矢張りそうなってしまったか:
私の持論は「多くのスポーツの大会で、マスコミというかテレビと新聞に持て囃され過ぎたティームには碌な結果が出ないのである」と何度も述べてきた。現在進行中の甲子園の野球でも、昨日は正しくこれに当て嵌まる結果が出ていた。それは「春夏の連覇」とテレビも新聞も過剰に騒いでいたというか、今にも達成するかのような報道姿勢に疑問を感じていたのだった。
そして、その懸念が現実のものになって最有力の優勝候補だった大阪桐蔭高校が下関国際高校に最後の最後にひっくり返されて、1点差の敗退となったのだった。そういう見方をしていたので、この試合だけは最初から最後まで見ていた。
この辺りが昨日も取り上げた「トーナメントいう勝ち抜き方式の恐ろしさ」なのだ。それは「たった1回の対戦であれば、弱者と看做された方が勝ってしまうこともあるだろうが、下関国際高校が10回も大阪桐蔭高校と試合をしたら、果たして何度勝てただろうか」と思わせてくれた試合だった。野球はアメリカ発祥のモメンタムの競技であるだけに、下関のあのトリプルプレーの為に大阪桐蔭はモメンタムを失っていたのだと思う。
大阪桐蔭は14日に埼玉県代表の聖望学園との対戦で、25安打で19点という大勝利だった。私はこの結果を見て「大阪桐蔭は打ち過ぎで、私が主張するジンクスで、次の試合では打てなくなる危険性が」と指摘したが、安打数は減ったか無事に勝ち上がっていた。尤も、私は偶々埼玉県予選での聖望学園の試合振りを見ていたのだが「これで良く県代表になれたな」と思ったほど次元が低い野球をやっていたので「大阪桐蔭は弱敵に勝って過信するのではないか」とすら感じていた。
私はマスコミの過剰な持て囃し方という問題以外に指摘しておきたいというか、1990年頃から指摘し続けてきた甲子園の野球の問題点を挙げておきたいのだ。それは、高校野球の指導者たちは、このトーナメント方式の予選を勝ち上がり、甲子園でも優勝するための「小さく纏める野球の技巧と技術」を高校生に仕込んでいるという点だ。その極端な例が「優勝投手がプロ乃至は大学に行って成長し大成功した例が、ごく少数の例外を除いては、殆どないではないか」なのだ。
大阪桐蔭も西谷監督は優れた体格での運動能力が極めて高い高校生たちを沢山集めて、高校野球としては非常に高い水準にあるティームに仕上げてこられたと思う。だが、間違っていたらご免なさいだが、大阪桐蔭の出身者で先頃のオリンピックの優勝ティームに何名いたのだろうかという問題を指摘したい。
「いや、何を言うか。高校球児は甲子園に出るのが最高の目的であり夢でもあるので、血と汗と涙の努力をしているのだ」と言われれば敢えて反論はしない。だが、私だって「サッカーで全国制覇を目指して国体の決勝戦まで行った高校の一員だった」と言うし、その主将だった早川さんはオリンピック代表に選ばれたし、仲間からは慶応と早稲田の主将が出ていた」とだけ申し上げて終わる。