新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

何故「白人崇拝」から脱却せよと言うのか

2022-02-23 09:54:07 | コラム
「天は人の上に人を作らず」と言われていたではないか:

私は福沢諭吉氏が示されたように我々が外国人、就中白人たちに劣っているとは思っていない。戦後の進駐軍に我が国と日本人を骨抜きにしようとした時代から今日まで生きながらえて来た者としては、同期の英雄故石原慎太郎君ならずとも、彼らの悪巧みに何時まで振り回されているのかと言いたくなる。あの頃はアメリカを中心とする進駐軍に「日本は悪であり、誤った戦争を引き起こした事(罪)を反省して出直すべしと、朝な夕なに聞かされていたし、それに同調して提灯を持っていた新聞があった。

私は「その反省せよ。懺悔せよ」という戯言を繰り返して刷り込まれれば、何時の間にか「白人こそが優れた民族であり、劣等な我々は彼らを怖れ敬うべし」と考えるようになって行ったのだったと考えている。その端的なというか何というか知らないが、未だに地方に行けば、白人を遇する際に「外人さん」などと、何処の馬の骨かも解らない者に対してまでも畏敬の念を見せて「さん」付けで呼ぶ習慣が残っているのだ。こういう謙譲の精神は我が国独得の美徳だが、私には掲題の福沢諭吉氏の至言に基づいて行動するのが当たり前だとしか思えないのだ。

私は、ここは特にマスメディアに属する人たちに言えることだと考えているが、彼らは21世紀の今日でも学問、文芸、映画演劇・歌舞音曲、産業(ビジネス)、スポーツ等々における世界の舞台に我が同胞が進出しただけでも欣喜雀躍し、まして何らかの賞を獲得すると、我が事の如く喜びまくるのだ。彼らの言うことを聞いていると「国内で優れた実績を残した業績よりも、優れた人たちが構成している海外で認められたこと」を有り難がる傾向があるのだ。誤解と誤認識以外の何物でもない。

私にはこれが「彼ら白人の世界が我が国よりも上位にあり、我が国の者たちは海外で認められねば一流ではない」と言っているとしか思えないのだ。私は20年以上も彼らの世界で過ごして、本当に「我々が如何に頑張っても勝てないな」と諦めたような優れた者たちは、精々全体の5%だろうと思うに至っている。我が国にはその支配階層にいる者たちに勝るとも劣らない人たちは幾らでもおられるのだ。但し、マスメディアの連中の目には霞がかかっているので、そこまで見通せないだけだと思っている。言わば彼らの至らざる点であり、敢えて言えば偏見だ。

ここは、長い年月アメリカの、それも支配階層にある人たちが経営する会社に勤務して、その経営者たちにも普通に接してきたから言えることで「確かに彼ら支配階層の人たちは非常に優秀だが、彼ら以外の実務を担当している圧倒的多数の者たちまでが優れている訳ではない」のだ。我々日本人の中には、その白人が構成する世界に入っていったことを、恰も大躍進か国際場裏に認められたと喜ぶ時代はとっくに終わっていると認識すべきだ。

アメリカの企業社会を取り上げて論じてみれば、「アメリカではその選ばれし類い希なる能力者で学業成績も優秀だった者、即ち全体の1%の者たちが残る99%の凡庸な者たちの上に君臨し、引率していくのだ。そこにある恐ろしさは、その1%を代表する優れ者が失敗すると99%も共倒れになってしまう」世界なのだ。しかも、その1%の支配階層は須く白人の世界であり、滅多なことでは少数民族の出身者が入って行ける世界ではないのだ。

私は長い間ビジネスの世界だけで過ごしたので、それ以外の分野がどのようになっているかまで云々出来ない。だが、少しだけ言えることは「別の世界に於ける成功者や巨万の富(今や巨兆の富と言うべきか)を築いた者たち(例えばMLBやNFLの選手たち)の英語を聞いていると、とても知識階級のお仲間入りは叶わなかったのでは」なのだ。余談だが、フィギュアスケートのネイサンチェン(Nathan Chen)のインタビューが聞こえたが“you know”の連発だった。と言うことは「・・・」なのだ・

少し回りくどい言い方になったかと反省するが、強調したかったことは「何時までも、彼ら欧米人が構成する白人の世界に入って行けたと言って喜んでいるのか」なのだ。即ち「我が日本人は決して彼らの下流にあるのではないと正しく認識せよ」なのだ。より具体的な例を挙げれば「我が国で買い物に行って釣り銭を下から逆に上に上がっていくような計算しか出来ない販売員がいるかであり、ホテルや空港のチェックインの手続きに長時間待たされるか」なのだ。

換言すれば「我が国のように優れた初等教育に始まってと言うか、そのお陰で労働力の質が均一で高い国は他にはないと認識せよ」なので。アメリカのように労働組合が会社の機構(組織)とは全く法律的にも別個な存在であれば、労働力の質が低くならざるを得ないのだ。この件の詳説は避けるが、嘗てUSTRのカーラ・ヒルズ大使は「アメリカが対日輸出を増やす為には、初等教育の充実と識字率の向上が必須である」と認められたのは1994年だった。この問題点は21世紀の今日でも未解決のままだ。

それと比較すれば「一般論としての我が国の教育程度が高く、差別もなく、格差社会でもない」と断言出来るのだ。私は22年以上もアメリカ製品を我が国に向けて輸出してきて「我が国の品質管理と製造現場の質がどれほど高いか」をイヤと言うほど認識してきた。アメリカの自動車産業界が未だに我が国に(トランプ前大統領が見当違いの苦情を我が国に申し立てられても)受け入れられていないのは、ひとえにUAW(全米自動車労働組合)の構成員の労働力の質が低いからに他ならない。

私は20年以上もそのアメリカの職能別労働組合員たちに接する機会を与えられて(こういう経験をした我が国のビジネスマンが何人おられただろうか)、英語もろくに通じない人たちに「君等がもう一歩努力して品質向上の為の努力を重ねて貰えば、我が社の優れた品質が日本市場での#1の占有率の会社となって業績が向上し、君等の“job security”が盤石になるのだ」と説き聞かせてきた。重ねて申し上げておくと「英語がろくに解らない少数民族もいるのが、アメリカの労働組合」なのだ。彼らにも解るように説明する必要があったのだ。

何処かの著名な評論家は「我が国は安保条約で守られ、アメリカの核の傘の庇護の下にある弱い国である。その保護されている国の者がアメリカ大統領を批判するのは許されざる所業だ」と決めつけられた。では伺いますが「貴方様はアメリカ人の社会で暮らし、上は支配階層と交流し、下では労働組合員たちまでとも語り合ったことがおありですか」なのだ。私はヨーロッパの人たちとの交流は限られていたが、基本的には同じ白人であれば大きな相違点はなかったと認識している。

このように旧制中学の頃からアメリカ人と交流があり、偶然の縁もあってアメリカの紙パルプ林産物産業界を代表するような2社での経験を基にして「我が国は如何なる意味でもアメリカやヨーロッパの先進諸国に劣ることはない」と確信するようになったから言うのだ「もう我が国は意義なき白人崇拝から脱却すべき時だ。自国に誇りと自信を持とう」と。でも、海外に出た時の英語力だけはねー・・・。