル」じゃなかった。

そこで、Wikipediaに登場願った。すると、両者の違いは滑走する長さが違うので、着地するL点までの距離が、ノーマルヒルで85~109m、ラージヒルでは110m以上ということだった。それだったら何で「ノーマル」と呼んだのかなと言いたくなった。だが、「ラージ」即ちlargeの反対語の“small hill”では据わりが悪いようなので、「ノーマル」(=normal)となったのかなどと考えていた。

余計な話になるが、昨夜は小林陵侑君のラージヒルの跳躍を最初から最後まで見てしまった。だが、事前の「閃き」ではこの種目の制覇は無いと出ていた。そして、甚だ遺憾ながら当たってしまったのだった。ここでもテレビも新聞も「2種目制覇」と騒ぎ過ぎだったので、大いに不安に感じていた。私だってそうなって欲しいと願っていた。期待するからと言って騒ぎすぎは宜しくないのだ。

ではあっても、小林陵侑君は成績も試合後の語りも極めて立派だったと賞賛して終わる。


時代に乗り遅れた

2022-02-13 07:51:03 | コラム
NFLのスーパーボウルはDAZNで見ろだと:

スーパーボウルは楽しみにしてきたので、今年も当然、何時も通りに地上波で見られるのだと思っていて余り気にしていなかった。だが、今朝ほど新聞のテレビ欄を見ると、我が国の時間の14日には中継放映がなかったのだ。見落としかと思って何度も見たが、そうではなかった。

それではと検索すると、DAZNとやらと契約すれば視聴は可能と出てきた。どうやらDAZNが抑えているようなのだ。そこには、無料期間が31日あるのでスーパーボウルだけ見た後で解約すれば良いのだと教えられていた。「そういうことか」とは思ったが、そこまでするのには何となく後ろめたさを感じたのだ。

同時に感じたことは「またしても時代の流れに取り残されたのか。」という、高齢者として残念であと共にやるせない思いだった。

昨年の10月にスマートフォンに切り替えただけでも「どうだ、時代奴。何とか追い付いてやったぞ」と快哉を叫んでおいたのに、今度はDAZNが攻めてきたのだった。「兎角この世は住みにくい」などと、往年の大作家のようなことを言ってみたくなった。