新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

8月4日 その2 Pelosiさんの発音と読み方に思う

2022-08-04 16:49:02 | コラム
カタカナ語排斥論者は諦めの境地に到達した:

お気付きの方がおられれば幸甚だが、昨日からアメリカのNancy Pelosi下院議長の台湾訪問について述べた際に、Pelosiという名字(英語ではlast nameだが)を英語そのままの形で表記してきた。その理由はといえば「我が国のNHKも含めた報道機関が全て本来の英語というかアメリカでの発音を無視したのか、あるいは知っていても知らぬ振りをして『ペロシ』としたのが気に入らなかったから」なのである。

また、カタカナ語排斥論者の戯言かなどと思わないで頂きたい。見出しで「諦めの境地」としてあるのだ。更に上記では「NHKも含めた云々」としたのは、NHKだけが大谷翔平君をとうとうトレードに出さなかった球団名“Angels”を、アメリカ式に近い「エンジェルス」として良識?を示していたので、まさか「ペロシ」と表記するとは思ってもいなかったからだ。正確には「エインジェルス」なのだ、念の為。私は「ペロシ」とは、他でもないローマ字読みであると考えている。

今回哀しいことに、今頃になって漸く悟ったことがあった。それは「今回のPelosiにせよ、去りし東京オリンピックのゴルフで優勝したKorda, Nellyも、Los Angelsも、スイスの時計Rolexも、全て日本語化されていて、元の原語の発音などとは無関係な日本語なのだ」と理解するに至ったのである。

即ち、英語版のWikipediaでは発音記号まで表示されて「ペロウシ」となっていようと何だろうと、ローマ字読み乃至は何処かの通信社の記事に無定見に従っているだけだろうということ。英語とは無関係の日本語にしてしまっているのだ。日本語に逆らおうなどという大それた事は考えていない。Kordaさんについては、当時しつこいほど「おかしい」と指摘したことで「コルダ」ではなく「コーダ」がアメリカでの発音なのである。

Rolexの「ロレックス」も今や我が国では通用する一般的な名称になっている。だが、銀座の時計店「EVANC」の大貫氏は「80歳台の方はローレックスなのだ」と指摘しているが、1970年にRolexを買った現在89歳の私には「ローレックス」以外の発音はあり得ないのだ。理論を言えば「アクセントは2番目の母音に来る」のが常識であるから「ロレックス」などあり得ないのだ。

また、カリフォルニア州に「ロサンゼルス」なんていう都市はないが「ロスアンジェリーズ」ならある。カタカナ語製造業者は“general”も「ゼネラル」という日本語の表記にしてしまった。この辺りにローマ字の限界のようなものが見えてくるのだ。六本木の交差点の上の高速道路に「ROPPONGI」と表示されている。それを読んだアメリカ人たちは一様に「ロッパンジ」か「ロッパンジ」としか発音しないのだ。

敢えて再度お断りしておくと、今回は、私は最早カタカナ語批判を展開しているつもりはないのである。それよりも、寧ろ諦めの心境にあって「どうぞ、お好きなようにローマ字読みするか、“r”をコーダさんの場合のように「コルダ」とされたら如何と考えているのだ。そこにあるのは「何処かの何方かが恣意的に日本語とした名字や地名や英単語の日本語化された形があると考えるべきだ」と認識したことである。言うなればカタカナ語排斥論者は「ギブアップ」の心境である。

先人は「のろまの知恵は後からやってくる」と喝破しておられたが、将にその通りかと思っている今日この頃である。


Pelosi下院議長の台湾訪問について

2022-08-04 08:19:38 | コラム
「コメントすることはない」:

掲題はPelosi下院議長の台湾訪問についての、松野博一官房長官の発言である。これを聞いて岸田内閣の中国への気兼ねと苦しさと悩みが良く出ていると思った。アメリカの同盟国であっても「バイデン大統領とPelosi議長が善くも踏み切って下さった」などと、その訪台を礼賛するかのようなことを言えば、北京から激しい非難攻撃を浴びせられると承知していたので、その点に配慮したと読めるのだ。

官房長官が何らかの明確なことでも言えば、王毅外相に「尻に火をつけるぞ」とでも言われることでも恐れなのか。個人的には「情けない」と感じたのが90%で、10%は「仕方がなかったのだろう」と少しだけだが同情的に理解した。

中国は例によって猛反発していたし、王毅外相だったかは「頭に火を付ける」とまで言ってアメリカを攻撃した。バイデン政権も25年振りと報じられている下院議長の台湾訪問を認めるまで踏み切っておきながらも「一つの中国」の見方は変えていないと述べていた。これが示すことは、アメリカ側にもそれなりの気配りがあったことで、如何にもバイデン大統領らしい柔軟さ(軟弱さ?)さが見えているような感もあった。

中国は既に台湾の周辺で演習を開始するようだが、私にとって良く解らないことがある。それは「中国は台湾を統一するというか我が物にする意図なのだろうが、その際にロシアがウクライナを焦土と化しても自国の領土とするかのような出方をしたのと同様な手法を採るのか、それとも現在の経済と軍事力等を温存して領土化するのか」という二択である。私は「台湾有事」と聞くと、つい地上戦どころか核兵器の使用も辞さない焦土作戦を想像してしまうのだ。

また、視点を変えれば「我が国のマスコミ報道を聞いていると、台湾の23,394,000の人口の全てがアメリカというか民主主義を信奉しているかの如きだが、その人口の13%である約300万人は外省人(蒋介石と共に中国から移ってきた者たち)なので、親中国派は現存しているのだ。それは誰かと言えば、元の総統・馬英九を思って頂ければ良いだろう。

私的な経験を語れば、1970年に生まれて初めての海外出張で最初に訪れたのが台湾だった。その際に出会った取引先の人たちは皆内省人だった。彼らは真っ向から外省人の批判はしなかったが、「面倒な事態になった」と語っていた。それは「外省人の存在のために公用語に北京語も採用されたので、台湾語の他にこれも出来るようにせねばならず、今回のように日本人との商談の為に日本語も忘れてはならない事」だと聞かせてくれた。

私にはどの人が台湾人であり、外省人なのか解る訳がなかった。だが、彼ら内省人から指摘されたことがあった。それは「貴方の顔付きは典型的な外省人であり、世界中何処に行っても外省人で通用するだろう」だった。即ち、解らなかったならば「自分の顔を鏡で見ていれば良い?」のだった。

現実的には、アメリカでは何度か空港の出口から出た途端に、飛んできた外省人の出迎えに来たと思しき人に中国語で話しかけられたのだった。恐らく、外省人か中国系アメリカ人に間違えられたのだろう。それだけでも十分に面白くなかったのだが、話はそれだけで終わらなかった。それは、アメリカ人たちは日本人には余り馴染みがないので、東洋人と見れば「中国人(乃至は外省人)と思うのだ」そうで、そのように間違えられたことは不名誉ではないと聞かされたことだった。

Pelosi議長の訪台から話が逸れたが、台湾問題はこの儘に推移すればアメリカ対中国の深刻な関係悪化にも繋がりかねないし、我が国も「コメントすることはない」等で糊塗していられない事態に直面するかも知れないと、私は独り密かに危惧しているのだ。私は勿論岸田文雄総理も松野博一官房長官も事態を十分に認識し理解されているものと信じている。