新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

我が国は「外国と外国人」をより正確且つ深く認識する必要がある

2022-02-22 09:26:52 | コラム
白人崇拝からもう好い加減に脱却しても良い時ではないか:

アメリカには白人至上主義(White supremacy)とやらがあるそうだが、私は我が国には白人崇拝(主義とまでは言わないが)が未だに深く根付いているようなのが残念でならないのだ。こんな事を言えば「何を言うか。このアメリカかぶれ奴」と反発されそうだが、何故こういうことを言うかを述べていこうと思う。

導入部:
私は「我が国とアメリカとの間に存在する文化と思考体系の違い」を語る時には、何度か「アメリカ人とその会社の中に入って、文化と思考体系の相違点をハッキリと理解出来て、それを皆の前で発表出来るようになるまでに10年以上を要した」と回顧してあった。

敢えて偉そうなことを言うのをご理解願えば、「戦後間もなくからアメリカ人に接してきた私の英語力を以てしても、10年の歳月を必要とした」のだった。念の為に確認しておくと、私は単身でアメリカの大手の紙パルプ林産物会社の事業部に入っていったのだった。周囲というか上司も同僚も全てアメリカ人なのだ。敢えて言うが、駐在したのでも留学したのでもなく、飽くまでも外国人でありながら、彼らの一員として勤務することになったのだ。

これも敢えて言うが、メーカー、商社、マスメディア等の企業が派遣される駐在員とは全く異なる存在なのだ。我が国には数多くの優れた駐在の記者の方々や、海外出の取材経験が豊富なジャーナリストがおられると承知している。だが、その方々が見聞され経験されたアメリカとは違って、言わば私はインサイダーだったのだ。簡単に言えば「インサイダーなるが故に、視点も異なるし、持っている情報の質が異なる」のである。駐在された方は「外側からご覧になったアメリカ」であるのに対して、私は「内側で見たアメリカ」を語っているのだ。

本論:
私はヨーロッパとの接点が少ないが、アメリカと同じ白人を論ずるのであれば、話は通じると思っている。

「アメリカ人が100人いれば・・・」:
これは何度か取り上げてきたアメリカの問題点を凝縮して指摘したこと。ここにはアメリカという格差社会と階層社会から生じる問題点があるのだ。振り返ってみれば、アメリカから帰国する便で隣り合った某建設とエンジニアリング会社のアメリカ支社長さんと語り合ったことがあった。お互いに「アメリカ人の能率の悪さ」を問題にして、結論として「彼らが100人いれば能力がある者は精々1%だ」となった。極論というか暴論のように聞こえるが、ここにアメリカ社会の問題点があるのだ。

それは、支配階層として論じている人たちは、その1%の人たちの中から選ばれてくるのだが、その地位に就く為には東部のIvy Leagueに代表されるような超一流の私立大学で、今や最低でもMBA、乃至はそれ以上のPh.D.を取得しておく必要があるのだ。そういう大学では現在では年間の学費は授業料を含めて¥1,500万以上にもなるのでビジネススクールの2年間を加えれば卒業までに1億円近い学費が必要になるのだ。それだけの出費を厭わない裕福な家庭に生まれない限り、大手の企業の世界に入っていくことは難関になるのだ。

念の為に取り上げておくと、私の上司だった営業部担当部長と副社長の2人は、共に2人の子供たちを一流の私立大学からビジネススクールに進ませていた。即ち、彼らは1980年代に年間¥1,000万以上を負担する資産があったという事。当時でもアメリカの州立大学では授業料だけで¥150万だったのだから、我が国よりも大学進学率が低かったのも当然だろうと思う。しかも、アメリカでは製造業が大学の新卒を定期採用しないのであるから、州立大学出身者は中小企業等に就職して腕を磨き、何時かは大手の企業に転身出来るように備えておくのだ。

ここまでで何を言いたかったかと言えば、「裕福な家庭に生まれない限り、大企業に職を得て立身出世の確率は低いのがアメリカ」なのだ。即ち、極めて少数の恵まれた家柄に生まれ、しかも頭脳明晰で学業成績が優秀で無い限り、道は開けてこないのである。指摘したいことは「白人であっても、明るい将来が待っている訳ではない」のだ。

故に、そういう格差を付けられた階層にいる者たちは、先ず立身出世の機会が巡ってこないのだから、何も身を粉にして働いても仕方がないのだから、極論を言えば最初から諦めの境地に入るか、与えられた境遇に満足する以外ないのだ。だから、真剣さを欠くし、言われたことだけやっているか、貰っている年俸の範囲内のことだけしかやろうとしないのだ。しかも、我々でも、外国から訪れられた人たちが日常的に接触する範囲内にいる者たちは、その恵まれざる諦めの境地に身を置いているのだから、まだるっこいと感じることになるのだ。

ここまでのところで取り上げてきたのは「白人」の世界でのことで、アメリカには少数民族(minorities)と呼ばれているアフリカ系、南アメリカ系、アジア系、イスラム教国系等々がいるのだ。しかも、今や誰もが信じていることは「遠からぬ将来、少数民族が多数派になる」事だ。現状ではその少数民族からは先ず支配階層は言うに及ばず、余程の幸運に恵まれない限り、大手企業の本社機構に採用されて立身出世の確率は極めて低いと思う。

以下次号